ソルティライフ ソルティライフ
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イラスト・Tadami
いつでも潮気のある生活を過ごしたい。
MONTHLY COLUMN 粋な生活
キャビンの棚 30年を経て変わらぬ驚き「オーパ!」開高健
船厨 まことに悩ましい“アール”のつく月「生牡蠣」
海の博物誌 太平洋の名の由来
YAMAHA NEWS 「カジキ釣講座」更新/漁船や沿岸漁業の情報「大漁ネット」更新/「ネットTV」~世界の水辺から~ 更新
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MONTHLY COLUMN
 セレベス海は、シパダンに代表されるようにダイビングポイントとして名高い。と同時に、バジャウが定住しているエリアとしても知られている。シパダンの玄関口として知られるセンポルナの町も人口の多くが漂海民・バジャウだと聞いた。
 現在のバジャウは、海岸沿いに高床式の家を建てて定住するようになった。以前、このコーナーで、ブルネイのカンポンアイールについて書かせていただいた。そのときは、同じく水上生活をしていたこともあって、彼らもルーツは同族なのでは、と推測していたのだが、彼らはブルネイ族であって、民族としてはバジャウと異なるらしい。
 ブルネイを訪れた時期と同じくして、セレベス海のマブール島やボルネオの東海岸に位置するタワウ、さらにマレーシア第二の都市、コタキナバルを取材で訪れた。いずれもバジャウが定住しているエリアだった。マブール島は2~3のダイビングリゾートが点在する、歩いても十数分で一周できてしまうような小さな島だったが、ここにもバジャウ特有の高床式の家があり、魚を捕りながら生活する彼らの姿を見ることができた。リゾートという独特の雰囲気に包まれていたせいか、どことなくこぎれいに見えたものだった。

 タワウのバジャウの生活区を訪れたのはマブールからの帰途だった。夕方近くで、ほとんどの男たちが海から戻ってきていたのだろう。とりたての魚や果物を売る露天や雑貨店でにぎわう舗装されていない道路には人があふれていた。その道路から海に向かって桟橋(といっても、足を踏み外しそうな板が心細く渡してあっただけだが)がかなり長い距離を伸び、さらにその桟橋から魚の骨のように左右に伸びる渡し板の先に、家々が建てられていた。
 地元のガイドの案内でカメラを持って入っていくと、船外機の取材で訪れたことに気づいたらしく、漁から帰ってきたばかりの男たちが目の前の海を全速力で、アクロバチックにボートを走らせる。そのうちに、一度はボートを片付け終わった男たちまでが、再びわざわざボートを降ろしだし、家々の密集する海は大騒ぎになってしまった。
 彼らのボートを造っている一軒の小屋があって覗かせてもらった。船は細長く、とてもシンプルである。船大工は海で大はしゃぎしていた男たちとは対照的に職人然として、黙々と板に釘を打ち込んでいた。それは、少しだけ人々より長く生きた男の持つ、独特の照れ隠しだったように見えた。
 彼らの住む家の中に入れてもらうと、外見から想像していたイメージに反してきれいに片付けてあったことに少しばかり驚いた。調度品も不足なく、テレビなどは悔しいことに我が家のそれよりも大きく立派だった。
 海は汚く、生活から出た大量のゴミが岸近くを漂っていた。ほめられたものではなく、嫌悪を抱きもしたが、それも彼らの「自由」の表れなのかもしれないと、今では、少しだけ思い直す。

 バジャウはフィリピンやインドネシア、マレーシアの海に居住しているが、もともとは、これにオーストラリアまでを含めた海域一帯を自由に往来していた民族だ。考えてみればバジャウにとって海はひとつであり、海こそが自分の土地であったに違いない。小さな船に住み、島から島へとその住むところを移動してきた。今でこそ国境という目には見えない線によって隔てられた各国の政策に誘導されて、家を持ち定住してはいるが、そんな背景をルーツとした民族が抱く心根とはどんなものだろう。
 取材を一通り終えてダウンタウンのホテルに戻るとき「スローライフ」という言葉が頭に浮かび上がった。「ゆっくりと、豊かに暮らそう」という、この「素敵な」キーワードは、小さな悪意をもってみれば、まことに身勝手な文明人のエゴともとれる。いずれにしろバジャウたちの海での生活が育んだ無邪気で自由気ままに見える「スローライフ」には、到底かなわないという気がした。

田尻 鉄男●たじり てつお
外洋帆走部に所属しクルージングに明け暮れたの大学生活、1年間の業界紙記者生活を経て、88年、プロダクションに入社。以来、日本のボーティングシーン、また沿岸漁業の現場を取材してきた。1963年、東京生まれ。



