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55mph - 自由なアメリカの自由な国際レース パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム2015

バイクやクルマ、クワッドなど、あらゆる乗り物が標高4000m超のゴール目指す伝統のレース「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム2015」。雲上の世界で奮闘するXS650の姿を追った。

クルマ、バイク、クワッド、バギーなど、さまざまな乗り物が雲上のゴールを目指し激走する伝統のレース「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」。ワークスチーム同士が火花を散らす一方、思い思いの愛車でベストを尽くすプライベーターの姿があった。

文・写真/山下 剛

「雲を目指すレース」と聞いたら、つい飛行機レースのことかと思ってしまうが、なんと自動車レースなのである。
「標高4301mのパイクスピーク山頂まで、誰が一番速く駆け上がれるか」を競うパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムは、そのレーススタイルから「Race to Clouds」といわれている。1916年からはじまり、来年は100周年を迎えるアメリカの伝統的モータースポーツだ。
 レースの舞台となるのは、パイクスピークの頂上まで続く有料観光道路、つまり一般公道。上り勾配がきつく急カーブも多い、厳しい山岳道路だ。コースの大部分はガードレールがなく、ひとつ間違えると崖下へ真っ逆さま……という緊張感のなか、エントラントたちはアクセル全開で駆け上がっていく。
 そんなスリリングな一面もパイクスピークの魅力だが、このレース最大の魅力はなんといってもバギーやクワッド、クラシックカーやビンテージマシン、トラクターヘッド、スポーツカーにマッスルカー、レーシングサイドカー、モタードマシン、スーパースポーツ、そして最新鋭ワークスマシンという、タイヤがついていれば何でもアリと言わんばかりの様々なマシンたちが、目の前を次々と猛烈なスピードで駆け上がっていくところにある。観ていてまったく飽きることがないのだ。そこにあるのはアメリカならではの自由であり、多様性だ。
 国際レースだけあって、四輪のトップチームは世界各国のメーカーが威信をかけたワークス体制で挑んでおり、とくに2012年にコースが全面舗装となってからは飛躍的にハイスピード化が進み、全長19.99km、コーナー数156、標高差1439m、平均勾配7%のコースを、トップチームはなんと9分台で駆け上がる!
 しかしながらそれは四輪のトップグループだけで、エントラントのほとんどはプライベーターだ。古き良きアメリカを象徴する車両も多く走っており、タイムやリザルトも大切だが、それ以上に「楽しんだ者が勝ち」とばかりにレースそのものをエンジョイするムードが色濃い。
 その裏には、危険が隣り合わせの公道レースであることや、標高4000m超ならではの低酸素・低気圧・低気温の苛酷な自然に対し、己の英知を集結させて全身全霊で挑むというパイクスピークの本質がある。だからこそエントラントたちは安全マージンをしっかりと作るべく心にゆとりを持ってレースに臨んでいるのだろう。
 決勝レース前々日には麓の町、コロラドスプリングスの目抜き通りを閉鎖しての「ファンフェスタ」が開催され、3万人以上のギャラリーが集う。地元の人々はもちろん、アメリカ中からファンがやってきて、パイクスピークという“お祭り”を楽しむのだ。
パイクスピークが「偉大なる国際草レース」と呼ばれる所以はこんなところにもある。

フランスの頑固者が駆るXS

森林限界を超えた標高3800m付近を走るマルキとXS650。すでに富士山を超える標高のため酸素は薄く、気温も低い。XSには厳しい環境だ。

「パイクスピークは子供の頃からの夢だったのさ」
 男はそう言うと人懐こい瞳でニカッと笑った。彼の名はクリストフ・マルキ。XS650とともにフランスからやって来た。ガレージピット代わりにもしているトランスポーターの中で、マルキはXSを一心に整備している。
 パイクスピークのスタート地点の標高は2862m、ゴールは4301m。日本で一番高い富士山が3776mだから、多くの日本人には標高4000m超の世界はちょっと想像がつかないかもしれない。低酸素、低気圧、低気温。平地と同じ感覚で行動すると、すぐに息切れしてしまい、人によっては頭痛やめまい、吐き気をもよおしてしまう。低酸素のために発症する高山病だ。
 もちろんバイクにとっても厳しい環境だ。とくにキャブレター車にとって薄い酸素は致命的で、セッティングが合わないとエンジンはまったく吹け上がらず、まともに走ることはできない。
 だからこそマルキは、XSのキャブレターを念入りに整備しているのだ。
「1972年式のコイツは5年前、ここを走るために買ったんだ。速いバイクじゃあないが、だからこそ俺はコイツが好きなんだ。なぜって初めから速いバイクなんておもしろくないだろう? あれこれ考えていろいろ手をかけて、バイクを作り上げていくことがおもしろいのさ」

宿泊しているモーテルに停めたトランスポーターが、マルキのガレージピットだ。マルキ自らXSを整備する。

マルキがパイクスピークに来るのは初めてではない。2年前にもやって来てXSで走った。40年も前の空冷ツインにとって、パイクスピークは厳しいレースだ。完走こそ果たしたものの、タイムは満足できるものではなかった。だから今年、マルキはエンジンを650ccから750ccにボアアップし、タンクもシートもエキゾーストも軽いモノへ換えた。
「どうしてXSで走るのかって? 話はカンタン、俺はこのバイクに惚れてるのさ。好きなバイクで夢の舞台を走ってるんだ。俺はいま、最高の時間を過ごしているよ」
 そう話すものの、マルキとXSのレースは楽しいことばかりではなかったはずだ。おそらくセッティングに時間を要したのだろう、マルキの練習走行の本数は他のライダーより少なかったし、コース途中でXSが止まってしまうこともあった。だが、そうした苦労が実ったのか、マルキは今年もレースを無事に完走してビンテージクラス3位を獲得。タイムも大きく縮めた。
 でもマルキの夢とXSのチューンナップはまだまだ終わらない。
「コイツはまだまだ発展途上さ。もっともっと速くなれる。3年後、俺はまたコイツといっしょにここへ帰ってくるんだ」
 マルキはそう言うと、XSの空冷エンジンを手のひらでポンと叩き、また人懐こい笑顔を見せたのだった。

XS650

ヤマハ初となる4ストロークエンジンを搭載したロードスポーツモデル。「XS-1」として1969年の東京モーターサイクルショーで発表され、翌年に国内発売となった。エンジンは180度クランクの653cc空冷2気筒で、当時の主流であった直立したシリンダー(バーチカル)構造が特徴。最高出力53psのパワフルなエンジンと、車重200kgという350ccクラス並みの軽量コンパクトな車体が織り成すライディングフィールは長年に渡って支持され、「ペケエス」の愛称で親しまれた。1971年にはフロントディスクブレーキとセルスターターを装備した「XS650E」が発売。国内では1974年にTX650へとモデルチェンジされたが、欧米ではXSの名称で1985年頃まで生産が続けられた。

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