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マリン事業の歩み 『マリンジェット』

MJ-500S、MJ-1200GP、そして世界初の4ストロークモデルMJ-FX140などマリンジェットの歴史を紹介します。

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より楽しく、より機動的に

マリンファンを魅了したマリンジェット。
その開発は「誰もが安全に、手軽に楽しく乗れる」ことへのチャレンジから始まった。

将来性に懸けたマリンジェット開発

 ヤマハ発動機が1986年に発売したマリンジェットは、シッティングポジションにおける操船の容易さや運動性能の高さなどがマリンファンに受け入れられ、PWC(パーソナル・ウォーター・クラフト)を代表する乗り物として挙げられるようになった。
 このPWCと呼ばれる水上オートバイの歴史は比較的古く、1930年頃にはフランスの特許誌の中に、その原型とも言うべき乗り物が記載されている。また、1954年から1960年代にかけては、米国でも水上におけるさまざまな乗り物が考案され、1974年にはPWCの販売が開始されたが、レジャービークルとして定着するのにはまだ時間を要した。
 日本国内では1970年代後半になると、これらの海外で生産された小型ボートの縮小版やサーフボードに動力を付けたものなど多種多様な乗り物が水辺で見かけられるようになった。そして1980年には、こうした水辺の乗り物を対象とした「水上オートバイ特殊基準」が公布されPWCの社会環境も徐々にではあるが整い始めた。
 当時からヤマハはマリンの総合メーカーとして、安全や啓発活動への取り組みに加え、マリンレジャーに関わる法整備への協力など、さまざまな業界活動を行っていた。この「水上オートバイ特殊基準」の策定についても、ヤマハの技術者が中心となり、安全性に関わる性能確認試験に携わっていたが、その中で水辺を手軽に、そして自由に走り回れる、新しい乗り物に魅せられたことは言うまでもない。そして、いつの日か自分たちの手で、オリジナルのPWCを作ることを思い描いた。『誰もが安全に、そして手軽に水辺で楽しめる乗り物』というマリンジェットの基本コンセプトは、この時に誕生したといっても過言ではないだろう。
 当時のPWCの国内市場規模は年間100隻程度であり、ビジネスとしては未知数の分野であったが、担当者たちはその将来性に懸けて社内を説得。1983年に開発の許可を得ると、製品化を目標に掲げたプロジェクトが始動した。

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ボード形状の艇体にエンジンを搭載したパワースキー。スキーのように俊敏な切り返しが楽しめることを特徴としていた

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タンデムモデルのプロトタイプをテストする様子。シャローV船型にダブルチャインを設けて、安定性と運動性の両立を実現した

パワースキーの開発からマリンジェットの誕生へ

 ボートの設計や建造に関わる技術力は1960年以降、着々と蓄えられてきたものの、マリンジェットの開発は既存モデルとは異なるコンセプトを志向していたために、設計、製作の過程で、プロトタイプを作成して、実験、検証を繰り返し完成していくという方法が採られた。
 当時は多数のモデルがプロトタイプとしてテストされており、その中でもとりわけ運動性能の高いパワースキーが、米国で行われたプレゼンテーションの場に持ち込まれた。このパワースキーは、ボード形状の艇体に、他社製の15馬力のポンプを流用して、ヤマハ製の25馬力のエンジンを搭載したもの。操作はハンドルで行うシンプルな構造として、スキーのような俊敏性を持ち合わせ、浜名湖で行われた試走テストでも良好な結果が得られたことから、新しいジャンルの商品として関係者の期待は高かった。
 しかし、実際に米国で行われたプレゼンテーションでは、テストライダーが100kg以上、身長も180センチ以上あり、いわば日本人の体格に合わせて開発されたパワースキーは、米国人のテストライダーがボードに乗ることさえもままならならず、性能を評価する以前に、その商品性に大きな疑問符がつけられた。
 開発スタッフは、この経験を元に『より安全に、より楽しく、そして機動的』に航行できる、まったく新しい乗り物というコンセプトで商品開発に取り組み、米国の試乗会で発想を得た、座り乗りのタンデムタイプの開発が進められた。それらのモデルは1年後に行われた2度目のプレゼンテーションで、テストライダーの遊び心をしっかりと捉えた。そして日本国内では1986年11月に「MJ-500T」(Wave Runner)が、翌年の1月には独自の運動性能を持つ座席のある1人乗りタイプの「MJ-500S」(Wave Jammer)が発売されることになった。

