ソルティライフ ソルティライフ
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イラスト・Tadami
いつでも潮気のある生活を過ごしたい。
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MONTHLY COLUMN 本船は、出港しようとしている。全員帰船されたし。
キャビンの棚 自分の弱さを認めた上で聴いてみたい「声」
船厨 海へのお弁当にいかが?「鰺の棒寿司」
海の博物誌 細魚のような女性とは?
Salty Who's Who 夢は歳をとらない
YAMAHA NEWS

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MONTHLY COLUMN
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 3月27日から29日までの3日間、静岡県・浜名湖の三ヶ日青年の家を会場に小学生から高校生までを対象としたセーリングレガッタ「YMFSセーリングチャレンジカップ」が開催された。春休みを利用したジュニア&ユース世代の育成を目的に毎年開催されており、今回で20回目を数える。3日間ともなかなかいい風が吹き、ジュニア&ユースのセーラー達は日頃の練習の成果を思う存分発揮していた。
 OP級、ミニホッパー級、シーホッパー級SR、FJ級の各クラスで熱戦が繰り広げられたが、そんな中、FJ級のレースに一人だけ大人が参加していた。福島県立いわき海星高校ヨット部の顧問、斉藤道明先生である。
 「我が校のヨット部の部員は3名なんです。2人乗りのFJ級だと1名レースに参加できない。それで運営にお願いしたらオープン参加(公式に成績はつかない)しても良いといってくれたので、1年生をクルーにして参加しました」(斉藤先生)
 昨年発生した「東北地方太平洋沖地震」から1年がたった。
 いわき海星高校のある小名浜は、津波によって大きな被害を受けた。活動場所だったマリーナは壊滅し、ヨット部も活動どころではないと思われた。そもそも学校自体も大きなダメージを受けてしまった。
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 しかし、同校のヨット部は、2ヶ月後には活動を再開することができた。活動場所を福島県内の猪苗代湖に移し、厳冬期となってからは茨城県の霞ヶ浦に移した。毎週末、片道1時間半の道のりを先生が運転してマリーナに通っている。
 津波で被害を受けた学校のヨット部が海で活動を再開することに躊躇はなかったのだろうか?
 「それはありませんでしたね。むしろ校長をはじめ、学校はどんどんやれ、と」
 いわき海星高校は旧・小名浜水産高校。水産関係の授業の他、現在ではマリンレジャーやマリンスポーツ関係のコースも備えた、海に生きようとする若者を教育する高校だ。海から目を背けることは、学校の存在意義を否定することになる。そして、さらに同校の士気を奮い立たせるある出来事があった。
 震災後、大きな被害を受けた同校で、職員が集まり片付けを始めたのが2週間後。そのときに校庭のがれきの中から見つかったのが実習室から流された一枚の国際信号旗(船舶で通信に利用される世界共通の旗)だった。
 「それが“P旗”でした。港で単体で使用する際、それは“本船は、出港しようとしている。全員帰船されたし”の意味があります。それがきっかけとなって“P旗プロジェクト”が立ち上がり、文字通り、いわき海星高校の復興への旗印となったんです」
 今大会には同じく福島県から「いわきジュニアヨットクラブ」の小学セーラー2人も参加した。同スクールもレスキューボートなど活動に必要な資材を全て無くし、活動休止状態だが、それでも今回のような大会があるたびにできる限り参加してセーリングを続けてきた。レースではほとんどぶっつけ本番だったこともあり成績こそふるわなかったが、参加した2人は小学生最後の春休みのヨットレースを懸命に走り抜いた。
 今大会では主催者がなるべく被災地のセーラーにも参加できるようにと旅費やヨットの運送費を支援するなど方策を打ち出し、声をかけてきたのだという。結果、岩手県の宮古、福島県のいわきから4クラブがこの浜名湖のレースに参加した。
 津波の影響でマリンレジャーやスポーツを敬遠している人も増えているといった話しも耳にする。しかし、被災地の海を愛する人々、マリンスポーツ愛好者達は今も海と向き合い、その魅力を取り戻そうとしている。

撮影:松本和久

田尻 鉄男●たじり てつお
外洋帆走部に所属しクルージングに明け暮れた大学生活、1年間の業界紙記者生活を経て、88年、プロダクションに入社。以来、日本のボーティングシーン、また沿岸漁業の現場を取材してきた。1963年、東京生まれ。



