北海道や東北では9月から11月にかけて沿岸に近づいてくる鮭を「秋味(あきあじ)」と呼ぶ。「秋鮭」と書くことの方が多いようだが、前者の方がセンスがある。どこのエピキュリアンが最初にそう書いたのだろうか、「欲」のセンスが良いと思う。
こうした名前だけでなく、鮭はその行動からして謎に満ち、ロマンを感じさせる魚だ。
百科事典で鮭について調べてみた。
秋から冬にかけて繁殖を控えた鮭たちは河口付近に滞留し、そして時期を見て川を上り始める。一尾の雌を数尾の雄が奪い合う。勝ち残った雄は産卵床を作り、雌は2回以上の産卵を経て、死ぬ。2ヶ月ほどしてその卵から孵化すると幼魚は水生昆虫の幼生などを補食しながら川で育つ。春となり、雪解け水に乗って海へ戻り、沖合へと姿を消す。その後の足取りは確かではないらしいが、タグ&リリース(標識放流)の結果、アラスカ半島の南岸にまで泳いでいくことが確認されている。だから、「世界を釣り歩く」ような釣り人の釣った鮭が北海道生まれである可能性は十分にある。外洋で成長した鮭は、─ここからがまったく不思議なのだが─彼らの「母川回帰性」という性質に従って、生まれた川に再び戻り、故郷で繁殖行動を繰り返し、息絶えるのである。
一体どのようにして、何年もたった後、生まれた川に戻ることができるのだろう。これにはいくつかの説があって、渡り鳥と同じように体内時計と太陽の位置から方向を見つけようとする説、海流ならびに水温の分布に従って帰っていくという説があるらしい。
そのどちらだったとしても、野性的な感性のすっかり鈍った僕には、やはり理解できない、などと考えていたら、鮭の炊き込みご飯が炊き上がった。
蓋を開けるとふっくらした鮭の切り身が、つややかな白米の上に美しく色鮮やかに輝いていた。申し訳ないが、切り身になっても鮭は美しい。「秋味」を堪能するとしよう。
※文中、鮭の性質に関する記述は「平凡社・世界大百科事典」による。 |