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レジェンド(?)社員による超個人的車両系譜解説

ヤマハ発動機の部品復刻

西村Nishimura 慎一郎Shinichiro
レジェンド(?)社員

中学校時代からバイクにのめり込みモトクロスの真似事に熱中。高専時代にハスラー50、
RZ-R、TZR、CB750Fを乗り’90年に就職。FZR1000を最後に一旦ヤマハから遠ざかり
他社大型を数台所有する傍らでYZやTTR、TDR80、セロー、TWなどで遊び倒す。
現在の愛機はMT-01とVINO。サービスメカ、MC商品企画(国内/欧州/アセアン/北米)、海外駐在(北米)、
デザイン戦略/企画などを経験。四輪も好きで10台程度を弄ってきたが
古いケイマンを最後に原点回帰。クラシックミニが最後のオモチャになりそう。

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作図:西村 慎一郎

TZR250 (1985)

全長 × 全幅 × 全高: 2,005mm × 660mm × 1,135mm

車両重量: 126kg

エンジン型式: 水冷, 2ストローク, 並列2気筒, 249cm³

最高出力: 33.1kW(45.0PS)/ 9,500r/min

最大トルク: 34.3N・m(3.5kgf・m)/ 9,000r/min

販売価格(当時): ¥549,000

※各モデルの説明や諸元で表記している数値などはすべて販売当時のものです。

名ばかりのフィーチャー合戦を終わらせる

RZ250Rのページで(言い方は異なるが)「TZRが数多のなんちゃってレプリカライバル達を一掃した」と書いた。真の走りを目指したものではなく見栄えのするフィーチャーを載せただけのライバルを〜と勝手に断じたわけだ。これは少しおこがましいと分かっているのだがどうにか弁明というか真髄のところを分かって頂きたい。そしていつもの話になるが、既に1KT誕生のウラ話は書かれている。特にネモケンさんのハンドリング学では詳細に0W70との関係が述べられているし、TZにも使われていないYZRのデルタボックスを奢られてハンドリングを完成させている。

いつも参考にさせて頂いている「バイクの系譜」にも詳しいが、1KTの面白さはいわゆるレプリカ的な物珍しいデバイスやスペック(極端なタイヤサイズ等)を採用せずに、本当に必要な仕様だけで構成された結果、最もレーサー≒YZR的な乗り味に仕上がった点だ。他の文献によると’83 0W70を転機に’84 0W76(ここからクランクケースリードバルブ)、’85 0W81(クランク逆回転でジャイロ抑制)の進化の方向性を決めたということだったから、アンチノーズダイブ機構も’84で取り除かれておりTZRとの符号も一致する。

綺麗なシンメトリレイアウトにケースリードのパワフルエンジン。仕方なくYPVSはついているがなんならそれすらボディに書きたくないというプロジェクトリーダーのコダワリっぷり。

操縦技術を教えてくれる官能機械

(てっきり’86モデルだと思っていたが)1985年11月発売時のメディア発表会において、ある開発の親玉がひとりのジャーナリストの肩をポンポンと触って「前後タイヤから、そろそろだよってポンポンと教えてくれるんだよね」と語ったそうだ。これは本当にそうで、私の中古ゴロワーズ機も結局一度の転倒もなく2年間楽しむ事が出来た。ノーマルステップを使い切り、固定式バックステップですら半分無くなって、逆シフトにしてブーツ干渉を避けるほどのやんちゃ走りだったにも関わらずだ。コケる気がしない、その時はバイクが教えてくれるという絶対の安心感の中で試行錯誤できる。そういうバイクだった。

先日行った3MA開発者インタビューでは、いくつかの軸で初代1KTについて触れられた。何かやっかみや拭い去れない怨の様なものだったのかもしれない。ひとつはデルタボックス。あの時代にTZにも採用していないものを採用していたという話だ。それは上記の再読み込みから紐解けた。車体が良ければ無駄なモノは要らないという信念からの決定だ。もう一つは乗りやすさ。3MA開発チームの業務進捗を見た外野が苦労も知らずに言ったのだろう。「大丈夫?乗りやすくないとTZRじゃないよ?」と。それでも全く異なるアプローチでNSRを迎え撃とうとしたのだろうし、そこでのスタディが3XVに効いている事情も見えた。また別の機会に纏めたいと思う。

闘いから退き未来に引き継いだこと

立体デザインの話。1KTはスッキリしている。工業製品的というか感情が入り込まない冷静沈着な印象がある。キャラクターに完全に沿っている。レーサー的だな、と悦に入っていたがNSR登場後はちょっと大人しすぎないかと気持ちが変化した。その分、3MAはあの後方排気を収めようとした鬼の様な努力がオーラとなってまとわりついている。見応えというものはそうやって生まれてくるのだろう。2004YZF-R1のアップマフラーもそうかもしれない。

系譜という事では、この誉れ高いエンジンはディスコン後すぐにR1-Zに積まれていたりTDRにも展開されている。NSRを戦場に引き摺りだしたあとの余生を見るようでなんとも言えない気持ちになる。

またこれはいつかYZF-R7(スーパーバイクのではなく、MT07派生のCP2の方)で詳しく触れたいのだが、あのスリムで華奢なプラットフォームでスーパースポーツを作ろうとした際に、自由自在にコントロールできるタイトさを武器にしようと定められ実現した。このTZRで育ったからこそ生まれる発想で、よくある前傾姿勢プラスチックの着せ替えでは絶対だめだ、懐が広く限界バンクまで持っていける様にしたい!とプロジェクトを率いたデザイン企画メンバーの顔を思い出した。

予告

その弐:シュアハンドリングの鬼、初代TZR250(1KT)がゲームチャンジャ—となり、
子供騙しのなんちゃってレプリカから本気のサーキット勝負へと戦場が移り始める。その中で3MAに与えられた
特性とはどういうものだったのか。そして3MAを経てレーサーと市販車が再び共存することになる。

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