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レジェンド(?)社員による超個人的車両系譜解説 TZR250 (1985)

社内で知らない人はいない生き字引き的社員が語る思い入れたっぷりの車両の系譜

03 TZR250 (1985)

全長 × 全幅 × 全高:2,005mm × 660mm × 1,135mm

車両重量:126kg

エンジン型式:水冷, 2ストローク, 並列2気筒, 249cm³

最高出力:33.1kW(45.0PS)/ 9,500r/min

最大トルク:34.3N・m(3.5kgf・m)/ 9,000r/min

販売価格(当時):¥549,000

※各モデルの説明や諸元で表記している数値などはすべて販売当時のものです。

参考:コミュニケーションプラザ TZR250 展示コレクションhttps://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/tzr250/new window

参考:ハンドリングのヤマハhttps://global.yamaha-motor.com/jp/stories/yamaha-handling/list/vol05/02.htmlnew window

カスタマーエクスペリエンス事業部
企画戦略部

S1Rさん

学殖を増すものは遊びだけである~信者

先人の知恵に学びリスペクトした上で、新しい組み合わせで創造するのが好きです。誰でもできる後だしジャンケンが嫌いです。小さな創意工夫の連続でも振り返ってみると大きなイノベーション。そんなモーターサイクルカルチャー人生、残り少なし。

真のレーサーレプリカの始まり

RZ250Rのページで(言い方は異なるが)「TZRが数多のなんちゃってレプリカライバル達を一掃した」と書いた。真の走りを目指したものではなく見栄えのするフィーチャーを載せただけのライバルを~と勝手に断じたわけだ。これは少しおこがましいと分かっているのだがどうにか弁明というか真髄のところを分かって頂きたい。そしていつもの話になるが、既に1KT誕生のウラ話は書かれている。特にネモケンさんのハンドリング学では詳細に0W70との関係が述べられているし、TZにも使われていないYZRのデルタボックスを奢られてハンドリングを完成させている。

いつも参考にさせて頂いている「バイクの系譜」にも詳しいが、1KTの面白さはいわゆるレプリカ的な物珍しいデバイスやスペック(極端なタイヤサイズ等)を採用せずに、本当に必要な仕様だけで構成された結果、最もレーサー≒YZR的な乗り味に仕上がった点だ。他の文献によると’83 0W70を転機に’84 0W76(ここからクランクケースリードバルブ)、’85 0W81(クランク逆回転でジャイロ抑制)の進化の方向性を決めたということだったから、アンチノーズダイブ機構も’84で取り除かれておりTZRとの符号も一致する。

参考:マシン一覧https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/#500ccnew window

綺麗なシンメトリレイアウトにケースリードのパワフルエンジン。必要あってYPVSはついているが、なんならそれすらボディに表記したくないというプロジェクトリーダーのコダワリっぷり。

(てっきり’86モデルだと思っていたが)1985年11月発売時のメディア発表会において、ある開発の親玉がジャーナリストの肩をポンポンと触って「前後タイヤから、そろそろだよってポンポンと教えてくれるんだよね」と語ったそうだ。これは本当にそうで、私の中古ゴロワーズ機も結局一度の大転倒もなく2年間楽しむ事が出来た。ノーマルステップを使い切り、固定式バックステップですら半分無くなって、逆シフトにしてブーツ干渉を避けるほどのやんちゃ走りだったにも関わらずだ。コケる気がしない、その時はバイクが教えてくれるという絶対の安心感の中で試行錯誤できる。そういうバイクだった。

進化の過程に見えてくるもの
~後方排気からⅤ型配置へと

先日行った3MA開発者インタビューでは、いくつかの軸で初代1KTについて触れられた。何かやっかみや拭い去れない怨の様なものだったのかもしれない。ひとつはデルタボックス。あの時代にTZにも採用していないものを採用していたという話だ。それは上記の再読み込みから紐解けた。車体が良ければ無駄なモノは要らないという信念からの決定だ。もう一つは乗りやすさ。3MA開発チームの業務進捗を見た外野が苦労も知らずに言ったのだろう。「大丈夫?乗りやすくないとTZRじゃないよ?」と。それでも全く異なるアプローチでNSRを迎え撃とうとしたのだろうし、そこでのスタディが3XVに効いている事情も見えた。また別の機会に纏めたいと思う。

