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なぜWIREDは「リジェネラティブ」を追うのか。未来の社会OSは、自然と科学の間に芽吹く

『WIRED』が近年継続して展開する「リジェネラティブ」を軸とした特集。日本版編集長・松島倫明さんにその理由を聞きました。

2025年5月30日


1990年代、デジタルテクノロジーの革命とともに創刊され、“未来をプロトタイプするメディア”としてテックカルチャーの未来像を追いかけ続けてきた『WIRED』。そんな同誌の日本版が、近年特集し続けるテーマが「リジェネラティブ」です。

RePLAYでは「地球がよろこぶ遊びをつくる」というコンセプトのもと、社会にまだ根付いていない価値観をかたちにしようと試行錯誤を続けています。その中で、自然との関係を見直し、よりよい循環を再構築しようとする思想——いわゆる「リジェネラティブ」のアプローチに、強く惹かれていきました。

だからこそ今回、その先駆者である『WIRED』が、どのような視点でこのテーマを捉えてきたのか、聞いてみたいと考えました。

20世紀の延長線上にいるわたしたちが、まだ描き切れていない未来。生成と変化をくり返しながら、これから芽吹いていく世界の可能性をどう描けるのか。その鍵を握る実践と本質について、『WIRED』日本版編集長・松島倫明さんに話を伺いました。

話を聞いた人:松島倫明さん/『WIRED』日本版編集長としてWeb、雑誌、動画、SNS、イベントなどブランド全プラットフォームのコンテンツを統括。同時に内閣府ムーンショットアンバサダー、NEDO技術委員、DEFENDER AWARDS 2025パネリスト、ACCデザイン部門審査委員を務める。NHK出版学芸図書編集部編集長を経て2018年より現職。21_21 DESIGN SIGHT企画展「2121年 Futures In-Sight」展示ディレクター(2021年)。訳書に『ノヴァセン』(ジェームズ・ラヴロック)がある。東京出身、鎌倉在住。

シェフの重要性から得た、リジェネラティブという視座

WIREDが「リジェネラティブ」というテーマに継続的に注力した経緯を教えてください。

「リジェネラティブ」というキーワードを最初に扱ったのは、2021年に特集した「FOOD:re-generative」ですね。この号では「シェフ」に着目しました。彼ら彼女らを単なる料理のスペシャリストではなく、生産者と消費者をつなぎ、文化や人の意識を変える力をもつ存在として、描こうとしたのです。

巻頭インタビューでサステナブル農業の提唱者としても知られる米国のスターシェフ、ダン・バーバーを起用したことにはどんな意図が?

リジェネラティブな食を特集する上で、例えば農家ではなく「シェフ」を中心に据えて考える重要さに気づかせてくれたのがダン・バーバーでした。彼は自らを“革命家”と称し、「Farm to Table(産地とキッチンを直接結び、地元の有機農家を支えるという考え方)」のムーブメントを牽引してきた人物でもあります。

ところがバーバーは、そうした取り組みを推進してきた本人でありながら「それでは環境問題の根本的な解決にはならない」と、あえて異を唱えるような主張を展開しているんです。

「農場から食卓へ」では甘い、と。

バーバーが指摘したのは、「Farm to Table」では依然として、“消費者の求めるものを生産者がつくる”という構図が変わらないという点です。彼は、「これからの農業は、地域の生態系に沿った作物を育てることが重要だ」と語っています。つまり、消費者が今欲しいと思っているものだけを、土壌の肥沃さを犠牲にしながら好き勝手に生産することは、もはや許されないということです。

だからこそ、「おいしい」という価値観をつくり、そのための新たな調理方法を提案できるシェフこそが、地球と食と生活者をつなぐ存在になり得るのだ、というのがバーバーの主張です。

シェフが次の社会をつくっていくと考えたんですね。

ここ十数年、サステナブルな食の文脈では「オーガニック」や「Farm to Table」といったテーマが語られてきましたが、僕自身、このバーバーの考えを知って、そこからもう一歩踏み込んで考えなければ本質には行き着かないという意識がありました。そうした中で出会ったのが、環境再生型農法(リジェネラティブ・アグリカルチャー)であり、その根底にある「リジェネラティブ」という考え方に、自然と関心が向かっていったんです。

「自然の再生」にとどまらない、リジェネラティブの拡張

そこから、リジェネラティブの概念を「会社」や「都市」へと拡張した特集が組まれていきますよね。

近年、「リジェネラティブ」という概念は、ヨーロッパを中心に議論が進み、ダボス会議などでも継続的に取り上げられています。しかし未だにそのスコープが「自然環境の再生」の文脈にほぼ留まっているのが現状です。