キャビンの棚
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「声」
幹(MIKI)
発売:ラップランド/MIKI MUSIC
販売:バウンディ
定価/¥2,200(税込み)
 日頃、家庭をほったらかして海とボートやヨット、そして釣りにうつつを抜かしている御仁の意見はさておき、人にとって結婚とは、誕生に次ぐ人生最大の歓びのイベントである。夢と希望に満ち、祝福に包まれる。でも花嫁とその両親との間には別れという少し寂しい思いも交錯する。ひょっとしたら新たな生活への不安も少しあるだろう。結婚は愛情だけでは成り立たない。すべてを乗り越えようとする決意も必要だ。
 そんな結婚の舞台となる式場のCMソングに、宮城県の蔵王に暮らしながら活動するシンガーソングライター・幹(MIKI)の歌が使われている。「ハレル夜」と「光」。それぞれ宮城県と岩手県の結婚式場のローカルCMなので、ほとんどの人にとってはまだ馴染みがないかもしれないが、誰が歌っている曲なのかと話題になったらしい。
 幹の公式サイトのプロフィールには「“もがき”と“いやし”が同居する声」とあった。その通りだと思ったが、ファーストアルバム「声」に収められた曲と詞から受けた印象は、それ以上に強い「励まし」と歩みへの「後押し」だった。先述したCMソングの他、「ジェントルライオン」「表現者」、そして4年前の岩手宮城内陸地震をきっかけにつくられた「ランプ」など、自分の弱さを認めた上で聴いてみたい。
 3月に横浜で行われたジャパンインターナショナルボートショーでは「東北元気プログラム」と題した特別プログラムが繰り広げられていたが、幹は東北出身のシンガーとしてステージに立っている。小欄が駆けつけた時に聴いたのはカバー曲の「埴生の宿」と「卒業写真」。これまでに何度も耳にしてきた曲なのに初めて涙が出た。後から何人かと話しをしていたら、同じく涙を流した男が多数いることが判明した。
 震災で破壊された故郷を思う人々や、卒業式のただなかに被災した生徒らに想いを馳せてしまったこともあるが、それでも涙を流す引き金となったのは、幹の偽りのない透明な「声」だったように思う。その声は「励まし」に「優しさ」を加えている。



船厨
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 旅行でもクルージングでも同じだと思うのだけれど、その魅力の多くを占めるのは「食事」ではないだろうか。クルージングならば行った先の美味いものにありつく喜びは何物にも代え難い。さらにいえば、船上で美味い飯が作れるかどうかは、シーマンシップの多くを占める大切な要素だとも思われる。決して凝った物でなくてもいいが、気の利いた船上の食事は、海での時間をより楽しくしてくれる。
 セーリングクルーザーのオーナーでもあったある先輩は、ある日のデイクルージングで、ランチタイムになると舵を他の者に預け、ひょいっとドッグハウスに潜り込み、バケットと生ハムと美味いチーズを使ったお洒落なサンドイッチを作って出してくれたものだ。その時はこんなオールドソルトになりたいと尊敬の念を深めた。
 いまはお花見シーズン真っ盛りなわけだけど、ボートで出かけたところで食事がコンビニ弁当では、桜も色褪せてしまいそうだ。さっさっと船上で何かこさえてあげればゲストにも喜ばれる。もしくは予め作ったお弁当を作って持って行ってもいいかもしれない。
 次のクルージングのときに持って行ってみようと、試しにそろそろ旬となる鰺を使って棒寿司を作ってみた。刻み生姜を載せてみたけれど、これに桜の花びらがひらりと舞ってくれでもしたら最高なのだが。
「鰺の棒寿司」の作り方
■材料(1本分)※写真は1.5本
アジ(三枚おろし)8切れ、塩小さじ1、みりん50cc、酢1/2カップ、醤油小さじ1、砂糖大さじ1、米1.5合、寿司酢 適宜、生姜2かけ
■作り方
1)皿などに塩小さじ1/2をふり、その上にアジを載せ、さらに塩小さじ1/2を振り、ラップして冷蔵庫で2時間ほど寝かせる
2)みりんを鍋で沸騰させ煮きっておく
3)2を冷ましてから酢、醤油、砂糖入れて混ぜ、ビニール袋の中で生姜の薄切り、1のアジとを混ぜ合わせ、冷蔵庫でさらに4時間ほど寝かせる。
4)酢飯を作り、それを巻きすに載せ、酢飯の上に3のアジをまんべんなく並べ生姜を載せる
5)巻きすで巻いて、強めに抑えた状態で輪ゴムなどで止め、室温で半日ほどおいて出来上がり



海の博物誌
 魚偏に春と書いてサワラ。いかにも春が旬の様に思ってしまうが、関東では1、2月、関西では5月ごろが旨いとされている。そこで、春が旬といえば、やはり細魚(サヨリ)だ。
 このサヨリ、刺し身、天ぷら、酢の物なんでもいける。純白の肉身にして味は上品で淡白。木造雨戸のカンヌキに似ているところから、東京では、長くて、力のありそうな細魚をカンヌキという。
 だから細身の見かけによらず、力のある女性のことを細魚のような女性といった、わけではない。
 細魚を開いてみると、その腹腔膜はスマートな容姿から想像できないほどに黒い。
 イカの墨でも飲み込んだかと思わせるほどだ。そこで腹黒い魚といわれ、それが捩れて腹黒い女性のことを「細魚のような女性」と例えたわけだ。ただしこの場合、その女性はあくまで細身の女性に限られることをつけ加えておく。



