TZR250(3MA) 開発者インタビューを終えて~その弐
ヤマハを代表する歴代車両の開発・実験・製造メンバーぶっちゃけトーク

カスタマーエクスペリエンス事業部
企画戦略部
S1Rさん
先人の知恵に学びリスペクトした上で、新しい組み合わせで創造するのが好きです。誰でもできる後だしジャンケンが嫌いです。小さな創意工夫の連続でも振り返ってみると大きなイノベーション。そんなモーターサイクルカルチャー人生、残り少なし。
誤解を恐れずに言えば、本気でYZR思想をもぶち込む1KTが空気も読まず、スペックやギミックで溢れる業界の潮流を変え、レーサーレプリカというカテゴリーを創出してビジネスも大成功となった。そして4st開発に傾倒しようとした他社ですらもう一度本気でヤマハを叩きに来る。しかもそれは、模倣ではなく完全なる”凌駕”を目的とする故に、相当の実力者に限られるわけだ。
https://bike-lineage.org/honda/nsr250r/mc16.html
いつもお世話になるサイトにそのウラガワは詳しいが、’86NSRの販売成績を怖れた当時の商品企画は翌’87後半には後の3MAのコンセプトを固めている。「いやコンセプトもへったくれもなくて、みんな美しいレーサーに乗りたいじゃない!」と言い切るレジェンドのひとりOさんはご自分もRZ250RRを所有しておられた。そして1KTの引き出しやすさに最新鋭のOW48Rの組み合わせで織りなす誰も想像できない新規性をコンセプトとした。この辺りの軽さは功罪あると思うのだが、今にも通ずる「らしさ」を感じるものではある。’86YSR50が始めた悪ふざけを瞬時に’87NSR50が追った状況を思い起こせば、求道的に極めるか、軽く始めた冗談のような話を事業に落とし込むか、お互いに感化され合う関係だったのであろう。
話を戻す。しかしながら、実際のオーナーさんならそれを疑問に思うだろう。ん?引き出しやすい?乗りやすいか?と。
そしてテストライダーのⅠさんは「初期コンセプトからはズレたかもしれないが」と言う。しかしながら3MAはだからこそ唯一無二の存在に結実した。これはオーナーさんをむしろ納得させるだろう。
Iさんは「実験はマジシャンじゃないんだから」と自嘲気味に言う。’88TZに保安部品を付ければ良いのでは、と言われても乾燥約100kgのTZに30kgプラス、1KT比較でも10kgから乗ってくる。ましてそのTZですらデビュー戦の直前までキャブ廻りに悩まされていて、本当にこのレイアウトで勝てるのか、しかもそれを市販車にできるのか?車体の一番低いところにキャブがある。周辺気温も気圧も刻々と豹変する。フロートの構造検討にまで仕事が拡散していく。想定できるサーキットと全国の(どんなスキルのオーナーなのか想像も及ばない)ストリートでは全く違う。考えて決める事が増え収束する気もしない。そして、大きなサイレンサを背負う車体はそてつもなく長い。でかい。曲がらない。
FZ400Rの16インチも、2XT(1KT後継)のラジアル化も手掛けた。その自分がラジアルの安定性を取るのにも迷いが生じる。一方、フレームは完璧だ。ならば、高速・高負荷コーナー勝負しかないだろう。倒れてくれないところの当て舵の応答性や過度特性の作り込みをライダー操作優先で考え直さなければいけないから、並行して進むデザインへの要求も相当なモノになるだろう。。。
スタイリングを担ったGKダイナミックスOBのWさんも振り返る。いかに意識せずに力を抜いて操舵させ、高速勝負コーナーで複雑な操作を行うライダーと一体化するのか。その為のタンク形状、フートレスト、ヒールガード、その他をこれまで経験したことないほど、何回も修正要望に対処した。デザイン初期では与えられたデザインスケルトン(工業クレイを盛る前の土台/骨組み)を見た際に衝撃を受けた。こんなに大きな2本のサイレンサーをどう包めばいいのか。走行風で冷やさないといけないし、停車時にはライダー保護しないといけない。先行していたTZのデザインモデルはこんなにシンプルで小さいのに。しかし今回は文句なしの花形プロジェクトだ。受け取ったからには、とことん付き合うぞ、喧嘩している暇もない、でもやり合わないと絶対に美しくならない。
