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55mph - 親子三代、トライアルに捧ぐ

オートバイの数だけ人生がある。ヤマハ・モーターサイクルと生きる「ひと」の物語。

写真/安井宏充

オートバイに乗ること、そしてトライアル競技の頂点に立つことが半ば宿命付けられた一家がある。日本が世界に誇るトライアルライダー、黒山健一とその家族である。

文中敬称略

「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」で国内最高峰の全日本トライアル選手権 IAスーパークラスを戦う黒山健一はこれまでチャンピオンの座に11度も輝いた歴史的なライダーである。そして父である一郎もトライアル競技の元トップライダーだった。白バイ隊員でありながら二度にわたって全日本のタイトルを獲得。世界選手権にも出場を果たした。現役引退後は指導者として、数々のトップライダーを育てている。

弟、二郎はメカニック兼マインダーとして健一をサポートしてきた。マインダーとはプロゴルファーに帯同するキャディのような極めて重要なポジションである。ライダーと一緒にコースを回りながらセクションの攻略や持ち時間、点数などについて指示またはアドバイスを行うほか、アタックに失敗したときなどは身を呈してライダーやマシンを支えることもある。さらにライダーを激励したりなどの精神的なケアや、競技中に壊れたマシンを修復するのもこのマインダーの仕事だ。その役割は多岐にわたり、生半可なスキルやフィジカルでは到底つとめることはできない。したがって二郎氏も国際A級ライセンスをもつトライアルライダーだ。

二郎の息子、つまり健一の甥っ子にあたる3人の小さな子供たちもまた頂点を目指して練習の毎日を送る。

黒山家では生活の一部として常にオートバイ、さらにはトライアルの存在がある。
「歌舞伎役者の世襲制度みたいなものです。うちでは興味があるなしに関わらず、物心ついたときからみんなやっていますから。まあトライアルに関わらず、他のスポーツやピアノみたいな芸術分野でも世界のトップクラスで活躍する人間というのはこういう環境で育っているんじゃないでしょうか」
何歳からトライアルを始めたか? どんな切っ掛けなのか?
現在の一流アスリートにそんな質問はナンセンスだと一郎は苦笑した。

健一は一郎の作ったオリジナルのトライアル自転車でトライアルのキャリアをスタートさせ、9歳から12歳までの間に自転車トライアルの世界選手権で4度のチャンピオンを獲得する。そして小学6年生からオートバイへ転向するとわずか14歳で国際A級へと昇格した。

「ご飯を食べるのと同じぐらい自然な習慣としてトライアルがありましたよね。いまでこそトライアルは楽しいと言うこともできますが、当時はそういった感覚すらなかった。あまりにも身近で当たり前のことでしたから。子供の頃から常に明確な目標が設定されていたので、それを夢中でクリアしていくうちに登り詰めたという感じです。当初から上手くなりたいというより『勝ちたい』というのが大きなモチベーションになっていました。勝つために沢山練習して上手くなる。趣味や遊びではなく、最初から頂点を目指してやっていたので常に将来のビジョンを頭に描きながら練習していましたね」

もちろん、ただ早い時期から競技を始めさせたからといってそれだけで頂点が極められるものではない。息子をさらに高みへ押し上げるため、父、一郎もまた努力を重ねた。

一家が住む家の一階部分は旋盤やフライス盤、溶接機といった様々な工作機械、膨大な数の工具が整然と並べられたワークスペースとなっている。その設備の充実ぶりはまるでワークスチームのピットのようだ。これらは一郎が自らマシンのメンテナンスやチューニングを行うために独学で学び、築き上げたものだ。

「トライアルをやるまでは機械いじりとはまったく縁のない人生でしたが、健一が所属したワークスチームに保護者として出入りしながらイチからセッティングや加工のノウハウを学んだんです。チームのピットで見てきたものを後で工学書を読んで復習しながらね。ただ、いつまでも自分がやる訳にはいかないので、いまは二郎にその役を引き継がせています。まだ加工は少しだけ私の方が上手いですけど(笑)」

ここで行われる作業というのは言うまでもなく一般的なバイクの整備とは大きく質が異なる。いわゆるレーシングメカニックとしての高い技術、精度が要求されるものだ。現在メカニックを担当する二郎はまだ33歳だが、メカニックとしてのキャリアは何と20年近くにもなるという。

