イラスト・高橋唯美
感動の海 「南の島のルアー職人」
キャビンの棚 静寂の海に航跡を刻む
「MAIDEN VOYAGE/HERBIE HANCOCK」
船厨 「子供のころの夢」
海の博物誌 船舶-1・船籍の始まりはワイン輸送の独占から
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  観光客で賑わうワイキキの町の郊外に、その家はあった。閑静な住宅街の中にあったガレージ付きの平屋建は、アメリカでよく見かける典型的な家だった。
 約束の時間に訪ねたのだが、家の住人は不在だった。しばらく、玄関先で待っていると、虹をあしらったハワイ州のナンバープレートに「LURES」のアルファベットを綴った大型セダンがガレージに滑り込んできた。
 買い物袋を抱えて車から降りてきたのは中国系の大柄な男だった。カジキ釣りの世界で名を馳せたスパープランジャーの生みの親、ジョー・イーは、こちらが勝手に想像していた男とは少し違って、職人と言うより実業家、ボートの上よりも冷房の効いたオフィスの重役室が似合いそうな雰囲気だ。しかし、そんなイメージも、実際に彼の工房に案内され、ルアーと釣りの話を聞き始めたら消えて飛んでいってしまった。
 釣り具のカタログなどに「世界で愛用されるJOE YEE LURES 社」などと書いてあると、大きな商社のような事務所があるのかと思っていたのだが、実際には、彼は鼻をつくエポキシの臭いが漂うこの家の地下室で、アメリカ本土や日本から注文を受け、一人でルアーを作っていた。
 「ジョー・イーのルアーを求めてくれるお客にはジョー・イー本人が作る。この世界には名前が売れると、そのブランドで他の者や工場に造らせているのもいるが、私はそれをしたくないんだ」
 今から三年前、そのときジョー・イーは73歳になっていたが、物作りへの拘りと情熱、何よりも顧客である釣り人への愛情は全く衰えていなかったと言っていい。
 現在最も多くのグランダー(1000ポンド以上のカジキ)を釣り上げているルアーがプランジャー・タイプだといわれている。なかでもジョー・イーのスーパープランジャーは、輝かしい実績を残しており、グランダー・キラーとして知られる。水中で暴れまくるスパープランジャー、直訳すれば、「超突破者」とでもいおうか。これは、まさに「ルアーで最も大切な要素はアクションだ」と語るジョー・イーのコンセプトにフィットする。
 ハワイ島における近代カジキ釣りの歴史は1930年代に幕開ける。ウィスコンシン州出身の建築技師、チャーリー・フィンラソンが1937年にホノルルでチャーターボートを建造し、その後、現在のコナにおいてチャーターボートの営業を始めた。このチャーリーのボートで腕を磨き、ハワイのカジキ釣りの歴史に名を刻んだキャプテンの一人がヘンリー・チーである。後にコナヘッドの原型とも言える独特のルアーを産み出すが、そのルアーで彼はカジキを釣りまくった。当時、「ヘンリーのボートの船底には雌のマーリンの絵が描かれている」とまことしやかに噂されていたという。
 ヘンリー・チーのルアーはコナでは絶対確実な「シュア・ルアー」ともてはやされた。事実シュア・ルアーの全盛期、1955年はコナ・ウォーターで178本のマーリンが釣られたが、そのうち63本がヘンリー・チーのボートで釣られたものだったという。このように世界中のアングラーが憧れ、また優れたキャプテンを育てる場としても注目されるコナにおいて、釣れるルアーは世界に直結する。ジョー・イーのルアーもまたハワイの海に鍛えられ、その名を歴史に刻んだ。
 ジョー・イーがルアーを作り始めたのは1960年ごろ。初めて手がけたのはスクープ・ヘッドやヘンリー・チー・カットのルアー。当時はクリアタイプのルアーがほとんどだったのに対して、ジョー・イーのルアーヘッドは七色に光るアコヤ貝を使っていた。
「あるとき、イカが何かに追われて船の中にまで飛び込んできた。よくみたら胴体が七色に光っていた。そこからヒントを得て、アコヤ貝を使い始めたんだ」
 ジョー・イーはこうした実体験をもとにルアーを作り上げていく。彼のルアーの売れ筋の一つ、パールピンクのヘッドも同じような体験と観察力とによって生まれた。
「カツオの腹なんだけどね、シルバーだというのが普通のなんだけれど、実際によく見ると薄いピンク色に見えるんだよ」
 さて、件のプランジャーははたしていつ、誰が考案したのだろうか。
 「最初は<シージェニー>のジーンがプランジャーをデザインした。その後、<パメラ>のキャプテン、ピーター・フグが同じようなプランジャーを作ってくれとわたしに言ってきたんだ。そんなわけで手がけたんだが、実際にプランジャーをよく見ていなかったんで、できあがったのが通常より一回りほど大きなサイズになっちゃった。それを見てピーターが『これはスーパープランジャーだ』って言い出した。ルアーデザイナーの中には自分が最初にデザインしたんだって言う者もいるけれど、まあ、ホラ吹くやつが多いからね。この(釣り)業界は」
 優しそうな語り口の中に時折見え隠れする、勝ち気な誇りと闘志。地下室の中にいても、彼は、巨大なマーリンと闘っている。