WIREDが捉える「リジェネラティブ」は、それだけではありません。都市に自然を取り戻すことはもちろん、人と人とのつながりや文化的な営みなど、社会のあらゆる側面に再生の契機があり、それらが相互に結びついてこそ、リジェネラティブの本質だと考えています。

だからこそ私たちは、自然環境の再生も含めて、それに留まらずに社会のあらゆる資本、つまり自然資本や文化資本、社会関係資本といった多様な価値を再生する包括的な仕組みをつくっている企業や事業活動を「リジェネラティブ・カンパニー」と定義しました。

リジェネラティブ・カンパニーの三原則

こういった定義を行う上で、どのような視点を大切にされましたか?

上記の定義の3番目、「経済や社会の仕組みそのものに介入し、変えていけるか」という視点は、慎重に議論を重ねました。

例えば、環境再生型をうたうプロダクトがあっても、それが極めて限定的な条件下でしか実際に機能しないのであれば、それはシステムにまで介入できていないわけです。3R(リデュース・リユース・リサイクル)やアップサイクルで最もチャレンジングな点は、製品づくりよりも、社会がそれを継続できる仕組みづくりの方であって、そこに取り組まない限りはいかに優れた環境再生型プロダクトであろうと、本質的な変化を起こすものとは言い難い。

2番目にあるような「多様な資本を生み出す」ためには、個別の対応ではなく、構造そのものにまで踏み込めているかが重要なんです。そうした観点に立ったときに、個々の取り組みをどう評価し、応援すべきかどうかについて、アドバイザーの方々と一緒に頭を悩ませる場面も、もちろんありました。

と、いいますと?

大企業でよくある話ですが、メインとなる事業は決して褒められたものではない、例えばサプライチェーンの上流ではグローバルサウスで環境破壊や低賃金労働による搾取構造がある場合に、それでも別事業や新しい事業として自然や社会の再生に取り組みを始めたときに、それを評価すべきかどうか、という点です。

この十数年で本当に社会は変わったのかと聞かれれば、いまや「SDGs疲れ」という言葉もあるように、少し疑問が残ります。それはなぜかと言うと、事業活動と社会貢献活動が連動していなくて、事業で稼いだお金で罪滅ぼしをするように自然や社会に貢献するやり方では、CSRが少し広がった世界にしかなっていないという事実を突きつけているわけですよね。

そんな状況から抜け出し、経済活動と自然資本や社会資本の再生活動の一致を本気で目指す事業体を「リジェネラティブ・カンパニー」と呼ぼうと。そうすることで、彼ら彼女らが今もっともイノベイティブな存在であると、より多くの人に伝えていきたいんです。

この流れで一つ伺いたいのですが、ヤマハ発動機のような営利企業が転換していく上での課題として、取り組みの評価方法があります。財務指標で測れないものを、どう扱うべきでしょうか?

多くの企業に共通する悩みですよね。評価指標がないと経営者や組織を説得できないし、組織にも定着していかない。とはいえ、未来を見据えて自社の製品やサービス、業態そのものを変えていこうとしている企業は確かに存在します。そうした取り組みはいわば“種”のようなものです。

その種をきちんと育てるには、企業単体の努力だけではなく、それを支える市場や制度、文化といったエコシステムそのものを耕す必要があります。最終的に自分たちに返ってくるという循環をどう作り、どう可視化していくか。その「評価のものさし」を作ること自体を、リジェネラティブな実践の第一歩にしてもいいのではないかと思います。

自然と科学を再接続する。「再生成」という本質

WIREDの一連の特集では、デジタルテクノロジーやサイエンス分野の事例や研究者の視点を積極的に取り入れています。リジェネラティブをより広く捉えていくうえで、こうした領域をどのように位置づけていますか?

前段として考えたいのが、「リジェネラティブ」という言葉がもつ本質的な意味合いについてです。日本語では「再生」と訳されることが多いですが、英語の「re-generative」の「generative」には「生成」に加え「生殖力」といった意味があります。

例えば、春の芽吹きは自然の生殖力によって促されます。そして、夏に茂り、冬に枯れたあと、また春に再び芽吹く、こうした季節のめぐりの中で繰り返される一連の循環こそが「再生成(Regenerative)」なんです。

つまり、リジェネラティブの本質は単発の再生ではなく、繰り返し芽吹き、生まれ直すための仕組みにあるということです。僕たちもまた、社会関係の中で新しい文化や遊びを何度も生み出してきました。人間そのものが太古の昔から「生成」と「再生成」の力を備え、使ってきたとも言えるでしょう。

それをデジタルテクノロジーに置き換えると、どうなるのでしょうか?

