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インタビュー:根本健さんと日髙社長 written by RIDE-HI

2021年7月14日

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インタビュー/根本 健 写真/長谷川 徹

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日髙 祥博
ひだか・よしひろ/1963年生まれ。ヤマハ発動機代表取締役社長、日本自動車工業会副会長。名古屋大学法学部法律学科卒業、1987年ヤマハ発動機入社

ご自身がなんとYZF-R1Mを所有する、生粋のバイクファンでもある日髙祥博社長。
その熱いココロで独自性を大切にしながら、グローバルなニーズの多様化をマインドを崩さず、采配する難しさを明るく事も無げに語る、ポジティブの塊のようなリーダーだ。

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人間味に魅かれて入社しました。

根本 学生時代からオートバイにお乗りで、ヤマハ好きと伺いました。バイクファンはそういう社長と聞くだけで嬉しくなっちゃう。

日髙 大学に入って原付の免許を取って、通学とかアルバイトに行ったり。で、楽しいじゃないですか。よし、大きいバイクに乗ろうって、合宿免許1週間で中型二輪の免許を取りました。すぐ名古屋の量販店さんへ行ってCBR見てた。そしたらお店のお兄さんが、今ねえ、ヤマハのがいいよって耳元で囁いたんです、当時FZ400Rが出たばかり、見たらデザインもいいし、それでFZ400R買いました。乗り始めたらもう原付とは全然違うじゃないですか。
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大学時代のFZ400R

根本 よくアリの話しですけれど、日髙さんの場合はそこに運命の大きな第一歩があった......。

日髙 楽しい大学生活、バイクライフを楽しんいるうちに就職の時期になって。僕はオートバイは、趣味で乗ってるのがいい、仕事にしちゃったら楽しくなくなっちゃうかもということで、基本的に選択肢にないと思ってました。

根本 そこまで明確にオートバイメーカーを考えてなかったのに、何があったんですか。

日髙 銀行や証券とかは性に合わないだろうな、地道にモノを作る製造販売、そういったところに行きたいってことで、大手鉄鋼メーカーや大手電気メーカーの就職試験を受けました。でも大学生活のほとんどを相棒として過ごした、ヤマハのFZをつくった会社も興味本位で試験を受けてました。いくつか内定もらって、僕は大手電機メーカーに行こうと思ってた。

根本  それがなぜ?

日髙 ヤマハ発動機も内定くれたんで、人事部に電話でお断りしたら、どこに行くのって言われ答えると、大手電気メーカー、そりゃそうだよねってすんなり許してもらえました。でもしばらくしてまたヤマハ発動機の人事部から電話がかかってくるわけです。どう、元気?みたいな感じで。気が変わった?とか言われて、気が変わるわけねーだろとか思いながら、なんてフランクな担当者なんだろうと。大手鉄鋼メーカーだと矢のような質問にスパスパ答えられないとダメって感じで、そんな人事もある一方で、ヤマハ発動機ってなんてフラットな雰囲気の会社なんだというのが印象的で、ふと考えたんですよね。もしかしたら、ヤマハ発動機はオートバイを仕事にしても、楽しく仕事できるかもしれんと。じゃ次に電話かかってきたらヤマハ発動機に鞍替えしよう、電話なかったらそれが縁ということで......。

根本 そんな賭けしてたとは!

日髙 そしたら電話かかってきたんです。わかりました、ヤマハ発動機行きますって言ったら、逆に向こうが「えっ! いいの? 大丈夫なの?」て感じで、いや、あんたが誘ったんでしょみたいな話で。

根本 そんなどんでん返しがあって、入社後はいかがでしたか?

日髙 想像してた社風はもうその通り。厳しさが全くないわけじゃないけれど、でもとても人間味がある感じでしたね。最初の配属は調達部門。日本で5年、フランス工場で5年部品調達をやりました。戻ってオートバイ事業の戦略プランニング部門を5年、そして6年間ヨーロッパの経営全般の戦略系部門。日本へ帰任して全社のグローバルな経営企画部門というとき2008年のリーマンショック。事業再建を2010年からアメリカでやって3年で戻りました。そして新興国二輪事業の責任者としてインド、中国、ブラジルなど中南米、加えてASEANまで拡げ先進国もついでに見ろとかで4年。そのあと突然全社の数字を見ろと、企画・財務本部長を1年やったのかなァ。当時の柳社長から呼ばれ「次、君にしたから」って言われたのが2017年の6月。それで2018年社長になって、現在に至る。そんなヒストリーです。

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ライダーだったらご一緒にライディングしたほうが通じ合えるとお願いしたら、最新R1Mをサクッと危なげなく操る経験値に唯々感動


他はやらないけれど、ウチはやりたいよね、でつくってしまう。

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バイクの深い話しになると詳しい超ライダーへと豹変する

根本 海外のキャリアが長くていらっしゃるんですね。

日髙 おかげさまでヤマハ発動機は世界中にお客様がいて、製造拠点もあって色々な機能を張り巡らしてます。考え方とか、ニーズとか、使われる環境とか、違いがあるのを実感しながら仕事できたのは、グローバル企業を経営する上で大事です。聞くと見るとでは大違い、ダイバーシティ&インクルージョンが流行り言葉になってますが、肌感覚で理解できるよう会社が色々なオポチュニティを与えてくれたのには感謝してます。

根本 まさしく日髙さんのバイクキャリアと同じで、まずは生活、便利に乗っているうちに、もうちょっと面白いほうへ、ライフスタイルで繰り返し進化しますよね。

日髙 海外の機関投資家から、あなたの経営スタイルはと聞かれ、あれやこれやを話したとき、君の会社はね、もう明らかにエンジニアパラダイス、やりたい放題と言われました。確かにあなたの指摘通りかもしれないけれど、それをお金払って、ヤマハらしいねって言ってくれるファンも、世界中にいるんでと答えました。

