以前、スナイプ級(国内で最も普及している国際クラスの2人乗りレーシング・ディンギー)の全日本選手権を取材していたときのこと。望遠レンズのファインダー越しに、少々変わった乗り方をする選手に目がとまった。よくよく見てみると彼には右腕がなく、左手一本でティラー(舵)とシート(セイルを操るロープ)を器用に操っていた。大学ヨット部出身の彼は、バイク事故で右腕の完全麻痺という障害を負いながらも、大好きだったヨットレースを続けている。全く動かない右腕を固定したまま、左腕だけで操船する技術を身につけて、有力選手を集める強豪大学ヨット部出身者でも出場がままならない「全日本スナイプ」に、厳しい予選を突破して毎年のように出場しているのだ。
日本のトップレベルの外洋レーサーが集まる「ミドルボート選手権」という大会を取材したときのこと。4位入賞を果たしたチームを取材すると、クルーのうち2人が義足のハンディキャッパーだと知らされた。義足の発達もあるのだろうが、レース中の彼らは「健常者」である他のクルーと全く変わらない動きで、華麗なクルーワークを見せていた。その内の一人はパラリンピックでシッティング・バレーボール競技(足を使わず座った状態で行うバレーボール)に出場した経験もあるという。
「チームワークで行う競技ですから、自分のハンディキャップはハンディとは感じませんでしたね。自分のクルーワークの未熟さの方がよほどハンディです(笑)」
年末に日本をスタートし、ニューイヤーにグアムでフィニッシュする「ジャパン~グアムレース」の取材をしたときのこと。無事完走して上位でフィニッシュしたある日本艇の老オーナーは、全く光を感じることのできないブラインドセーラーだった。全く景色を楽しむこともできず揺れる船上で何日も過ごすことは、少なくとも私にとっては苦痛以外の何ものでもない。その疑問をストレートにぶつけてみると、
「ハル(船底)に当たる波の音の変化で船の状態もわかったりして、それなりに楽しいものですよ。波の音を聞きながら揺られるのは、私にとっては何よりの楽しみなんです」
と真っ黒に日焼けしてしわがれた顔で笑った。「あんたにゃ、わかるまいが」と言われているようで、ちょっと悔しかった。
彼らの強靱な姿を見ていて、ちょっと海が時化ただけで怖じ気づいてしまう己の精神的脆弱さの方が、海という大自然の前ではよっぽど大きなハンディキャップである事実に気づかされた。そもそも、何がハンディキャップとなるかは、置かれた環境によって異なるわけで、日常の社会生活におけるハンディキャップが、海という非日常の世界においても同様であるとは限らない。逆もまた真なり。卑近な例を持ち出せば、船酔いしやすい体質は陸上の生活においては何らハンディキャップとはならないが、海の上ではけっこうなハンディキャップとなってしまう。
桟橋を離岸した瞬間から、日常生活とは全く異なるパラダイムが発生する。そのパラダイムシフトこそがセイリングというスポーツの魅力であり、奥深さだと思う。 |