「Generative(生成)」という言葉は、生成AIの登場によって、今では多くの人にとって馴染み深いものになりました。あれもまさに生成力の一つです。

そもそもデジタルという仕組み自体が、無限にコピー/出力ができるという、再生成的な性質を備えています。つまり、デジタルテクノロジーは「生成」や「再生成」と元来非常に相性がいいんですね。

そして昨今、AIやディープテックをはじめとした、人間にとって大きな転換といえるテクノロジーが、いよいよ社会に合流しようとしています。デジタルが持つ新たな生成力を、社会の中でどうポジティブに活かしていくか。それが今、非常に重要な問いだと思います。

ただ、自然とテクノロジーは、しばしば対立するものとして語られがちのような気がします。

両者が依然として反目し合っている状況は、僕自身も実際に感じていますし、本当にもったいないことだと思います。

だからこそWIREDとしても、僕個人としても、両者の分脈をつなげることに大きな情熱を持っていますし、自然、科学・経済・文化といったあらゆる側面から「リジェネラティブ」を語るのは、本当に重要なことだと考えています。

サイエンスとリジェネラティブはむしろ地続きで、そうあることがかつてないほど重要になっている、と。

環境科学者のジェームズ・ラブロックは、1960年代に「ガイア仮説」を提唱しました。その中で語られた「地球は一つの生命体であり、人間活動による破壊から守るべきだ」という考え方は、以降、多くの環境活動家たちにとっての思想的な支柱となっていきました。

そんなラブロックが齢100歳にして上梓したのが『ノヴァセン 〈超知能〉が地球を更新する(原題:NOVACENE)』です。この本の中で彼は、「今後の地球上において、超知能(AI)こそが最も繁栄する種になっていく」と主張しています。

それはかなり衝撃的な転換ですね。

そう思いますよね。テクノロジーを否定的に捉えてきた一部の環境活動家の方々にとっては、ある意味はしごを外されたように感じるかもしれません。しかし、自身も科学者であったラブロックにとって、ガイア仮説とノヴァセンはむしろつながっているんです。

どういうことでしょうか?

ガイア理論の核心にあるのは「恒常性」という考え方です。例えば、人間の身体では、細胞が常に入れ替わっていても、全体としての機能は保たれていますよね。地球も同じように、生きやすい環境を維持するために自らを調整する力を備えていて、いわば一つの巨大な生命体として、その恒常性を保っていると考えられています。つまり、全体を構成する個々の要素は変化しても、全体としてはバランスが取れている。これがガイア理論の基本的な考え方です。

この視点に立って考えてみると、植物や動物といった自然と人間、そしてAIもそれぞれ種は異なっていても地球全体のバランスを保つための「生命システムの一部」として並列に捉えることができます。ラブロックにとってそれらは決して対立するものではなく、むしろ共存しながら地球の恒常性を支える存在だったんです。

地球を救う、次なるロックスターに光をあてる

そのお話を聞くと、テクノロジーに焦点を当ててきたWIREDが「リジェネラティブ」というテーマに踏み込んだのは、ある意味でとても自然な流れにも思えます。

WIREDの創刊編集長を務めたケヴィン・ケリーは、著書『テクニウム』で「テクノロジーも一種の生命の連なりであり、環境や人間との相互作用の中で進化していく」と述べています。これはラブロックの考えとも深く共振しています。

ケヴィン・ケリーといえば、60年代のカウンターカルチャーや環境運動に影響を与えた『ホール・アース・カタログ』の編集にも携わっていたわけですよね。その辺りも、やはりWIREDの思想と地続きだったのでしょうか?