しかしそうやって完成したデザインは、そうした苦労と知恵から滲み出るオーラで満ちている。人機一体、空力、エルゴノミクスとオーガニック。そして進化途中のわずかな”未完成度”が醸し出す、何とも言えない「危うさ」。“このTZR”にしか無い雰囲気が備わっている。
蛇足だが、これは本来、不完全な乗り物であるモーターサイクルの魅力そのものを言語化したものかもしれない。言い換えれば、常識から脱皮して藻掻く過程の一瞬を切り取ったデザインは観る者の心を強く打つ。初代MT09にも見られるし、’15YZF-R1を思い出すことにもなる。様々な配慮に富む美しい高完成度デザインではないが、“何か時代が切り替わる感じ”が結果的に醸されているのだ。それを受けて「もっと良くなる」と改善するのは簡単で、昨今では隣の国がマコトにかっこいい、〷っぽい格安製品を国際市場に吐き出す時代になった。
「その壱」でも書いたが、私がヤマハモーターサイクルの作り手となった際には、すでに3XVが成熟期に入っており、先代の3MAから参照するものは無かった。インタビューを振り返ると、しかしそれは大間違いだと改めて気づかされた。学びの宝庫だった。
師と仰ぐ方のひとりが「3MAは最優秀中継ぎ投手の様だ」と例えた。1KTでの試合開始から、早くも3回で投入。しかも7回まで最少失点で粘って、クローザー3XVは終盤の戦い方を学んだ、という観かたには納得できる。実際には、別途触れていくが、次期モデル3XVではストリートモデル/市販レーサーの同期開発が講じられるようになる。
動力性能ベンチそのままの性能を→YZRのストレートチャンバー。この発端となりつつも、運命的に市販車3MAプロジェクト全体をまとめることになるMさんはこうも振り返る。3MAでの無理ばかりを解決する中で、プロセスの再構築ができた。そして最軽量を再び目指した3XVでは、製造・モノづくり現場の知見を設計にフィードバックすることを試し、それが無ければ到底目標に達しなかっただろうと。
同じMさんが、数年後に着手することとなる初代R1プロジェクトにもこうした技術やフィロソフィーの系譜が続いていく。
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/yzf-r1/
3XVは’95年のマイチェンまで隅々を磨かれて数年後、生産を終える。成熟した製品の観かただけでなく生産技術の精錬度にも想像を働かせて欲しい。同時期に企画/開発を終えて’98にリリースされた初代R1の型式が4XV。誰が図ったモノではないだろうが、こうした技術全体の魂の系譜、繋がりに想いを馳せてみるのも悪いコトではないだろうと思う。
この記事のまとめ
- TZR250(1KT)は、見た目だけの“レプリカ”ではなく、本気でYZR思想を投入したモデルとしてレーサーレプリカ時代を切り開いた。
- その成功を受け、ホンダはNSRで“模倣ではなく凌駕”を目指して対抗。
- 後継3MAは、後方排気や大型サイレンサーなど大胆な構成に挑戦し、唯一無二の存在となった。
- 開発では「乗りやすさ」と「レーサー的性能」の両立に苦しみ、車体・吸気・空力・デザインまで試行錯誤が続いた。
- デザイナーやテストライダーも、操作性や一体感を高めるため何度も修正を重ねた。
- 完成した3MAは、未完成さすら魅力に変える独特のオーラを持つモデルとなった。
- その挑戦で得られた技術や思想は、後の3XVや初代YZF-R1へと受け継がれていく。