イラスト・高橋唯美
感動の海 インディアンリバーのシャローウォーターフィッシング
キャビンの棚 深まる秋、長い夜に釣聖ウォルトンの時代の音楽を
船厨 秋味の贅沢「鮭の炊き込みご飯」
海の博物誌 政府認可の由緒あるクラブ旗
YAMAHA NEWS トレーラブルボートの楽しみ方を検証、YAMAHA38CONVERTIBLE 登場、「マリーナ百景」が更新、他
10月の壁紙 『Salty Life』読者限定壁紙カレンダー

 テーマパークの町・フロリダ州オーランドからハイウェイを東へ1時間も走ると、大西洋に突き当たる。いや、正確に言えば大西洋に出る前にラグーンが立ちはだかっている。釣り人としてはまず、この素敵なラグーンでシャローウォーターフィッシングに挑まなければならない。
 フロリダのラグーンからキーウェストを中心に人気のあるシャローウォーターフィッシングがフィッシングスタイルとして確立したのはここ15年ほどのことだという。フラットボートと呼ばれる16フィートから23フィートほどの小型フィッシングボートで、水深50センチにも満たないような超シャローを攻める釣りだ。浅瀬ではキャプテンがスターンに取り付けられたステップにのぼり、魚を探しながらプッシュポールと呼ばれる竿で水底を掻いてボートをキャストしやすい位置に動かす。ほぼサイトフィッシングに近い釣りでターポンやスヌークなどを狙う。
 さて、オーランドの東、タイタスビル周辺のラグーンでの釣りに同行してくれたのは、プロフィッシングガイドになって3年というジム・ロスだった。今まで出会ったアメリカのフィッシングガイドに比べると真面目そうなタイプ。ただ彼が放つ真面目さは決して客に気を使わせるという類のものではない。ボートと釣り、そしてフロリダの自然を愛するその姿勢は一種の安心感と尊敬の念すら抱かせる。
 タイタスビルのインディアンリバーのボートランプに船を降ろし、出港の準備が整うと、ジムは「ドーゾ、ドーゾ」と日本語で乗船を促した。聞けば、ジムにとって僕らは初めての日本人客で、予約が入った後、急いで日本通の友人に日本語を教えてもらったのだそうだ。後にも先にもジムが発した日本語は「ドーゾ」だけだったが、それでも彼の人柄の良さと接客業に対する真剣さを知るには十分だった。
 この日の釣りはレッドフィッシュがメインターゲット。大型になると優に1メートルを超すゲームフィッシュだ。フライでもルアーでも、もちろん餌でもつれるが、今回は、どちらかといえば釣果の確実なルアーで狙うこととした。
 ジムはボートのスターン、ちょうど船外機の上部を覆うようにしてセットされた、フラットボート特有の高さ1mほどのステップに立ち、魚を探しながらボートを移動させていく。すでに船外機はチルトアップされ、水面に目をやると、水草が水面近くに揺らいでいる。超シャローだ。ジムが小声で「10時の方向を見ろ」とアングラーに指示。目をやるとフィッシングポジションから魚の姿は確認できないが、明らかに水面の表情が周囲と異なり、その直下に魚の群れがあることが予想できる。群れの移動するコースを読み、回遊コースの先を通すようにルアーをキャストするのである。それにしても現実は厳しい。予想以上にレッドフィッシュはタフだった。いや恐らく釣り人の腕の問題もあるのだろう。しばらくキャストを続けていたが一向に釣れる気配がない。そうこうしているうちにジムが「トゥイッチングなんてアクションを入れるより、ただ巻きでいいからリトリーブのスピードを上げたほうがいい」とアドバイスをくれた。なるほど、ほどなくして待望のバイト。十分にファイトを楽しみ、70センチ弱のレッドフィッシュをしとめた。写真を撮るとジムは両手でいたわるようにレッドフィッシュを抱えたまま自ら水の中に飛び降り、レッドフィッシュが自力で泳ぎ出すのを待ってからリリースした。
 それにしてもこのラグーンは生命の宝庫だ。レッドフィッシュとジャックを1本ずつ上げると、早々と納竿とし、ボートで自然観察に出かけた。アリゲータやマナティに簡単に出会うことができた。イルカも多い。彼らはボートランプの目の前まで魚を追ってやってきて、華麗なジャンプを何度も繰り返して見せてくれた。まるで水族館のショーである。やはり釣りの魅力は、釣果だけではない。自然の中に身を置くことの素晴らしさを堪能した一日だった。


田尻 鉄男●たじり てつお
外洋帆走部に所属しクルージングに明け暮れたの大学生活、1年間の業界紙記者生活を経て、88年、某プロダクションに入社。以来、日本のボーティングシーン、また沿岸漁業の現場を取材してきた。1963年、東京生まれ。



