本文へ進みます
サイト内検索

ヒストリー

2002年より続く、ヤマハ認定整備士の誇りをかけた挑戦。その歴史を振り返ります。

約3,000名が参加した、初の国際的メカニックコンテスト

世界14カ国、2,911名のヤマハ認定整備士が参加した、第1回WTGP。決勝では予選を勝ち抜いた11カ国・17名の選手がサービス技術力を競い合い、スイスのビート・マックハルター(Beat Burkhalter)さんが栄えある初代王者に輝きました。

2002

規模を大きく拡大した第2回。予選参加者は約5,000名に

規模をさらに拡大し、20カ国・4,831名によって競われた第2回WTGP。20名が競った決勝を制したのは、当日が偶然誕生日だったというオーストラリアのリチャード・ヘアー(Richard Hair)さん。22年間にわたって積み重ねた経験が勝因と語りました。

2003

新たに実技を追加。戦いはよりハイレベルに

ヤマハ50周年を迎えた2005年。決勝には、新たに実走によるチェックを追加し、より実践的な競技内容となりました。2日間にわたって行われた決勝を勝ち抜いたのは、日本の濱﨑温生(Haruki Hamasaki)さん。アジア勢初の勝利を飾りました。

2005

2カテゴリーを設定。地域の特色が明らかに

スポーツモデルとコミューター/ビジネスモデル、2つのカテゴリーが設定された第4回。スポーツモデルクラスではイタリア代表のマッシミリアーノ・コルデスキー(Massimiliano Cordeschi)さんを始めとする欧米勢が、コミューター/ビジネスモデルクラスではインドネシア代表のデワ・プトゥ・グナウィラワン(Dewa Putu Gunawirawan)さんを筆頭とするアジア勢がそれぞれ表彰台を独占し、地域の市場特性を反映した結果となりました。

2007

5年ぶりの開催となった、第5回WTGP

スクーターでも主流になりつつあったF.I.(Fuel Injection)を競技テーマに設定し、ヤマハ本社のコミュニケーションプラザで開催された第5回WTGP。多くの社員が見守る中で行われた決勝には20カ国28名が終結し、スポーツモデルクラスはドイツ代表のトルステン・ブランド(Thorsten Brand)さんが、コミューター/ビジネスモデルクラスはベトナム代表のレ・トゥン・ウィ・トゥ(Le Truong Qui Tu)さんがそれぞれの頂点に輝きました。

2012

「TCS」の理念の下、よりお客様目線に近い競技へ

第6回WTGPでは、ヤマハが全社規模で取り組む「タイム・コミットメント・サービス」の要素を織り込み、店頭さながらの実践的競技を追加。「受付・修理・納車」という、一連のサービス技術力を競いました。本大会での勝利を4年間夢見ていたというスペインのトーマス・カンデラ・サンチェ(Tomas Candela Sanchez)さんがスポーツモデルクラスで、家族や仲間に後押しされたというインドのメナクシ・スンデラム・スーブラマンヤン(Meenakshi Sundaram Subramanian)さんがコミューターモデルクラスで、それぞれ勝利を獲得しました。

2014

歴代最大の21カ国が決勝に参加

第7回WTGPの決勝は、これまでで最大となる21の国と地域から選抜された選手が集結。当時で世界33,000名を数えるヤマハ認定整備士の頂点を競いました。スポーツモデルクラスを制したのは、日本の鮫島遼平(Ryohei Samejima)さん。お店を休みにして駆けつけた同僚の目前で栄誉を勝ち取りました。コミュータークラスで優勝したインド代表のジグネシ・ギリシュクマール・ラナ(Jignesh Girishkumar Rana)さんも、周囲のサポートに支えられて出場を実現。大会初の、同一国による連覇を達成しました。

2016

熟練の技術とハイテク診断の融合

パソコンを使って故障箇所を診断する専用ツール、YDT(YAMAHA DIAGNOSTIC TOOL )の使いこなしがポイントとなった第8回WTGP。知と技を駆使したハイレベルな競技を制したのは、カナダに初の栄冠をもたらしたブレット・ハート(Brett TR Hart) さん(スポーツモデルクラス)と、かつて2位に泣いた父に代わって夢を叶えた、台湾のウー・チャンウェイ(Wu Chang Wei)さん(コミュータークラス)。年々進化するヤマハのサービス技術を証明してくれました。

2018

過去大会 特設サイト

YAMAHA WORLD TECHNICIAN GRAND PRIX
YAMAHA WORLD TECHNICIAN GRAND PRIX
ページ
先頭へ