根本 ヤマハらしさですね、リーダーからそれを聞くと頼もしい。

日髙 非日常の商品作ってるわけじゃないですか。極端な話、ウチがこの世からなくなっても、困ったりしないだろうっていう趣味のものばかり。原付が生活道具の方もいらっしゃるので100パーセントではないものの、425馬力の船外機って本当に必要? もしくは今日、根本さんと乗ったR1も、この性能を市販する必要あるのかと、でもいいじゃん、楽しいじゃん、欲しいじゃん、みたいなものを作ってる。お客様の期待がどこにあるのか、他はやってないけれど、やってみようみたいなことは社内でよく議論してます。

根本 その趣味性で話すと、EVが二輪だと楽しみが奪われると心配するファンもいます。

日髙 ヤマハはパッソルで初の電動スクーター出して、最近もE-Vinoでお客様の様子を見ています。カーボンニュートラルの目標値もあるし、どこかでタイミングも来るんで常に進化させつつその準備はできている。スポーツバイクの領域のEVも僕は乗って面白いのを実感してます。でもインフラ整備など進まない限り、趣味のバイクでお客様がガソリン車で享受できている楽しさ、利便性、そういったものは、まだバッテリーでは無理だと思います。

根本 なるほど。ご自身でもR1乗ってらっしゃるわけで、生活道具ではないほうのヤマハのオートバイが、こういう時代にどこを目指して、何を面白いって言わせるのか、とても気になります。

日髙 コーナーをリーンしながら「人機一体」の気持ちよさをわかってもらいたいなと。もっと安全にもっと楽しく、三輪のソリューションを技術的に成立させたし、二輪でも例えばモトロイドみたいなもので自立も研究してます。あのひらひら感を、より多くの人が楽しめる方向に、新たな技術開発が進んでいったらと思いますね。

発、悦、信、魅、結、5つを共有して磨いて、
ヤマハをもっとヤマハらしく。

根本 そうした意味も含め、これから目指すヤマハらしさとは、どうあるべきとお考えですか?

日髙 ヤマハらしさってなんだろうってことを、世界中の拠点長たちと議論したり、社員の意見を聞いたり、それをまとめると5つのことが大事だねと。ひとつは漢字で表すと『発』、発明の発ですね。新しい価値を生み出そう。世の中にないサムシング・ニューって大事だよね、またヤマハ、おかしなことやってきたわ、みたいな新しい価値を提案していくそれがヤマハに期待されている。次は『悦』と『信』。悦楽の悦はワクワクする喜び、そういったものを感じられなかったらヤマハの製品じゃない。信頼の信は、人の命を預かる、トランスポーター、モビリティを作ってる以上、品質だとか、そういったものをきちっと作り込む信頼性は欠かせない。それから『魅』、魅力の魅ですね。これは、見た瞬間に、ああ、これ欲しいって思わせるようなデザイン、その面の美しさであったり、全体のシルエットの美しさであったり、人々の五感に訴える、そういったデザインの良さ、これも、長年ヤマハが大事にしてきた価値です。最後は結合の『結』です。これはヤマハ発動機って、やっぱりウエットな会社なわけです。部品メーカーさんとのお付き合いの仕方、販売店さんとのお付き合いの仕方、レース活動でも、ライダーとの付き合いのありかた、すべてにおいてヤマハ発動機ってウエットなところがある。そういった、人と人との結びつきっていうのを、大事にずっとやってきた。一番最後に大事なのは、お客様との結びつき、気持ちが外に向かって開いていれば、色々なところと結びつく、そういった素直さがヤマハ発動機の社風としてのいいところ。この5つは大事にしていこう、徹底的に社員として共有して、もっと磨いていくことでヤマハがもっとヤマハらしくなって、ヤマハファンがもっとヤマハを好きになってくれる、そんな好循環に繋がればいい。ヤマハだったらこうあるべきを守って磨いていきたいと思います。

根本 日髙さんが入社時に感じられた、ヤマハらしさに繋がりますね。ありがとうございました。


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2008年に戻ったとき、どうせ買うならでっかいの欲しいなと思って、運転免許教習所に行って、すぐに大型の免許取って、ちょっと怖いけど2007年式のR1を買ったんです。1,000ccバカ重くて、大変だろうなと思ったら、重さは昔のFZ400Rと変わらない。パワーだけむちゃくちゃ出るけど、ブレーキむちゃくちゃ効くし、むっちゃ倒れるし、FZ400Rよりも全然乗りやすいじゃん、こっちの方がとびっくりしちゃって......その後アメリカ行って戻ってきたらR1がフルモデルチェンジすると聞いて、半年ぐらい待ってR1M買って、そしたら、さらに軽くなって、また進化しとるやないかと、びっくりしますね、あれはどうなってんだって......バイク談義では日髙さんフツーのライダーになる

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社長がYZF-R1Mのオーナーで、自社がエンジニアパラダイスと認識するメーカーが生み出す趣味性は濃くて当然だ


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根本 健(ねもと・けん)RIDE HI プロデューサー
1948年生まれ。1973年全日本ロードレース750 ccチャンピオン、1974~1978年に世界GPロードレース転戦。帰国後バイク雑誌の編集長に就任。以後、趣味誌を中心に創刊多数。台湾でも出版活動を経験してきた。鈴鹿8時間耐久レース、ルマン24時間耐久レース、デイトナAHRMA ビンテージレースなどを楽しんできた。
2020年『RIDE HI』を雑誌・WEBで同時に立ち上げ、YouTubeでは人気チャンネル「RIDE LECTURE」やトーク番組など多数企画出演中。
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2021年7月14日

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