田尻 鉄男●たじり てつお
外洋帆走部に所属しクルージングに明け暮れたの大学生活、1年間の業界紙記者生活を経て、88年、某プロダクションに入社。以来、日本のボーティングシーン、また沿岸漁業の現場を取材してきた。1963年、東京生まれ。



 自分の身を置く世界の素晴らしさを、高度な感性を持った第三者の表現によって知ることがある。洗練された美しい絵や写真、文節、そして音楽。歳を重ねれば、その機会がまた増え、人生がより豊かに味わい深いものになろう。
 たとえば、ハービー・ハンコックの「処女航海」。このアルバム(オリジナル)のライナー・ノーツの中で本人は次のように語っている。
「この音楽は、広大で威厳が漂う海、そこを進み行く処女航海中船の壮麗さ、遊び好きなイルカの優雅さ、ごく小さな海洋生物さえが必死に生きている様、さらにハリケーン、海の男たちの強敵である威厳ある破壊力を表現しようとしたものだ。」
 その通り、収められた五曲を通して、これを聴く海の男たちは自身の様々な体験をますます美しい、詩的な思い出へと昇華してくれるだろう。
 またハンコックの奏でる海の描写はもちろんなのだが、ノラ・ケリーによるライナー・ノーツもこのアルバムの美しさを高めるのに一役買っている。こちらは英語で、、。

As the first hint of gray suffuses the horizon and imperceptibly lightens the deep black waters, alight wind ruffles the tips of the wavelets, whitening their crests with tongues of foam. Slowly the sands gains life, the grayness of the starry night be coming faintly yellow, a forerunner to the blazing white of noon.

 アルバムのタイトルにもなった一曲目の「処女航海」はとにかく「かっこいい」。長いクルージングの初日、静かに動き始めた夜明けのハーバーを思い出す。読者諸氏はどんなシーンを思い浮かべただろうか。
MAIDEN VOYAGE/HERBIE HANCOCK
(処女航海/ハービー・ハンコック)
フレディ・ハバード(tp)
ジョージ・コールマン(ts)
ハービー・ハンコック(p)
ロン・カーター(b)
トニー・ウィリアムス(ds)