 深まる秋、長い夜。某日、「富士に立つ影」をひと休みして(10年ぶりに全七巻を読み始める)、心やすらかに眠るためにウォルトンの釣魚大全を枕元に置く。
 1593年に生まれた彼は、若き日には社交家であったようで、多くの僧侶、詩人、劇作家と親交が深かった。釣りのほかに文学を愛し詩人仲間との交際も多かった。シェークスピアとの交際も知られている。39歳で結婚し、6人の子をもうけたが、すべて幼少のうちに没した。妻も結婚後14年で亡くなる。再婚後も二男一女をもうけたが、長女だけを残して早世する。このように家庭に恵まれなかったことが釣魚のなかに瞑想を求めるひとつの理由になったのだろう。釣魚大全を刊行したのは60歳。以降晩年の20年は表面的には安逸の日々であったという。こうした人生からウォルトンが教会と深くかかわり、厚い信仰心を抱いていたことがわかる。
 彼の生きた17世紀はバロックの時代。ウォルトンはバロック音楽の時代の2/3を生きたことになる。バッハ、ヘンデル、スカルラッティといった巨匠たちはウォルトンの亡くなる3年前の誕生だが、ウォルトンと同じイギリスの天才ヘンリー・パーセルとは接点がある。1659年に生まれたパーセルは1677年18歳で宮廷楽団の常任作曲家に任ぜられている。ウォルトンの死の6年前である。またパーセルは宮廷礼拝堂の少年聖歌隊員になっていたというから、ウォルトンがその歌声をあるいは聞いたかもしれないなどと考えるのは楽しいものだ。
 ウォルトンと同時代を生きたのはバロック音楽の父といわれるクラウディオ・モンテベルディ。彼はルネッサンス音楽からバロックへ、ちょうどベートーベンのように2つの時代に偉大な足跡を残した。「聖母マリアの夕べの祈り」「倫理的、宗教的な森」は彼の最高傑作といわれている。
 で、読みかけの釣魚大全を置いてヘッドフォンを耳にあてる。釣りを“静思を愛する人のレクリエーション”と言ったウォルトンの言葉を思い、大きな愛に満ちた美しい音楽に聞き入るこそあわれなり。深まる秋、長い夜……。
(K.H)
「聖母マリアの夕べの祈り」
釣聖ウォルトンの時代を聴く。「聖母マリアの夕べの祈り」はモンテベルディの宗教作品の傑作といわれる。その美しさに心洗われる声楽曲だ。潮気は、、、もちろんないが、釣りに人生を見いだした男、そして彼が生きた時代の感性に共感したい。



「鮭の炊き込みご飯」(5~6人分)

1)米4カップは炊く30分程前に研ぎ水につけておく。
2)ダッチオーブンに水から上げた米を入れる。酒大さじ2、塩小さじ1、水3カップ半を入れる。その上に鮭の切り身を5~6切れのせる。
3)ふたをして強火で沸騰させる。
4)ふつふつとしてきたら中火で5分、弱火で10分間炊く。おこげを作るならさらに1分強火にして火を止める。
5)鮭の皮と骨を取り、粗くほぐしてご飯とまぜる。
6)再び蓋をして10分程蒸らして出来上がり。
 北海道や東北では9月から11月にかけて沿岸に近づいてくる鮭を「秋味(あきあじ)」と呼ぶ。「秋鮭」と書くことの方が多いようだが、前者の方がセンスがある。どこのエピキュリアンが最初にそう書いたのだろうか、「欲」のセンスが良いと思う。
 こうした名前だけでなく、鮭はその行動からして謎に満ち、ロマンを感じさせる魚だ。
 百科事典で鮭について調べてみた。
 秋から冬にかけて繁殖を控えた鮭たちは河口付近に滞留し、そして時期を見て川を上り始める。一尾の雌を数尾の雄が奪い合う。勝ち残った雄は産卵床を作り、雌は2回以上の産卵を経て、死ぬ。2ヶ月ほどしてその卵から孵化すると幼魚は水生昆虫の幼生などを補食しながら川で育つ。春となり、雪解け水に乗って海へ戻り、沖合へと姿を消す。その後の足取りは確かではないらしいが、タグ&リリース(標識放流)の結果、アラスカ半島の南岸にまで泳いでいくことが確認されている。だから、「世界を釣り歩く」ような釣り人の釣った鮭が北海道生まれである可能性は十分にある。外洋で成長した鮭は、─ここからがまったく不思議なのだが─彼らの「母川回帰性」という性質に従って、生まれた川に再び戻り、故郷で繁殖行動を繰り返し、息絶えるのである。
 一体どのようにして、何年もたった後、生まれた川に戻ることができるのだろう。これにはいくつかの説があって、渡り鳥と同じように体内時計と太陽の位置から方向を見つけようとする説、海流ならびに水温の分布に従って帰っていくという説があるらしい。
 そのどちらだったとしても、野性的な感性のすっかり鈍った僕には、やはり理解できない、などと考えていたら、鮭の炊き込みご飯が炊き上がった。
 蓋を開けるとふっくらした鮭の切り身が、つややかな白米の上に美しく色鮮やかに輝いていた。申し訳ないが、切り身になっても鮭は美しい。「秋味」を堪能するとしよう。