そうなんです。自然とテクノロジー、そして科学が本来ひとつながりの存在であるという感覚は、ガイア仮説や『ホール・アース・カタログ』の時代から、ずっと底流としてありました。そしてWIREDもまた、テクノロジーを自然から切り離されたものではなく、人間や社会と共に進化していくものとして捉えてきました。この視点は「リジェネラティブ」の本質にも重なってくると思います。

だからこそ、今はまだ社会の周縁にあるかもしれないけれども、未来を変えていく可能性を秘めた小さな芽、つまり、既存の枠に収まらない新しい価値観や実践に光を当てていくこと。それが、メディアとしてのWIREDが果たすべき役割なのだと考えています。

実際、WIREDでは90年代に社会の周縁にいた“テックナード”たちを、メインステージに引き上げてきたわけですよね。

そうですね。デジタルテクノロジーやインターネットの登場は、人類が火を手にしたのと同じくらい大きなインパクトを文明にもたらしています。その変化にコミットする人たちこそが、次世代のロックスターになるのだと後押してきた。その側面は大いにあると思います。

その後、彼らは社会を実際に大きく変えていったわけですが、同時にそのことの“負の側面”も如実に出てしまったのが現在だと思います。結局のところ、ロックスターが必ずしも社会のことを深く理解できていたわけではなかった。それよりもテクノロジー主導の社会変革になってしまったわけですね。

そうした反省をふまえて、今は“みんなと手を携えて社会を変えていく人たち”を応援していくフェーズにある。

まさにその通りです。人間の負のインパクトを最小限にして、地球を本気で再生させるには、今僕らがどんな手段を選び、どう実装していくかを、実践的に考えていかなければならない。その最前線に立つのが、研究者や科学者であり、彼ら彼女らと手を組んで社会実装を目指すカンパニーです。そうした存在こそが、地球環境を救うために日々戦うロックスターであり、その姿を伝えていくことがWIREDのスピリットだと思っています。

異なる未来は、ソリューションとコラボレーションから

広く知られていない価値観に言葉を与え、社会に届けていくことはとても大切な役割だと思います。一方で、「サステナブル」ですらまだ本質的に浸透していない中、新たな横文字の概念を広めていくことについて、松島さんはどう捉えていますか?

複雑な本質が一つの言葉によって過度に抽象化されたり、矮小化されることの責任は、メディアにも大いにあると思います。そうした反省も踏まえて重要だと思うのは、実践的なソリューションを具体的に示していくことです。

たとえば、今年「量子コンピューター」を特集した時にも感じたのですが、研究者の方々は、脚光を浴びる何十年も前から地道に研究を重ねていて、それがようやく社会実装に向かって動き始めている。今はまさにそうした転換期にあって、抽象的な理念を語るだけなく、実際に動いている取り組みや技術を伝えていくことが何より重要だと考えています。

なるほど。理念だけではなく、現場の手応えとセットで伝えることが求められているわけですね。では、企業がプロジェクトを通じてリジェネラティブな事業を社会に実装していくには、どんなことが鍵になると思いますか?

やはり「コラボレーション」ですね。たとえば、他の企業やスタートアップと連携したり、共同でプロジェクトを立ち上げたり。あるいは優れたアイデアを持つ人に投資をして、後押ししていく。そうやって仲間を増やしながら、具体的なアクションへとつなげていくことが必要だと思います。

一社だけで社会の仕組みを根本から変えるには限界がありますし、一社だけで、経済資本も自然資本も文化資本も社会関係資本も、とあらゆる資本を増やして独占することは不可能です。だからこそ共創による推進力が実装の近道になる。そして、そのインパクトはとても大きい。

確かに、単独では成しえないことも多いですよね。我々が探求している「遊び」というテーマも、そうした共創のきっかけになり得るのでしょうか?

そうですね。遊びの面白さとは、ただ受け身で消費するのではなく、自分たちで楽しみを創造していくところにあると思うんです。つまり、消費と生産が一体となることで、経済活動に留まらず、精神や肉体、社会、そして経済の再生成が促される。この循環こそが、リジェネラティブの本質に通じているのではないでしょうか。

“遊び”を軸にした再生成、面白いです。

WIREDが「未来を実装するメディア」としてよくお話するのが、「21世紀の今、みんなが思い描いている未来は、どれも20世紀にすでに描かれたものではないか」ということです。つまり私たちは、前の世紀の価値観を引き継いだまま今世紀に突入していて、まだ21世紀に必要な「未来像」を描けていない。これまでの25年は、いわばそのための“助走期間”だったのかもしれません。

今、僕たちは、「次なる産業革命の前夜」を生きていると言っても過言ではない。その先にある新しい社会のOSが「リジェネラティブ」だとするならば——。その未来から現在を振り返ったとき、「遊び」の哲学を軸としたコラボレーションが、きっと大きな意味を持っていたと感じられるはずです。

執筆:和田拓也 /撮影:本永創太 /編集:日向コイケ(Huuuu)

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