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Salty Life No.207

ソルティライフは海を愛する方々の日常生活に、潮の香りを毎月お届けするメールマガジンです。

ソルティライフ

まだまだ暑い日が続きますが、空に浮かぶ雲、夕方に感じる風の心地よさに秋の気配が感じられるようになりました。
梅雨が長く、短い夏だったかもしれませんが、それでも海は表情を変えながら、いつの日も私たちを迎え入れてくれます。
「Salty Life」No.207をお届けします。


Monthly Column似たもの同士

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イタリアの西部に位置するサンレモは熱海の姉妹都市

 写真家の先輩から「サンレモの港で写真を撮ったことがあっただろ。それをすぐに送れ」と連絡があった。いつもの愛すべき横暴な指令である。聞けば、写真家が暮らす地元の静岡県熱海市が、サンレモと姉妹都市の提携を結んでおり、なにやらそれに関する仕事で使いたいらしい。
 昭和50年ごろのことだというが、当時のイタリア・サンレモの市長が熱海を訪れた際、街や港の雰囲気がサンレモに似ているとの印象を抱き、熱海をとても気に入り、のちに姉妹都市提携へと至ったのだ。
 私がサンレモを訪れたのは昨年の初夏のことだ。フランスのニースから車で足を伸ばした。ごく狭いエリアしか見てまわっていないのだが、大型のSUVで走るにはとても狭く感じられる街中の道やマリーナの雰囲気は、言われてみれば熱海に似ていなくもない。
 マリーナの奥の波止場から街を眺めると教会が建っていた。午後の遅い時間で、逆光気味の光の中に建つ教会は美しかった。
 マリーナはプレジャーボートやヨット、漁船の泊地が混在していて、遠くにメガヨットもあった。波止場には、漁具の手入れをしながら、談笑する漁師たちの姿があった。うん、この雰囲気も熱海に似ているかもしれない。
 世界の海辺や港を訪れると、日本のどこかでみたような風景に出会うことは珍しくない。また、逆のこともある。
 熱海に近い、神奈川県の真鶴からフネを出してよく遊ぶ。一日中フネを走らせ港に戻るとき、毎回のように思い出すのは、15年ほど前に訪れた、大西洋に浮かぶマデイラ島の小さな入江の風景だ。かつてチャーチルがちょくちょくやってきては絵を描いていたという、急斜面の崖に囲まれた港はとても静かで、これまでに見た外国の風景の中でも印象に残ったところのひとつである。真鶴の港に入るたびにそんな風景を思い起こすことができるのは、ボート遊びの冥利だ。
 そして日本のごく身近な港でもそうした思い出を蘇らせ旅情を感じることができるのは、とても幸せなことだと思うのである。
 ただし、元も子もないことを言うと、周りに何もない、水平線に囲まれた海は、その色や波の表情は異なれども、どの国に行っても同じようなものである。だが、だからこそ、海が全ての世界につながっていることを、夢を持って感じることができる。海に出ていて、もっとも幸福をかみしめることのできるひと時だと思っている。

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スーパーヨットの存在が際立つ。熱海にあっても似合いそう
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こちらはマデイラ島。日本でもこんな風景に出会うことがある
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。1963年東京生まれ。

キャビンの棚熱い気持ちにあふれていた、あの時代の名演「SWEDISH SCHNAPPS」

 「ジャズに名演はあるが、名曲はない」という、ジャズファンに語り継がれる格言がある。戦後間もない頃のジャズ指南書にあるこの格言は、アドリブこそジャズの最大の魅力だと強調している。今も人を惹きつけるあのアドリブの形は、コード進行に基づく自由なアドリブを主体とし1940年代に一世を風靡したジャズスタイル「ビ・バップ」に起因するものだ。
 その「ビ・バップ」を生みだしたチャーリー・パーカーは、紛れもない天才アルトサックス奏者だ。1920年の8月に米中西部のカンザスシティに生まれ、1940年代から50年代初頭にかけてニューヨークで活躍した。当時の主流派だった「スウィング・ジャズ」と呼ばれる軽快で踊りやすいジャズに対し、より情熱的で創造的な「ビ・バップ」でジャズ界の潮流を一変させ、ジャズをダンスミュージックから即興の芸術と呼ばれる高みの域にまで導いた。
 そんな彼のスウェーデンでの経験を踏まえた名演を収めたのが1951年発表の「SWEDISH SCHNAPPS」である。1954年に34歳の若さで急逝したパーカーは、晩年は精神を病み、入退院を繰り返しており、本作は彼のキャリアでも後期にあたる。ちなみにSCHNAPPS=シュナップスは、北欧で蒸留されるとても強い酒のこと。
 また、チャーリー・パーカーといえば、地元の高校を卒業したばかりの若きマイルス・デイビスを自分のバンドに抜擢したことでも知られている。マイルスにとってチャーリー・パーカーとの初共演こそ人生で最高の瞬間であり、あの時を再現するべく活動してきたと後に自伝に記している。本作はマイルスがパーカーバンドに参加した最後の作品で、歴史的にも意味深い作品だ。
 さらにパーカー作品といえば録音の環境にバラツキがあるという悪評も有名だ。全盛期とされる1945年から48年はアメリカのスタジオで2度の長期的なストライキが起きており、十分な環境でない場所での録音も多く、それが音質悪化の要因となっている。そういうなかでストライキの落ちついた1951年の本作は、名プロデューサーのノーマン・グランツによるハイファイ録音ということで安定のクオリティといえるだろう。
 パーカーの作品としては珍しい風景写真のジャケットは、ノーベル賞の公式晩餐会が開かれるストックホルムの市庁舎を海上から撮影したものだ。
 実は去る8月29日がパーカーの生誕100年の日だった。それを記念する再発盤に選ばれている本作でレジェンドの名演を体感していただきたい。