Salty One Day Boating
立尾征男さん
艪漕ぎボートによる米大陸~ハワイ横断航海
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 立尾征男さん。昭和16年生まれの71歳。北九州市生まれで今は静岡市に住んでいる。昨年の6月から8月にかけてトランスパック・ヨットレースとまったく同じコース、アメリカのサンディエゴからハワイに至る2200マイルをひとり、船で渡った。スタートからフィニッシュまでほぼ追い風で、快適なロングディスタンスのヨットレースとして多くのセーラーが憧れるコースだが、立尾さんはその約4000キロをセールもエンジンもない、ヨットを改造した20フィートの艪漕ぎボートで48日間かけて走破したのだ。
 ハンディGPSと海図で日々自船位置を確認していった。サンディエゴからスタートした当初は「計画通り船が動かず、また駄目かと思った」そうだが、風と潮、波に乗ってからは計算通りにボートが走り出した。1日18時間艪を漕ぎ、それ以外は特注のシーアンカーをふたつ流して睡眠を取った。体力的にきつい航海で「スーパーで買い物をする」という同じ夢を何度も見た。
 目的を達成したハワイではワイキキヨットクラブのメンバーをはじめ多くの人々から手放しで歓待され、ハワイのテレビや新聞ではその快挙が報じられた。立尾さんは約1ヶ月間ハワイに滞在し、スーパーで本物の買い物もした。


 37年ほど前に大阪に住んでいたころ、立尾さんは琵琶湖の近くに仕事で出かけ、ひょんなことからできた空き時間にたまたま近くにあったマリンショップに入ってみた。そのとき飾ってあったのがヤマハの「JOG21」というセーリングクルーザー。その場で「これください」といって購入した。それがヨットとの出会いだ。それまでヨットには乗ったこともなかったが、その乗り物はこの男の冒険心に火を付けた。
 「俺の若いころは汗をかいて遊ぶことしか知らなかった。最初は自転車に凝って富士山に登ったり、いろいろなことをしたけれど、つらいことがあって酒浸りの時にヨットに出会い、夢中になった」
 とはいえ、立尾さんは我々が通常思い描く、つまり気持ちがいいとか、綺麗だとか、そういった海の魅力を「そんなんじゃないんだよ」と否定する。海とヨットはあくまでも冒険の場であり、夢を追う道具になった。
 1991年にはシングルハンドで太平洋往復横断を達成、1994年には関西空港開港記念環太平洋ヨットレースに出場し、上海から大阪のレグに視覚障害者を乗せて参加した。2000年から翌2001年にかけては東回り単独無寄港世界一周を達成している。日本人としては5人目、当時の世界最高齢記録だった。多くの冒険家セーラーに比べて、その快挙があまり表に出ていないように感じるのは、スポンサーを付けていなかったからかもしれない。金をかけて広報する者がいないとニュースになりにくいのが現実だ。
 艪漕ぎボートによるチャレンジは当初、日本からアメリカへ向かう計画だった。ところが2004年、2008年と二度続けて失敗した。救助を要請することとなり、皮肉にもそれはしっかりとニュースになった。だが、それらの失敗からは多くのことを学んだ。今回はコースを見直し、ボートも徹底的に改造した。経済的なスポンサーはいないが、静岡には理解者と見守ってくれる仲間が増えた。
 その一人、静岡市の楠田芳広さんは「70歳という年齢で普段は普通に仕事をし、2度の失敗から学びに学んで冒険を成功させた。やればできるということを教えてくれ、いろいろな人に希望を与えてくれた」と、立尾さんの冒険の成功を嬉しそうに、わがことのように語っている。
 艪漕ぎボートでの冒険を終えた立尾さんはいま、ヨットによる西回りでの単独無寄港世界一周を夢見ている。
 「年齢など現実的に考えて次の冒険が最後になると思う。できれば25フィートぐらいのヨットでやりたい。頑丈な船で金をかければ簡単にできるかもしれない。でも、冒険としてやるからには、世間をあっと言わせたい」
 危険だから止めろと口で言うのは簡単だが、冒険とは“危険な状態になることを承知の上で、あえて行うこと。成功するかどうか成否が確かでないことを、あえてやってみること”である。立尾さんはインタビューの最後に次のように語った。
 「形ある物は、いつかは壊れる。人間も生きていれば勝手に歳をとっていく。けれどな、夢は決して歳はとらない。わかるか?」
 なぜやるのか─、理由を聞いても我々には理解できないことなのかもしれない。でも、それが冒険者と呼ばれる人の夢であり人生だ。

(取材:編集部/写真提供:舵社)



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【編集航記】
 巻頭エッセイでも紹介されている浜名湖で開催されたジュニア&ユースのヨットレースはおおむね良い風に恵まれましたが、実は大会中に20m/s近い突風が約20分にわたって吹き渡るというアクシデントがありました。ベテランの運営スタッフによる落ち着いた対応で事故には至りませんでしたが、レースはキャンセルとなり、自力で帰港できない選手たちはアンカーを打ってレース艇を離れ、ボートでマリーナに一時帰港しました。暖かな陽気に包まれる春は天候の変わりやすい季節でもあります。無理のない航行計画を。
(編集部・ま)
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