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レジェンド(?)社員による超個人的車両系譜解説

社内で知らない人はいない生き字引き的社員が語る思い入れたっぷりの車両の系譜

全長 × 全幅 × 全高:2,095mm × 710mm × 1,170mm

車両重量:145kg

エンジン型式:水冷, 2ストローク, 並列2気筒, 247cm³

最高出力:31.6kW(43.0PS)/ 9,500r/min

最大トルク:33.3N・m(3.4kgf・m)/ 8,500r/min

販売価格(当時):¥399,000

※各モデルの説明や諸元で表記している数値などはすべて販売当時のものです。

参考:コミュニケーションプラザ RZ250R 展示コレクションhttps://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/rz250r/new window

カスタマーエクスペリエンス事業部
企画戦略部

S1Rさん

学殖を増すものは遊びだけである~信者

先人の知恵に学びリスペクトした上で、新しい組み合わせで創造するのが好きです。誰でもできる後だしジャンケンが嫌いです。小さな創意工夫の連続でも振り返ってみると大きなイノベーション。そんなモーターサイクルカルチャー人生、残り少なし。

わずか3年で投入された技術革新の本格派

RZ250(4L3)の逸話や誕生物語は至る所に残されているのに、RZ-Rに関しては「後継モデル」「本格的装備」などサラッと説明されているものばかりだ(著者調べ)。

作り手側からの視点では少し面白い。初期RZが1980登場、人気を盤石にしたカラー変更が1982、その翌年にはフルモデルチェンジ29Lが立ち上がるのだから手のひら返しが速い!一体いつ企画書を書いたのだろうか!笑

まずRZ-Rの格好良かった16歳当時のメカニズムを思い返すと、・トリプルディスク・'84TZの様な赤いフレーム・リンク式サスペンション・ビキニカウル、そしてYPVS付きの43馬力エンジンだった。しかしながら手本とされたであろうTZは1985までリンク式ではなく、となれば1982YZR500のイメージで仕様決定なされたのだろう。

参考:YZR500(0W60)https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w60/new window

TZ250 1982

RZ-RはYZRにも似て造形感も丸く大きい。TZの様なヒリヒリとした儚さはない。しかしこれは今だから言える話で、その時点でレーサーレプリカという言語も存在せず、初代がそうであったように最高のスポーツバイクを作るという点においてはクラス違いのファンタジー要素を混ぜたって構わないと私は思う。実際に17歳で手に取った2年落ちのRZ-Rは大きく立派で、とんでもない所有感に満ちたものだった。先輩のCBX400Fに並ばれても見劣りはしなかった。

ここから時計の針が急激に速まる

しかし、ライバルの動きも速かった。同年’83年にRG250Γ(Gamma)が世の中を騒がすと、翌’84年にNS250R/Fが登場。面白い?ことにヤマハもFZ400R/RZV500Rを同時に登場させる離れ技。短命とまでは言い切れないが主役の座は大変短かったように記憶する。それでも相手がそう来るならば、無謀なオーナーは、セパハン(乗りにくい)、マフラー(性能ダウン)、タイヤ幅アップ(曲がらない)、デイトナ赤パッド(大して変わらない)で戦闘力を上げて(下げて)、FOOTWORK亜久里カラーに塗られたライバルNS400Rに挑むわけだが、センタースタンドを外した位ではどうにもバンク角は敵わない。度重なる転倒でどんどんRZ-Rがみすぼらしくなる一方で修理の腕前とメカの知識だけは上がっていくのであった。そういった経験が、乗りかえた青いTZR(1KT)では完全ノーマルにバックステップだけで行く、と決めさせた。

気まぐれなCDIの不調に悩まされた白いRZRだが、初めて水冷2気筒以上の腰上を開けたのはコレだった。細いスタッドボルトを大きく長いナットで締め上げる構造ゆえナット二面幅が大きく、トルク管理しないとスタッドボルトを伸ばすことになるのも学んだ。またヤマハ本社の実験に居たこともあるというバイト先の先輩店員さんからインテークチャンバー容量の計算式を学び、空き缶で作ってみたこともある。巨摩グンのCBを真似てバー上を鏡体がスライドするミラー(もちろん右だけ)にもした。そして右直事故にも逢い、キップも沢山もらい、薄給のバイト代は国庫に返還された。

血統の継承

zoom

さて短命?と書いたRZ-Rは実はしつこいくらいのモデルメンテを受けている。背後の技術革新を丁寧に試す実験機の様にも感じる。別体サイレンサーが羨ましかったフレームマウントカウルの’84RZ250RR(51L)、割り切りこそ進化だと快適装備を捨て始めた’85の丸目1AR、外装オールNewで大幅に軽量化した’861XG、ようやく17インチ化した3HMが最終の’87。たぶんRZの名は消さない、などの口上で王道を目指したのだろうと想像するが、しかしながらマーケットの少年達は正直で、FZRもTZRも売ってるのになぜこれを延命するのか、誰が選ぶのかと理解ができない。

※借り物:バイクの系譜https://bike-lineage.org/yamaha/tzr250/rz250.htmlnew window

1985年のTZR250登場で、また潮流が変わる。それまでの「ワークスレーサーテクノロジー」を載っけてはいるライバルに、サーキットでタイムを削っていく真の運動性能が備わっていたわけではないからだ。その全ライバルを煙に巻くTZRの感嘆に値する操縦性、レース戦績の前にRZ250Rの5年の役割も終わってしまう。それでも後に虎視眈々と土俵をストリートに置き直して作られたR1-Z(3XC’90)では、メカビューティの上に絶妙にYZRっぽいボディワークを載せているが、しかしマーケットの熱狂はR1-Zの企みには気づけず仕舞いだった。レーサーデザインの記憶を最新コンポーネントに融合するヤリクチが見事にハマるのは、世代が一巡してクラシックモダンの潮流が来るXSR900まで待つこととなる。

なお、兄貴分のRZ350/350Rは輸出向け攻略モデルであったが、そのパンチのあるパワーユニットはすぐにクアド(ATV)Banshee(YFZ350)に積まれることになる(YPVS無しエンジン)。地域に依るがなんと2012年までの15年間販売された。お国柄かサードパーティパーツも大量に存在するようだ。

※本コンテンツには、当時の価値観や時代背景に基づく表現・写真、および個人的な体験や記憶に基づく記録・解釈が含まれています。

この記事のまとめ

  • RZ250R(29L) はRZ250の後継モデルでありながら詳細な逸話が少なく、短期間でフルモデルチェンジされた開発スピードの速さが特徴。
  • トリプルディスク、赤フレーム、リンク式サスペンション、YPVS搭載エンジンなど、レーサー由来の装備を持つ高性能モデルとして登場した。
  • RZ-RはYZR500の影響を受けたデザイン・構成を持ち、当時としては大型で存在感のあるスポーツバイクだった。
  • 1983年以降、RG250ΓやNS250Rなどのライバル登場により、250ccスポーツバイク市場の競争が急激に激化した。
  • 若者ユーザーはカスタムや走行を通じてバイクと向き合い、転倒や整備経験からメカ知識や技術を習得していった。
  • RZ-Rは短命に見えるが改良を重ねたモデルで、軽量化や17インチ化など技術進化の試験的役割も担ったシリーズだった。
  • 1985年のTZR250登場により主役の座を譲るが、RZの系譜はR1-Zや後のXSRシリーズへと繋がり、デザインと技術の系譜として継承されている。
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