僕の海に関する駄文や写真を雑誌などで形にしてくれたアート・ディレクターだったその人は、音楽が好きで、特にクラシックとジャズに造詣が深かった。で、意外にも、ジャズでは誰もがよく知っているビル・エヴァンスが大好きだった。「I WILL SAY GOOBYE」というアルバムに収められた「SEASCAPE」は、ジョニー・マンデルが書いた傑作だが、海が好きならこの曲を聴けと、仕事場で深夜、酒に酔った先輩からよくいわれた。が、聞いても何となくピンと来ない。エヴァンスが弾いた「SEASCAPE」は確かに美しい曲だが、ちょっと暗い感じがして、僕がイメージする海の印象との間にはなんとなく隔たりがあったのだ。が、ここ数年、いろいろな国の、いろいろな海を見るにつけ、特に尊敬していた先輩が消えてしまってからは、先輩が「SEASCAPE」を好きだった理由、そしてなぜ自分が表現しようとする海にこの曲を重ね合わせていたのかが、なんとなくだがわかってきた。とりあえず、自分ではそんなつもりになっている。
カンクンや沖縄やモルディブのような海は、心から美しいと思う。同じく、インドのコチンで見たどんよりとした朝焼けに霞む水辺も美しかったし、スリランカのニガンボで見た笑顔の漁師たちのたむろす浜辺や、3万人もの人が暮らすブルネイの水上都市も美しかった。吹雪で人気の全く無い青森の海辺、厚い雲の隙間からかろうじて陽が差すキャンベルリバーのモノクロームの海も美しかった。そして、それらの海にはすべて─カンクンも含めて─、エヴァンスの奏でる耽美な「SEASCAPE」がよく似合う。
人の喜びや悲しみ、愛や切なさ、歓喜や畏れ。それらは概して美しくあるべきだ。これらの感情をも包み込み、優しく覆う海という存在。海の持つ、表面には見えてこない奥深い不思議な力と内面の美を、この曲は掘り出してくれるように思える。訃報を聞いたとき、目の前に広がるカンクンの海はちょっと色あせたように思えた。が、もしもそれが今だったら、その海も美しいと思えたに違いない。