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MJ-500T(手前)とMJ-500S(奥)のテストラン。誰もが手軽に楽しめるマリンジェットの誕生により、PWCは一躍、マリンレジャーのトレンドになった

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MJ-500に続いて発売されたMJ-650シリーズでは、当時唯一の3人乗りモデルMJ-650TLに人気が集まった

誰もが安全に、手軽に水辺で楽しめる乗り物

 「誰もが安全に、そして手軽に、水辺で楽しめる乗り物」というマリンジェットは、それまでのPWCとは一線を画すコンセプトが多くのマリンファンに受け入れられ、日本はもとより世界各国から反響が起こった。特にMJ-500Tの着座姿勢における容易な操作と、タンデムを可能とした動力性能の高さは、当時のマリンジェットの代名詞とも言える特徴だった。そしてこのMJ-500の両モデルをベースに開発されたのがMJ-650シリーズで、そのなかでも人気を集めたのが、世界初の3人乗りモデルとして登場したMJ-650TLである。このモデルは、1人で乗った時の操船特性や運動性能、爽快感を損なうことなく、3名が乗船した時にもしっかりとそのパフォーマンスが発揮されるように開発された。そして「誰もが安全に、そして手軽に、水辺で楽しめる乗り物」と言うコンセプトを踏襲したことは、マリンジェットファンの心を捉え、マリンジェットの大型化に拍車を掛けた。またこの頃より、マリンジェットの使い方もレジャー派とレース嗜好の強いユーザーに分かれ、そのラインナップは、TZやGPといったレース派向けのハイパフォーマンスモデルとVNやXLなどレジャー派向けのラグジュアリーモデルという現行モデルのベースが形成された。
 国内ではラインナップの充実と共に市場規模が拡大し、マリンジェットオーナーを対象としたクラブ組織「マリンジェットクラブ」の結成や、その会員を対象としたイベントである「マリンジェットジャンボリー」の開催、さらにPW(パーソナルウォータークラフト)安全協会の設立などを通じて、安全啓発活動にも積極的に関わり、水辺ならではの楽しみ方やマリンジェットの社会的な認知向上にも取り組んできた。 
 そして1995年以降、大型化するマリンジェットの大きな転換点となったのが、2ストロークエンジンから4ストロークエンジンへの移行である。ヤマハは排ガスによる環境負担の少ないPWCとして世界で初めて4ストロークエンジンを採用したマリンジェットFX-140を2002年5月に発売し、このFX-140の誕生によってマリンジェットひいてはPWC全体の4ストローク化が進み、5年後の2009年には国内向けランナバウトモデルのすべてに4ストロークエンジンが搭載された。
 プロトタイプの開発から四半世紀を迎えたマリンジェットは、PWCを代表する乗り物として認知されるようになった。マリンジェットは「誰もが安全に、手軽に水辺で楽しめる乗り物」というコンセプトの下、これからも新たな遊びや喜びの可能性を広げる、水辺の乗り物として進化していくだろう。

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1996年に3人乗りモデルMJー1100VNが発売されるとマリンジェットの大型化は一気に進んだ

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レジャーユースとして見られことの多いマリンジェットだが、レスキュー艇としても初期の頃から数多く導入されている(写真はMJ-650MP)

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ランナバウトモデルとしてレース、レジャーを問わず圧倒的な人気を誇ったGP1200は、GP1200RやGP1300Rへとモデルチェンジを行い、Y.P.P.S.やY.S.S.S.といった技術を取り入れて、環境負荷の低減に対応した

1990 MJ-650SJ
ヤマハのスタンドアップモデルとして登場したMJ-650SJの特徴はそのスピードとバランスの良さ。SJシリーズの原点となった
1993 MJ-700TZ
スポーツモデルとしての個性を強めたTZシリーズは、レース派のユーザーに支持され、現在でもそのフィーリングを楽しむユーザーが多い
1994 MJ-700RA
700RAはV型のハルを採用し、スピードを含めた動力性能を飛躍的に向上。1994年の米国パーソナルウォータークラフトオブザイヤーを獲得した
1999 MJ-SUV1200
PWC史上初の4人乗りモデルとして登場したSUVはラグジュアリースタイルを象徴するマリンジェットとして注目を集めた
2002 MJ-FX140
4ストロークエンジンを搭載したFX140は、当時のPWCにクリーンさというインパクトを与え、以後のモデルのベンチマークとなった
2008 MJ-FX Cruiser SHO
マリンジェットで初めてスーパーチャージャーを搭載したSHOモデルは、圧倒的な速さと安定性を両立した
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