※文中、鮭の性質に関する記述は「平凡社・世界大百科事典」による。



  ヨットやモーターボートは、大きさや用途からすると個人のもの、あるいはスポーツ用というイメージが強いが、機能や法律などの面では軍艦や商船と同じ船舶として扱われる。従って、航行するときも停泊中でも、一般の船舶と同様のルールを守らなくてはならないケースが多々ある。
 信号旗に関しても、船舶旗をはじめ一般船舶と共通の信号旗を使うことになっている。ただし、レースの場合は例外で、いくつかの信号旗に国際信号とは別の意味を持たせて使う。また、ヨット特有の旗もあって、クラブ旗やオーナー旗、役員旗などを掲げているところもある。
 ヨットはオランダで生まれ、イギリスで育ったと言われており、ヨーロッパには永い伝統を誇るヨットクラブが数多くある。そうしたクラブは、政府に承認されたクラブ旗を持っている。たいていは軍艦旗や商船旗をアレンジしたものである。
 オーナー旗というのは、そのヨットの持ち主の旗。役員旗はそのヨットの持ち主の、ヨットクラブにおける地位を示すもの。競馬界では馬主がそれぞれの服色を決めていて、自分の馬に乗る騎手にはその色の騎乗服を着させるが、どちらもヨーロッパの上流階級の誇り高さを感じさせる。




トレーラブルボートの楽しみ方を検証
BAYSPORTS16をはじめとするトレーラブルボートの活用術を解説する新コンテンツがスタート。

YAMAHA38CONVERTIBLE 登場
圧倒的な凌波性を誇る名艇の血統を宿す、世界品質の最強コンバーチブル。いよいよ、この秋日本の海へ。

「マリーナ百景」が更新
このマリーナ百景では全国に点在するさまざまなマリーナを紹介します。 今回はいずみさの関空マリーナと西福岡マリーナです。

「水辺の風景画コンテスト」作品募集中
ヤマハが支援する財団法人日本マリンスポーツ普及教育振興財団(JMPF)では、幼児、小学生を対象とした恒例の「水辺の風景画コンテスト」を開催し、作品を募集中です。


今月の壁紙
『SALTY LIFE』読者限定
10月の壁紙カレンダーはこちらからダウンロードできます。


バックナンバー
『SALTY LIFE』のバックナンバーはこちらからご覧になれます。


【編集航記】
 鮭には様々な思い出がある。北海道の登別の小さな川で見た、ひしめき合うようにして上ろうとする群れ。雪の降る中、八雲の町の川の底に散乱していた無数の死骸。石狩湾で取材した勇壮なあきあじの定置網漁。カナダのキャンベルリバーで取材したサーモンフィッシング。ちゃぶ台の上の小さな皿に載っていたなかなか減らない大辛の塩鮭。今まで意識したことがなかったが、今回鮭について調べて、それらの断片的な思い出がリンクし、これらが同じ魚だったことに今さら気づいた。大衆魚であり、高級魚でもあり、最高のゲームフィッシュでもあり、海の魚でもあり、川の魚でもある不思議な魚。日本でも欧米でも秋は収穫の季節であり、食物の恵みをそれぞれの宗教や習わしに従って感謝し、祝う。鮭のドラマに思いを馳せつつ、改めて海の幸に感謝する次第である。(編集部・ま)

■ 『SALTY LIFE 』について
 メールマガジン配信サービスにご登録いただいているお客様に定期的に配信するマリン情報マガジンです。

■ お問い合わせに関するご案内
 『SALTY LIFE』は送信専用のアドレスより配信しております。
「配信の停止」についてはhttps://www2.yamaha-motor.co.jp/Mail/Saltylife/をご参照下さい。

『SALTY LIFE』
〒438-0016 静岡県磐田市岩井2000-1
発行:ヤマハ発動機販売株式会社


Copyright(C) 2004 Yamaha Motor CO.,LTD. All rights reserved.
掲載文章および写真の無断転載を禁じます。