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あまり意味はなく、でも少し意味がある小説仕立てのバイク読み物 Vol.2 ~屁理屈をまくし立てながらバイクを運転する男、その後ろに乗る女~ 体感温度を巡り僕たちが語り合ったこと。

2017年7月18日

この季節のバイクは、本当に気持ちいい

「この季節のバイクは、本当に気持ちいい」
とスズメが笑った。
彼女の本当の名前は誰も知らない。
そして彼女は、決して小柄ではないのにスズメと呼ばれている。
理由は分からない。
分かろうとも思わない。
彼女はスズメで、僕が走らせるタンデムシート──バイクの後部座席──に座っている。
僕が知るべき情報としては、それだけで十分だ。

 僕たちは海に向かって走っている。
どこの海かは分からない。
知る必要もない。
膨大に塩水で満たされ、それがゆらゆらと揺れてさえいれば、そこが海だ。

「でも、少し寒いわ」と彼女は言った。

「そうだろうね」と僕は答えた。

「体感温度について知っているかい?」

「知るよしもないわ。知りたいとも思わない」

 スズメは、少し寒さに参っているのだろう。
バイクを操縦している僕から、彼女の様子はあまりよく見えないが、恐らくぷっくりと体を膨らませている。
「体感温度は、風速が1m/s増すごとに、1℃ずつ低下していくんだ。
僕は今、バイクを40km/hで走らせている。
なぜ40km/hか分かるかい? 
この道路──海へと続くこの道──の制限速度が、40km/hに指定されているからだ。
その理由は、考えちゃいけない。
法律っていうのはそういうものだ。

シロギスの天ぷらを揚げる時、油の温度は180℃。

シロギスの天ぷら

電子レンジで冷凍ご飯を温めるなら、600Wで3分。

デイヴ・ブルーベックの「テイク5」は5拍子。

これらに共通しているのは、無条件で従わなければならない事柄、ということだ。
それと同じだよ。
40km/hと言われたら、40km/hで走る。ところで、40km/すなわち時速40kmは、何m/sすなわち毎秒何mか分かるかい? 
僕の明晰な頭脳が瞬時に計算したところによると、11.111111111......m/sだ。
この小数点以下の1は永遠に続く。
割り切れないんだ。
僕たちの関係のように。

ところで、体感温度の話を覚えてる?」

「もちろん」

「体感温度は1m/sごとに1℃低下する。ということは、11.1m/sで走行している僕たちの体感温度は、外気温より11℃も低いことになる。このバイクに装備されている外気温計によると、現在の気温は20℃。20ひく11は、9。つまり僕たちの体感温度は、わずか9℃ということになる。君が寒さを感じるのも無理はないんだ」

「そう。どうりで寒いわけだわ。本当に寒い」

風が湿り気を帯び、潮の香りが混じり始めた。
海が近付く気配に、思わずアクセルをひねりたくなる。
しかし、「寒い」と繰り返すスズメに、これ以上強い走行風を浴びせるわけにはいかなかった。
彼女はなかなか繊細なところがあって、もしかしたらそれがスズメというあだ名の由来なのかもしれなかった。

「実際のところ」と僕は言った。

「走行風のすべてを浴びるわけじゃない。バイクが風よけになってくれるからね。特に君は今、僕の後ろに乗っている。僕が盾になって、君を風から守っていることになる。期せずして、ね」
「期せずして......。ところで、あなたは寒くないの?」

「うん。僕は寒くない」

「なぜ?」

「レイヤードだよ。君にはまだレイヤードについて話していなかったかな」

「レイヤード?」

「そう。バイクに乗るにあたっての服装選びの基本だ。結婚式では白いネクタイを締める。入社式では黒やグレーや紺の無地のスーツを着る。そしてバイクに乗る時はレイヤード」

「レイヤード......。お菓子の名前のようね」

「それはカスタード。もしくはマーマレード。あるいはレモネード」

「私はレイヤードについて聞きたい」

「レイヤードは、重ね着のことだよ。レイヤーは層を意味する。ミルクレープのように何枚かを重ね着をすることで、暑くなったら脱ぐ、寒くなったら着るという温度調整が可能になるんだ」

「ミルクレープ......。またはバウムクーヘンね」

「イグザクトリー、その通り。バイクに乗る時は、常に気候の変化に備えた方がいい。僕はあまり君にものを勧めたことがないし、これからも何かを勧めるつもりは毛頭ない。でも、バイクに乗る時には、専用品の着用を勧める」

 スズメが鋭く反応した。
「その話、聞いたことがあるわ。気候変化に応じて換気できたり、着脱式インナーによって温度調整が可能なウエアもあるんでしょう?」

「ザッツ・ライト。走行風を受けてもへこたれない強い生地を使っているし、万一に備えてのプロテクターも装備されているんだ」

「ねえ」

 少しうれしそうにスズメは言った。
「私たち、まるでバイクウエアのエバンジェリストね」

バイクウエアのエバンジェリスト

「伝道者──。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。基本的に僕は、誰が何を着ようと自由だと思っている。君が自由に食事を選べるように、僕たちの選択は自由であるべきなんだ。法に触れたり、社会に軋轢を生じさせたりしない限りはね。ただ経験上、バイクに乗るなら専用ウエアを着用した方がいい、とは言える」

「やっぱりエバンジェリストよ」

 海に到着してバイクを降りると、スズメはヘルメットを脱いだ。海からの風に舞う髪を懸命に撫でつける。
そうして、弾むようにリズミカルに砂浜を歩きながら、「今は風速何メートルかしらね」と笑った。
僕の体内の奥の方から熱が込み上げてくる。スズメの方から吹く風によって、僕の体感温度は上昇する一方だった。

砂浜

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2017年7月18日

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