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貝類

日本全国津々浦々で行われている沿岸漁業を漁法別にご紹介します。

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牡蛎養殖

宮城県気仙沼

進水式には復興の作業に取り組んでいた漁友さん等が参加。餅撒きなどが行われ、港は久しぶりの活気に包まれた

東北太平洋沿岸では震災からの復興を目指して、各地域で操業の再開に向けた取り組みが行われていますが、今回はその中でもいち早く進水式を迎えた気仙沼港を訪れました。港では養殖作業船として期待が寄せられるDX-120に、多くの関心が寄せられていました。

 牡蛎養殖の産地として広島県に次ぐ規模を誇る宮城県ですが、そのなかでも、牡鹿半島から気仙沼、大船渡にかけての海岸線は牡蛎養殖の一大生産地。出荷の最盛期を迎えた牡蛎小屋では、連日早朝に水揚げされた牡蛎の加工に追われることになりますが、震災を受けた浜では、牡蛎棚の設置に向けた作業が続けられています。
 そのような状況のなかで、新たな牡蛎養殖作業船として進水したのが第十八丸畠丸です。この丸畠丸のベースになったのは、北海道の定置網作業船として人気を誇るDX-120で、船主の畠山さんは作業船としての実績が決め手の一つになったと言います。
 「私たちは稚貝を北海道から仕入れているのですが、その北海道の海ではヤマハの船が本当に多く使われている。向こうの漁師さんに聞いてもヤマハの船は持ちが違うという話をよく聞きますし、作業性もいいとのことで、新造船をヤマハにお願いすることにしました」
 この丸畠丸を印象付けているのが右舷側に据えられたブリッジです。通常のブリッジは船幅の中央に設置されますが、この丸畠丸ではクレーンを真ん中に設置し、その後方にブリッジとクレーン作業用の座席スペースを設けている為にブリッジが右側に寄っています。それでも安定性が確保されるので、走行時に傾くようなことはありません。
 「ヤマハにお願いしたことで、建造時間も短く、作業優先のデッキやブリッジもきれいに仕上げることができました。震災前には考えてもみなかったことですが、幸い私たちは船もこうして進水することができましたし、牡蛎棚の方も一部が残っていて、被害も少ない方と言えるでしょう。それでも出荷するまでには3年、元通りの出荷となれば5年はかかると覚悟をしています。厳しい状況には変わりないですが、これからはこの新しい船と共に精一杯やっていくだけです」
 一個一個の牡蛎の質を高めていきたいと抱負を語る畠山さん。復興への足がかりとなる進水式を終えたその表情には、喜びと安堵、そしてこれから始まる漁への期待が表れていました。

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ブリッジの右側にはクレーンを操作する座席を設置した

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作業時の視認性を優先させるために大型の窓を設けた

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船庫のハッチを取り払い作業スペースとした前デッキ

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すべての作業は前が中心のため、エンジンルームやトイレの入り口が設けられていた

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畠山さんご一家。写真中央後方が船主の畠山欣也さん

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東日本大震災後、気仙沼では最初の進水式を執り行った第十八丸畠丸

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