「サザエのガーリックソテー」
壺焼きもいいけれど、たまには手をかけてみても。ビールはもちろん、ワインもお勧めです。

材料:さざえ,ガーリックバター(室温で柔らかくなったバターにみじん切りにしたニンニクをまぜる。)白ワイン,イタリアンパセリ
作り方
1)サザエはふたがはずれて中身を取り出せるぐらいまで焼く
2)フォークか竹串で中身を取り出し、肝を切り落とし中身を1センチ角位に切る。
3)切った中身を殻に戻しガーリックバター大さじ1入れ白ワインを好みで入れ、みじん切りにしたイタリアンパセリを散らす。
4)サザエを殻ごと再び焼き、バターが溶けてグツグツしてきたら出来上がり。 
 子供のころ、大人になったら必ずやってやろうと思っていたことが二つあった。ひとつはデコレーションケーキを丸ごと一個食べること。そしてもう一つは、ビールを飲みながら海辺でサザエをたらふく食べるということだ。
 サザエは、子供のころの僕にとってまさしく「大人の食べ物」だった。海水浴場の屋台で旨そうにサザエを食べている大人を羨ましいと思ったが、子供の食べ物ではないと、偏屈な父は自分の子供にそれを食すことを許さなかった。
 ケーキの方は学生時代、バーテンのアルバイトをしていたころ、客がもってきた大量のクリスマス・ケーキの後始末に参加することで実現した。思ったほど感動はなかったな。
 サザエの方はというと、やはり学生時代、伊豆にクルージングに出かけたときに、実現した。壺焼きがもたらす幸福。
 アチチチ、、などといいながら、貝をほじくり出す。貝蓋を手に持って、あつあつの身を肝と一緒にかじって口の中に放り込む。ハフハフしながらかんでいくと、磯の風味が口の中一杯に広がって、その味は旨い、を通り越して美しいとさえ思える。口に残った磯の風味と心地よい苦みを肴に、キンキンに冷えた生ビールをぐびい~っと、、、。無事、大人になれて良かったあ。
 ケーキの方は、さすがにもう遠慮したいが、サザエはもちろん大歓迎。魚屋で見つけると、予算も考えずについつい大量に買い込んでしまう。幸福になれるが、財布を預かるカミさんは不機嫌になる。
 ところで、このサザエ、姿で育ちが分かるって知ってました? 瀬戸内海など内海でとれるサザエは突起物の角がそれほど発達していない。逆に外海など波の強いところで捕れるサザエは角が発達しているという。
 なるほど、うちのカミさんは外海育ちだったのか。(編集部・ま)



 領土問題や資源問題、貿易摩擦など、今も昔も国と国との利害の対立の種は尽きない。先進国同士では対話という外交で解決するのが常だが、時には残念ながら武力に頼ることもあるのが現実だ。
 船籍制度が生まれたの頃は、全くの武力の時代で、強い国が言い分を通すのが普通。大航海時代が幕を開けて間もない1485年に即位したイギリスのヘンリー7世は、この国の将来は海上にあると考えフランスのボルドーから船積みされるワインの輸送はイギリス船に限ることとした。
 その法律では「イギリス船とは、船員の大多数がイギリス人である船をいう」と規定している。これが航海条例、および船籍制度の始まりである。
 ついで1660年にイギリスは、航海条例を植民地に拡大するとともに、船籍の条件を従来の所有主義(所有者が自国人であること)と操縦主義(乗組員が自国民であること)に加えて、建造主義(建造地が自国内であること)とした。これを船籍の三要件という。
 なお、船舶の大きさを示すトン数は、その昔、いくつのワイン樽を船に積むことができるかを基準に生まれた単位である。
 「うちの船は、かなりのトン数になるな」ーそんなつぶやきが聞こえてきそうだ。




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【編集航記】
 ヤマハのマリンカレンダーのタイトルは「SEASCAPE」という。ビル・エヴァンスの奏でる同名の曲から、当時のアートディレクターが名付けたタイトルだ。最初、マリンレジャーの海とエヴァンスが表現しようとした海は少々異なる気がしたが、様々な海を見、知り、その深遠さに魅せられるようになって、次第に素晴らしい海のBGMになることを知った。今回ご紹介した「Maiden Voyage(処女航海)」もしかり。海に行けば行くほど、様々な自然を体験すればするほど、アーティストが表現しようとしたものが何であるかを知り、その想いと同化することができる。歳を重ねてこれて良かったと思わずにいられない。(編集部・ま)

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