「バイクを自分でいじること自体は小学3年生ぐらいからやっていましたけど、本格的にライダーからメカニックに転身したのは中学二年生のときです。当時、健一はイタリアのチームに所属していてイタリア人の専属メカニックがいたのですが、その彼のそばに付いて色々と学びました」

二郎の息子、10歳の陸一(りくと)、8歳の陣(じん)、そして最近オートバイに乗れるようになったという5歳の太陽(たお)は学校を昼で早退し、午後はトライアルの練習に充てている。晴れの日も雨の日も毎日だ。健一も通った道である。

「僕のようなトップライダーになろうと思ったらとにかく乗って練習するしかないんです。生活していくなかで色々な誘惑があると思いますが、それらを振り切ってでも乗らなければやはり勝つことはできない。いくら素質とセンスがあってもそれだけでは絶対的な優位を築くことは難しい。同じ人間同士の競争ですから。そういう局面でどこで差が付くかといったらどれだけの時間をトライアルに捧げたかなんです」

いま黒山家にはふたつの大きな目標がある。ひとつは2012年以来、5年ぶりとなる健一の全日本チャンピオン獲得。そして、それを果たした後は来年11月に行われる「トライアルグランドチャンピオン大会」へ陸一と陣が出場し、好成績を収めることだ。この大会は国内A級、B級、ジュニアライセンスを所有するライダーたちによって競われるものだが、グランドチャンピオンクラスで上位10位以内に入ると、翌年国際B級へ昇格する権利が与えられる。もうすぐ9歳になってキッズライセンスの取得が可能になる陣がこの大会で上位に食い込み、国際B級ライセンスを獲得すれば日本最年少記録になるのだという。

「健一が再び全日本チャンピオンになったら、その座を他の誰にも渡さないまま孫に引き継ぎたいという一家の目標があるんです。だから、例えお金がかかってもスペインで行われるトライアル国別対抗世界選手権 『トライアル・デナシオン』にも孫を連れて行きます。世界の一流になろうと思ったら最高の舞台を最初に経験させておかなければならない。今後、それが彼らの基準となるわけですから」

3人の孫にトップトライアルライダーとしての原点、心構えを教え込むのがいまの一郎の役目だ。

競技である以上、どんなに努力してベストな状態で臨んだとしても結果がついてこないことだってある。家族という固定されたメンバーで臨むことの難しさを感じることはないのだろうか。

「そこが家族チームの良いところでもあり、悪いところでもあると思うんです。勝てなかったからといってメンバーを入れ替える訳にはいきませんからね。次で勝てるよう前を向くしかない」

競技中、目を見ればお互いほとんどのことを察することができると健一は言い切る。

「以前、ずっと家族だけでやっていくのもどうかと思って外部の人を雇ってチームを構成したことがあったんだけど、結局上手くいかなかったね。こうなったら家族で朽ち果てるまでやっていこうじゃないかという結論になった。ただ、孫たちにとっては少し可哀想な面もあるんですけどね。全員が国際A級、そのうち二人が全日本チャンピオンですから」

父から息子、そしてその子どもたちへと引き継がれていく頂点へのチャレンジ。
黒山家で生まれた者にとってトライアルは生きること、人生そのものだ。
一郎が初めて全日本を制したのは76年のこと。親子三代、約40年に及ぶ壮大な物語の第三幕はいま上がったばかりである。

トライアル競技とは?

岩場や林、沢などを利用して作られたセクションと呼ばれるコースをいかに減点数を少なくクリアできるかを競う競技 。足を着いたり、セクションの外へ出てしまったり、制限時間をオーバーしたりすると所定の減点が課せられ、最終的に減点のもっとも少ないライダーが優勝となる。

黒山健一

14歳でジュニアライセンスを取得して国内トライアル大会でデビューを果たすとわずか1年で国際A級に昇格。17歳で初めて全日本チャンピオンになって以降、現在まで通算11度も全日本チャンピオンに輝いている。これはMFJが公認するすべてのカテゴリーのレース(ロード、モトクロス、トライアル)においても最多記録である。父は元白バイ隊員で、76年と81年にトライアルの全日本チャンピオンにもなった黒山一郎。1978年生まれ。兵庫県出身。「YAMAHA FACTORY RACING TEAM 」所属。

トライアル競技は専用のマシンによって競われる。健一選手が乗るのはヤマハ競技用モデルの4ストロークFIエンジンをベースにヤマハの最先端技術を投入して開発された「TYS250Fi」。2016シーズンにデビューしたモデルだが、さらなる熟成が図られ中身は別物といっていいほどに進化しているという。

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