立体デザインの話。1KTはスッキリしている。工業製品的というか感情が入り込まない冷静沈着な印象がある。キャラクターに完全に沿っている。当時は“レーサー的だな“と悦に入っていたが、超ストイックなNSR登場後に気持ちが「ちょっと大人しすぎないか」と変化した。その分、3MAはあの後方排気を収めようとした鬼の様な努力がオーラとなってまとわりついている。エンジニア達が何度も吟味して辿り着いた「今時点の最高の妥協点」。見応えというものはそうやって生まれてくるのだろう。2004YZF-R1のアップマフラーもそうかもしれない。

系譜という事では、この誉れ高いエンジンはディスコン後すぐにR1-Zに積まれていたりTDRにも展開されている。NSRを戦場に引き摺りだしたあとの余生を見るようでなんとも言えない気持ちになる。

軽量・スリム・コンパクトと
ヤマハハンドリング

またこれはいつかYZF-R7(スーパーバイクのではなく、MT07派生のCP2の方)で詳しく触れたいのだが、あのスリムで華奢なプラットフォームでスーパースポーツを作ろうとした際に、自由自在にコントロールできるタイトさを武器にしようと定められ実現した。容易くフルカウルを着せるだけでは“R”の名を語るだけの偽物に成り下がるとの批判に晒されたからだ。このTZRで育ったからこそ生まれる発想で、よくある前傾姿勢プラスチックの着せ替えでは絶対だめだ、懐が広く限界バンクまで持っていける様にしたい!とプロジェクトを率いたデザイン企画メンバーの顔を思い出す。

参考:REIBLOG https://www.youtube.com/watch?v=n6kZ5Yz7zs8&t=1246snew window

バイト先の常連ナベちゃんから28万円で買った青TZRだが、常連衆は皆、限定解除に挑み、750RSやらCB750FBやら、油冷のGSXRなどに乗りかえていく。ショップのツーリングでは「2stは煙いからケツ持ちしろ」と言われ始め、悔しさが持ち上がってくる。雄大な阿蘇の直線では全く歯が立たない。こっちは学生で金はない。しかし時間はどうにかなる。そもそも限定解除は一発試験のみ。費用は大して掛からない。ショップオーナーのXJ750Eを借りて練習し、四輪免許持ちだと好印象?というデマを信じて先に四輪(これも試験場一発)を取り、4回で大型に格上げ。ショップ歴代最速。それより免許が大事すぎて警察の世話になりたくないという思いが強くなり、もう峠も埠頭も最後にしようとTZRは学校の後輩に譲り、代わりにCB750FBを迎え入れた。贅沢な、と思われるだろうが、250/400ccの新機種が出るごとに価格は上昇。逆に当時は免許保持者が大変少なく中古750は不人気者。25万で買える時代だった。これが学生時代の最後のオートバイとなった。

次にTZRと戯れるのは’90に会社に入り、サービスマンとして大阪に赴任。そこに修理車として持ち込まれる後方排気達と、間もなく登場してくるⅤ型の最新鋭機だった。磐田から送られてきたばかりのズラリ並んだピカピカの試乗車のセットアップでは、笑顔を隠せなかった。

当時のカタログをご覧いただけます

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※本コンテンツには、当時の価値観や時代背景に基づく表現・写真、および個人的な体験や記憶に基づく記録・解釈が含まれています。

この記事のまとめ

  • TZR250(1KT)は、装飾的なレプリカではなく、実際のレーサー性能を追求した“真のレーサーレプリカ”として登場した。
  • デルタボックスフレームや適正な構成により、YZR由来のハンドリング性能を重視した設計が特徴。
  • 不要な装備を排除し、必要最小限の構成で純粋な運動性能を実現した点が他モデルとの違いとなった。
  • ライダーに限界を知らせる挙動により、安心して攻められる高いコントロール性とフィードバック性能を備えていた。
  • 後継モデル(3MAなど)は後方排気など新技術に挑戦し、異なるアプローチで進化を試みた開発の系譜が見える。
  • TZRのエンジンや思想はR1-ZやTDRへ展開され、2ストローク技術の発展と継承に寄与した。
  • 軽量・スリム・コンパクトな思想とハンドリング重視の設計は、後のヤマハスポーツモデルにも影響を与えている。
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