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YAMAHA RACING for Life Vol.2 森岡泉美選手

YAMAHA RACING for Life

1957年の浅間火山レースや1961年からの2輪世界GP参戦開始に始まり現在に至るヤマハとモータースポーツの密接な関わり。
60年以上に渡って世界中に熱狂と感動を届けてきたヤマハレーシングのDNAはレーシングカートの世界にも拡がり続けています。
ヤマハレーシングカートエンジンで「非日常」を楽しみ、「スピード」に魅せられたドライバーの想いや夢にフォーカスしたインタビュー”YAMAHA RACING for Life”をお届けします。

Vol.2 森岡泉美選手

「部活動としてカートレースに挑む女子高生ドライバー」

3才の時から、兄妹でカートに乗り始めた。
休日はずっと家族でサーキットにいて、それが何よりも楽しかった。
いつまでも越えられない兄の存在から逃げたりもしたけれど、
高校生になった今は、決意も新たに、学外部活動としてレースに取り組んでいる。
学校の、友人の、そして何より、家族の応援を受けて。

乗り物好きな家族と

カートに乗るきっかけはバイク好きのお父さんと、スポーツカーに乗っていたお母さんです。
2つ違いのお兄ちゃんが先に、私は1年後に始めました。3歳の時でした。初めて乗った時は音が大きくて怖いなと思ったけれど、走るのは全く怖くなくて、最初からアクセルをブンブン踏んで走ったので、これは天才肌だと口を揃えて言われたそうです。親のDNAを受け継いだのでしょうか(笑)。
お父さんが初心者用のキッズカートについているロープを後ろから一生懸命引っ張って、私のカートを止めている写真があって、あぁこんなこともあったなあって思い出しますね。

それからは、名阪、北神戸、たからづかなど、毎週土日は必ずどこかのサーキットに練習に行っていました。
友達が遊びに行ってても、私は家族でサーキットにいる方が楽しくて、全く気になりませんでした。
でも、お兄ちゃんの方が努力家で、先に始めたこともあって圧倒的に速いんです。
私も頑張ってやってるのに、天才肌は簡単にできるようになるからいいなとか言われるし、お兄ちゃんには敵わないし、それはずっと悔しかった。
実は、中学に入ったときに一度カートをやめたんです。学校で部活が必修で、両立できないというのが直接の理由でしたが、本当は悔しさが原因でカートから逃げたんです。

中学校で入ったのは陸上部。元々運動は得意だったこともあり、1、2年生の時に県大会に出場するなど実績を残しました。運動部の上下関係も、小さいころからカートで大人との関わりが多く、挨拶などの礼儀が身についていたので、むしろ緩く感じるくらいでした。充実していましたが、苦しい時にはやっぱり「あぁ、カートに乗りたい!あのスピード感を味わってスッキリしたい!!」って思っていました。

学外部活制度との出会い

カートをまたやろうと思ったのは、高校進学の説明会で志望校に学外部活動制度があることを知った時です。
もちろんカート部はありませんでしたが、ここならカートができるかも!と決意しました。
入学後には申請のため、レーシングカートのことやレースのこと、自分の実績などをまとめ、パワーポイントを使って説明。先生や学校に認められ、今ではレースウィークの土曜日の公欠扱いや、レース費の補助、上位獲得時には全校集会で表彰されるなどのバックアップをして頂いています。
レーシングカート部として、学校のパンフレットにも載せてもらったんですよ。
女子高なんですが、友達もレースの動画配信を見てくれていて、カートに乗ってみたいという子まで出てきました。周囲にわかってもらえる、応援してもらえるっていうのは本当に嬉しいです。

復帰するにあたっては、今度は絶対に逃げずに本気で努力してみようと思いました。
これまでとは違い、フレームやエンジンのことなども勉強したことで、セッティングについても細かいコメントができるようになりました。
今ではお兄ちゃんにもよく教わります。昔はライバルであるお兄ちゃんに聞くなんて絶対嫌だったんですが、お母さんから「速くなるためには使えるものは使え」と言われまして。
私は行き詰まったら車に逃げ込むタイプなんですけど、今はそこでぐっと考え直して、お兄ちゃんに電話します。顔を合わせると言い合いになってしまうので、車とピットで電話(笑)。レース前日は大抵、喧嘩状態になってるかな。でもいつもすごく励ましてもらってるんですよ。

復帰2年目の挑戦

復帰してからはフェスティカサーキット瑞浪のSLシリーズに参戦しました。ヤマハKT100エンジンを使用するクラスに参戦しているのは、台数も多いし、ダイレクトドライブのカートに乗ると勉強になるからというお父さんの意向です。
ただ、セカンドチャンスヒート(敗者復活レース)に出場することになった時には焦りましたね。
我が家初の予選落ちの危機に、必死で走ってギリギリ通過。お母さんは帰り支度を始めるし、すごいプレッシャーでした。

復帰2年目となる2018年は、SLシリーズに加え、ピリピリとした空気の中で揉まれながら経験が積めるということで、JAF地方カート選手権FP-3部門に挑戦しました。今まではそこまで考えていなかったようなことまで、自分には何が足りないのかを真剣に考えるようになりました。そうしたらSLレースでも結果が出るようになって、成長できてるのかなと。色々なコースを転戦することで新しい経験も目標もできました。
今の課題はレースの組み立てです。私、前に追いついたらすぐに抜いてしまうんですよね。
後先を考えて走れるようにと、いろんな人に教えてもらいながら取り組んでいます。

体力面ではやっぱり男の人には劣るし、接触したら当たり負けしやすいところはあります。
でも、ヘルメットを被っている時には女の子としては見てほしくないんです。トレーニングもしていますよ。
筋トレは一時やり過ぎてしまったので、今はランニングをメインに身体を作っています。
女子としては首と肩が太くなるのが気になって、肩出しの服が着られないのが悲しいです。腹筋は鍛えられてるから、お腹出しの服はオッケーですけどね(笑)。

将来はドライバーを支えながら、家族一緒に楽しみたい

高校3年生になる2019年は、違うレースシリーズで新しい目標に挑戦をと思っていますが、学校の勉強も頑張らないと。私、高校を卒業したらカートはお休みするつもりなんです。
専門学校に行って、整体師になりたくて。

長年、身体のメンテナンスをして頂いている整体の先生がいらっしゃるんです。スポーツをする上での筋肉の使い方や、休息の取り方など、身体のコンディションのためにダメなことはダメとはっきり仰る厳しい方ですが、先生に支えてもらう内に、私もこんな風にドライバーの身体を診てあげたいと思うようになりました。
最近、サーキットに来てレースの間に施術してくださる整体師さんがいらっしゃいますよね。あのイメージです。

専門学校でしっかり勉強して、大人になったらまたレースに戻ってきたい。
整体師としても、ドライバーとしてもです。カートはもちろん、箱車のレースにも興味があるし、そうなったらお母さんとも対決してみたいな。あっ、お母さんはカートにも乗りたいって言ってるんですよ。
これは絶対に負けられませんよね(笑)。
将来は趣味として、家族でずっとレースを楽しんでいけたらいいなと思っています。

聞き手・文/レースアナウンサー 稲野一美

森岡泉美兵庫県出身 17才 高校2年生(2019年3月現在)

2018年JAF地方カート選手権FP-3部門 西地域 に転戦し、ランキング2位を獲得。
所属:Ash(愛知県)
ホームコース:フェスティカサーキット瑞浪(岐阜県)

※SLレースとは、スポーツ&レジャーを旨としたヤマハKT100エンジンを使用するカートレース。40年以上の歴史と国内最多の参加台数を誇る。

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