TZR250(3MA) 開発者インタビューを終えて~その壱
ヤマハを代表する歴代車両の開発・実験・製造メンバーぶっちゃけトーク

カスタマーエクスペリエンス事業部
企画戦略部
S1Rさん
先人の知恵に学びリスペクトした上で、新しい組み合わせで創造するのが好きです。誰でもできる後だしジャンケンが嫌いです。小さな創意工夫の連続でも振り返ってみると大きなイノベーション。そんなモーターサイクルカルチャー人生、残り少なし。
3代で幕を閉じたTZRの系譜の中継ぎである、’89TZR250(3MA)の開発者インタビューができたのだが、正直に言うと綺麗に初代1KTから始めたかったことをここでバラしておきたい。
私が18-19歳の頃の愛機が1KTだったからだ。その操縦性も速さもメカニズムも良く知っている。バイト先のバイクショップの常連ナベチャンが‘88GSX-R750に乗り換えるにあたって28万円でいいよと押し付けられて、自分のオンボロRZ250Rを後輩に10万で押し付けて急激に戦闘能力を上げた。何より、顔はタレ眼で変だったが恵まれた長い手足で自由自在にバイクを操る(しかもモテ車プレリュードを持つ)ナベチャンのマシンを受け継ぐ誇り。先輩の歴史ごと背負いこみ、一目を置かれる。自分たちのバイクの売買なんてそんなものだった。
ちゃんと1KTの知識を整理してから苦手な3MAに取り掛かりたかった。しかし、インタビューを終えてそんな低レベルな話ではなかったと自分を恥じると共に、むしろ日の当たらない(失礼)このモデルから始めたからこそ見えた部分の大きさに感動し、同時にちゃんと表現できるか怖れている。
何より後方排気の話になるだろう。’88TZ250の思想ごとレプリカしたんだよね。でも時代はもうV2勝負だったよね。短命だったよね。いや、内情はそんな簡単な話ではない。
別のページで初代RZ250(4L3)を語ったが、ゲームチェンジャーどころかすべての発火点であったことを記した。しかもマーケティング要素や先進的な未来への備えなど一切無く、「これで打ち止め」「2stに別れを告げる、その前に」といった刹那性やエンジニアの主観だけで突き進み、世に放たれた。これを無くしてバイクブームは語れないモデルであることは良く知られている。また、そのブームが無ければ膨大な技術革新もなく、YZF-R1どころか欧州マーケット攻略もアセアンコミューター拡大も何もなく、オートバイメーカーが現在のカタチであったかどうかもわからない。私はRZを想う際に冷や汗がでる。無かったらどうなっていたのかと。
低投資を狙ってレーサーもストリートモデルも共通設計とするやり方は、長年ヤマハが得意としたやり方だったが、「レースマシンも4stで」の策略もあった。一方の現場では破竹の勢いで2st並列4気筒YZRが活躍しており、実際には0W34に代表される高性能4stレーサーの現場投入は無かった。
https://ride-hi.com/machine/yamaha_yzr1000_ow34_20240222.html
となれば、環境規制下において有利な高性能4stエンジンでストリートバイクを作る挑戦が始まろうとし、また別の機会で取り上げようと思うが、5valveダウンドラフトのFZ750やVmaxの商品企画の切っ掛けにも繋がるだろう。工学に明るい人は、VmaxがMax Velocityの略号だと知っているだろう。しかしオートバイのVmaxは加速勝負番長であり最高速を謳わない。もしかしたら生まれは0W34、後の001Aのストリートモデル化であったが、リサーチ隊が企画途中でアメリカンマッスルに変化させた可能性があると視ている。もちろん本場のドラッグレーサーはトップスピードも半端ではないのだが。
話を戻すと、RZ誕生前夜の少年/青年たちの憧れは0W45とケニー・ロバーツであったし、RZを生んだエンジニアはそれを見抜いていただろう。一方で当時の商品計画にあっては「2stレーサー/4stストリート」に進化のラインが悲しくも分離することも分っていた。だから最後の夢としてRZを世に問うて幕を降ろそうとした、のだと想う。
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w45/
そして、戦場では、ひとつの高性能究極解が0W48と0W48Rだった。WGP500だけでなく、超高速勝負のデイトナも何度も制する。
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w48r/
容積を増し続ける排気膨張室(エキスパンションチャンバー:チャンバーと約します)をどうやってカウルに収めるのか、この狂ったような芸当は少年たちの心を鷲掴みにしており、どうにか雑誌で眺めるだけではなくあっちこっちから眺め倒してみたいとタミヤ1/12を何台も作ったものだ。出来上がれば学校に持参し品評会になるのだが、危険なチャリでの運搬では10本入りオーディオカセットテープの空き箱がピッタリだったことも書いておこう。クッション材に高価だったティッシュを大量に使い親に睨まれたものだ。
1/12 ヤマハ YZR500 グランプリレーサー(株式会社タミヤ) ©TAMIYA
RはRearかReverseの略号なのだろう。チャンバーの通し方に苦しんだ結果#1・#4シリンダーを前後でひっくり返す必殺技を編み出した。従来のこねくり回したレイアウトも堪らないのだが、ずいぶん洗練された印象がある。このシンメトリーな感じはもうすでに後のスクエア化・V4化への布石に感じてくる。
研究段階の動力室では、チャンバーの長さ・太さ・(排気脈動の反射面)テーパー角などの試行錯誤がなされるが、それは直線形状で実行される。せっかく決めた形状仕様なのに車体に積む際には何回も曲げられどうにか収められる。果たしてこの状態で動力室で臨んだ出力が出せているのか?当時のテクノロジーでは確認のしようもなく、ただやはり理想値は出ていないようだとの報告がもたらされたそうだ。
安定した高出力を得た0W48Rだが、高温になる#1・#4の排気ポートに挟まれる位置に#2・#3の吸気ファンネルが存在するのも事実。吹き返しの多いレーサーとしてはどうか着火して欲しくないレイアウトでもあり最後のOW53を経て、次世代エンジンはスクエアレイアウト化、そしてV4化される。リアバンクを切り離せば、前輪分担荷重高めの2気筒250になるし、リアバンクだけを活かせばストレート吸気〜排気で理想形(動力室で臨んだ通り)の高回転パンチ力のあるレイアウトになる。
こうすればまっすぐになるじゃん!この0W48Rの転換が、後の’88TZと、このTZRにも繋がっていく。
この記事のまとめ
- TZR250(3MA)は、1989年に登場したヤマハの後方排気2ストロークレーサーレプリカ。
- TZ250やYZR500で培われたレース技術を市販車へ投入し、高回転性能と吸排気効率を追求した。
- 後方排気レイアウトは、直線的な吸排気構造による出力向上を狙った独創的な設計思想だった。
- 1980年代後半のWGP技術進化や、2ストロークレーサー開発思想が3MAへ色濃く反映されている。
- 一方で市場はV型2気筒時代へ移行しており、3MAは独自路線を貫いた短命モデルとなった。
- YZR500(0W48R)で研究されたチャンバー配置や集中レイアウト思想も3MA開発へ繋がっている。
- RZ250から続く「レーサー直結」の思想を継承した点も、3MAの大きな特徴となっている。
- 後方排気やマス集中設計は、後のヤマハスポーツモデル開発にも影響を与えた。