キャビンの棚
 釣り人であり、旅人である知人は、その放浪の際、必ず持って行く本がある、と言った。それが開高健の「オーパ!」だった。持って行くだけでなく、いつかブラジルのアマゾンで世界最大の淡水魚といわれるピラルクーを釣りたいと、この本を枕元に置きながら夜な夜な夢見ていたのだとも言っていた(果たして彼は夢を実現したのだが)。先だって、編集子はブラジルのパンタナール大湿原に赴く機会があり、そんな話を思い出したのだ。
 「オーパ!」とは驚いたり感嘆したりするときにブラジル人が発する言葉だ。内容は、理屈抜きに面白い。世界最大の流域アマゾンに潜む珍魚の数々、人々との出会い、そしてパンタナールで挑んだ最高峰のゲームフィッシュ、ドラード。タイトル通り、その内容は「オーパ!」の連続である。そして開高健の好奇心、情熱、感性、おまけに取材力、知識に舌を巻くのである。そしてその驚きは続編の「オーパ、オーパ!」によってアラスカ、コスタリカ、カナダ、さらにはアジアへと引き継がれていく。
 「オーパ!」が書かれてから、今年で30年がたつが、その新鮮な魅力は色あせることがない。釣り人のバイブルとしては中世にアイザック・ウォルトンによって著された「釣魚大全」が名高く、開高健もこれを愛読したが、日本ではこの「オーパ!」そして「オーパ、オーパ!」こそ、釣り人のバイブルに、さらには旅人のバイブルになっているようにさえ思える。

「オーパ!」
著者/開高健
発行/集英社文庫
定価/762円(税込)



船厨
 10月から4月まで、いわゆる「R 」のつく月。言わずとしれた牡蠣の季節である。今はその終盤。ところが、牡蠣には岩牡蠣という種類があって、こちらは生産地によって初夏や真夏が旬という例もある。岩牡蠣もめっぽう旨く、牡蠣好きにはたまらない。
 ヨーロッパや北米など世界中でこれほど愛されている食物も希だ。日本でも然り。昔は東京の永代橋あたりでも天然の牡蠣が採れたのだとか。まことに旨かったらしい。
 牡蠣は文豪が好む。感性を刺激する食物なのだ。ヘミングウェイも好物だったと聞いた。「キャビンの棚」で取り上げたオーパ!の開高健氏もまた、自著「小説家のメニュー」(「船厨」担当者のバイブルです)の中で取り上げている。パリの屋台の牡蠣にはレモンの汁をチュッとかけて。ニュージャージーではバケツに入った牡蠣を取りだしてメルテッド・バターにチョッと付けて口へ。ロングアイランドではタバスコあるいはケチャップをかけてチュッと吸って食べる。ああ、たまらない。 
 合わせる酒はなんだろう。やはりよく冷えたシャブリか。シャブリでなくともミディアム以上のシャルドネならばいい。日本酒がもっとも合うという人も多い。何を付けていただくか? そのままでじゅうぶんにイケるが……、開高健のパリでの体験を倣いレモン汁? それともポン酢に紅葉おろし? 考えたあげく、今日はカクテルソースをつくってみた。
生牡蠣に用意したいカクテルソースの一例
●材料(6人分)
トマトケチャップ(大さじ8)、チリソース(小さじ2)、レモン汁(1/2個分)、白ワイン(小さじ2)



海の博物誌
 日本は海に囲まれているにもかかわらず、周りの海に名前をつけることができなかった。もちろん世界に通用する名前で、という意味である。国内で使うには不自由なく、わかりやすい名前、いわばローカル・ネームはつけていたのである。
 東海の 小島の磯の 白砂に 我泣きぬれて 蟹と戯る――と詠んだ石川啄木は、すでに太平洋があることも知らず、「東方見聞録」で西洋に日本を紹介したマルコ・ポーロも太平洋には触れていない。そのため、コロンブスは東洋への近道を探すのに、逆に西へ西へと航海したのである。
 この太平洋をthe Pacific Oceanと命名したのはマゼランだった。1519年、マゼラン海峡を通過して乗り出したこの海が、あまりにも平穏(pacific)に見えたからである。しかし、彼はその後、実際に太平洋を横断したにもかかわらず、アメリカ大陸を中国から南へ伸びる半島だと思い、太平洋は大きな内海だと信じていた。海は今でも計り知れないが、当時はなおさらだったのだろう。



ヤマハニュース

「カジキ釣講座」更新
ワンポイントアドバイス「ルアーリギング その2」フックの付け方について

漁船や沿岸漁業の情報「大漁ネット」更新
設計室だより「FRP漁船、草分け時代の苦労話」です。設計者が感じた苦労とは。

「ネット TV」~世界の水辺から~
インドの南西部・ケララ州の海岸線に漁村を訪ねました。


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【編集航記】
花見の季節がやってきます。東京ですと隅田川の川縁や浜離宮辺りがボートによる花見のスポットとして人気のようです。21世紀、毎年、陸では破廉恥なドンチャン騒ぎが繰り広げられ、ニュースになったりしますが、もともとは花見は貴族の遊びで、庶民の間では江戸時代から盛んになった日本人ならではのレクリエーションです。風流に、そして粋に楽しみたいものです。(編集部・ま)

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