ボッチャスペシャルインタビュー:廣瀬隆喜選手
日本を代表するボッチャアスリート・廣瀬隆喜選手に競技のことやヤマハJW製品のこと、毎日の生活のことなど、詳しく伺いました。
ボッチャの魅力は戦略的な面白さや投球の難しさ
私は学生の時からスポーツが好きで、中学時代はビームライフルという赤外線を使った射撃の競技をおこなっていました。高校に入ってからは、レーサーという専用の車椅子を使用して陸上競技に取り組みました。卒業が近づいてきた高校3年生の夏、この先も長く続けられるスポーツはないかと先生に相談したところ、投げる力の強い私にぴったりな競技があるよ、と教えていただいたのがボッチャでした。
体育の授業でボッチャをおこなったことがあるため初めてという感覚はなかったのですが、最初は思うようにボールが転がらず苦戦した覚えがあります。それでも競技歴を重ねることで、技術が向上し、自分の思うプレーができるようになりました。そして技術的な上達とともに、将棋やオセロのように2手3手先を考える戦略的な面白さにはまっていったんです。この競技で勝ってメダルを取りたいという気持ちになったのは、ボッチャを始めて1年ぐらい経ったころでした。
パワーみなぎる高難易度球・ロビングが得意技
私の強みは力強い投球です。チーム戦では相手のボールを弾き飛ばし、味方がジャックボール(白の目標球)を狙うスペースをつくることが私の役割です。
また、ボールを転がさずに直接ぶつける「ロビング」という高難易度のショットも得意です。日頃の練習では、「アプローチ(ボールを寄せること)」、「プッシュ(ボールを押すこと)」、「ヒット(ボールを弾くこと)」といったボッチャの基本投球を中心に取り組んでいます。苦手なショットをつくらず、状況に合わせたプレーができることが重要です。そして何パターンものゲーム展開を想定し、どんな場面であっても得意技が繰り出せるよう、練習に組み込んでいます。練習は週に2、3回。休憩も入れたら1回あたり5時間といったところですね。
とはいえ、思い描いた通りにボールを投げることは見かけ以上に難しいです。だからこそ、狙い通りにボールを投げることができるととても嬉しい。ショットが決まると、つい雄叫びが出てしまうこともあります(笑)。
国際大会での苦労がJW使用のきっかけに
JWに乗り始めたのは2009年ごろです。2008年の北京で行われた国際大会には手動車椅子で出場しました。しかし車椅子を押してくれる人がおらず移動に困るなど、様々な場面で苦労しました。そこで翌年から競技シーンと日常生活の両方で電動車椅子を使うようになりました。
私のJWにはとっておきのカスタマイズが施してあります。スポークカバーは自分でデザインしたゴールド塗装の特別仕様になっています。また、業者さんに無理を言ってハンドリムもゴールドに加工してもらいました。アスリートにとって“金”はトップの色だと思いますので、いつでも最高位を目指すという気概を維持するためにも、車椅子の一部にゴールドを入れたかったんです。
JWを使用してから移動範囲が広がった
今はコロナ禍であまり外出できないので、JWは練習の時のみ使用しています。以前は合宿や遠征にはもちろん、普段の買い物や近所の公園に行く時など様々な場面でJWを使用していました。
私の障がいは脳性麻痺で、手足に麻痺があります。つかまり立ちはできますが自分ひとりで立つのは難しいです。それでもJWを使用し始めてから様々な場所へ行くようになり、新しい経験がたくさんできました。移動範囲が広がったことはとても大きな変化です。
ヤマハの電動ユニットはとても素晴らしいですよ。使い勝手のいい機能がたくさんついています。例えばUSB電源ポートはモバイルバッテリーを忘れた時に手軽に充電できて便利です。これからも使い続けていきたいと思います。
見事なプレーでボッチャの魅力を伝えたい
障がいによる部分もあるかと思いますが、電動車椅子を使うことで好きな時に好きな場所へ動けるようになり移動範囲が広がります。私もJWにしてから日常が大きく変化しました。コロナ禍のため外出する機会は減っていますが、皆さんにもいろんな場面でJWを活用してもらいたいですね。
2022年は海外遠征を予定しています。ボッチャの面白さ、楽しさを伝えられるようなプレーで火の玉ジャパン(ボッチャ日本代表)のハイパフォーマンスな試合をお届けしたいです。
以前は日本ボッチャ協会のイベントで各地を回りボッチャの普及活動をおこなっていました。また再開できるようになれば良いなと思います。
プライベートではJWを使って旅行に行きたいですね。
PROFILE
- 廣瀬 隆喜(ひろせ たかゆき)選手
- 1983年8月31日生まれ。千葉県出身。
高校3年の夏、長く続けられるスポーツとして先生に勧められてボッチャを始める。2006年に日本ボッチャ選手権大会で初優勝。以後、9度の優勝を飾っている。2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、2021年東京と国際大会に4度連続出場。リオの団体戦銀メダル、東京の団体戦銅メダルに大きく貢献。
ボールを転がさず、直接当てて弾く「ロビング」や圧倒的なパワーショットが持ち味。思い通りのショットが決まった時の雄叫びもトレードマーク。
現在、西尾レントオールに所属し、広報業務を担う。また、2021年には「廣瀬ボッチャクラブ」を創立し普及活動にも注力している。