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「SWEDISH SCHNAPPS」
レーベル:ユニバーサル ミュージック
アーティスト:チャーリー・パーカー
参考価格:¥1,400(税別)

船厨大地の恵みと海の幸「ジャガイモとタコとアンチョビの炒め物」

 ソルトな話題からそれるが「ジャガイモ」というのはなかなか偉大な食材である。日本中で収穫される芋だが、なかでも日本一の生産量を誇る北海道産のジャガイモは格別であろう。品種によって異なるのだろうが、北海道のジャガイモの収穫期は7月から9月にかけてというのが一般的で、この時期は「新じゃが」として流通し、食卓を楽しませてくれる。また、この時期に採れたジャガイモを一冬貯蔵すると甘みが増し、また別の味わいをもたらしてくれるそうである。つまりほぼ一年間、ジャガイモは「旬」であると言っていいのかもしれない。
 そんなジャガイモは海の幸とも相性がいい。ポルトガルなどでは魚の炭火焼きが日常的に食されるが、その付け合わせとしてジャガイモは欠かせない存在だ。
 さて、採れたてのジャガイモを手に入れ、タコとアンチョビを一緒に炒めてみた。言わずもがな、アンチョビ、タコも偉大と言っていいほど優れた食材である。ホクホクとプリプリのハーモニー、それに独特の塩気と香りが加わる。絶妙である。アンチョビも自分で作って、100%国産といきたいところだが、時間が掛かるしけっこう難しいことを経験済みだ。今回は市販のもので。

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「ジャガイモとタコとアンチョビの炒め物」
■材料(2人分)
タコの足2本ほど、ジャガイモ3個、アンチョビ5切れ、ニンニク2片、オリーブオイル大さじ2、塩、胡椒適宜、パセリのみじん切り少々
■作り方
1)タコは一口大に切る
2)ジャガイモはくし形に切り、固めに塩茹でする
3)ニンニクとアンチョビはみじん切りにする
4)フライパンにオリーブオイルを入れ、ニンニクを加え、香りがたったらアンチョビを入れて炒める
5)タコとジャガイモを加えて炒め、塩胡椒で味を整える
6)皿に盛り、パセリみじん切りを振りかける

海の博物誌市の財政を助ける“だし”

 「地の果てに生きるもの」は、知床半島に住む孤独な男をテーマにした60年代の東宝映画だ。突風が吹き荒れる知床の自然と対峙する主演の森繁久彌の演技は必見だ。あの迫真の演技は、突風に苦しめられてきた地元の人々のリアルな表情を参考にしたのではないだろうか。
 あの知床に吹いていた突風は羅臼の“だし”(風)だ。だしは、船を「出す」のにふさわしいことで漁師たちに名付けられた。山形の清川だしや新潟の荒川だしなど各地に吹く局地風の一種である。地形や環境の影響を強く受け、時に突発的に吹き荒れることもあり、漁師の出航の手助けをするだけではなく、各地で様々な突風被害を起こしてきた。
 そんな中、北海道の寿都町は先駆けて90年代からだしを風力発電に活用している。電力会社に売却して現在では年間1億円以上を町に還元する事業だ。無論、突発的に吹く突風には注意は必要だが、だしは地域の財政を支える素敵な風となっている。

Salty Log〜今月の海通い暑い、暑すぎる。それでも海は楽しい!

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波もうねりもない相模湾をクルーザーが駆け抜ける。どこを目指しているのだろう

 2020年、関東地方で「梅雨が明けたとみられる」と報じられたのは8月1日のこと。昨年に比べると8日間ほど遅れたようだ。要するに、今年は「真夏」がとても短かった。うだるような暑さは9月になっても相変わらず続いているけれど、雲の様子が真夏のそれとはどこか雰囲気がちがっていて、空にはもう「真夏!」の雰囲気がなくなっている。夕方になってもひぐらしの声は聞こえない。代わりに日が沈んでからマツムシなどの虫が唄を奏でる。もちろん夏が過ぎても海は無くならないが、真夏というのはいつになってもありがたみのある存在なのだのと、皆さんも夏を迎えるたび、さらに秋の気配を感じるたびに思うのではないだろうか。
 この8月、編集子は2回ほど海にフネを浮かべて遊んだ。キハダやらシイラやらカツオやら、ルアーを投げて遊べる相手を求め、いずれも相模湾を所狭しと走り回った。今年の相模湾が例年と大きく異なったのは、水色の悪さだ。長く続いた梅雨の雨の影響だろうか。いずれの日も海は少し濁ったように薄く緑がかっており、蒼々としたいつもの真夏の相模湾の姿を見ることができなかった。そのせいか、腕のせいなのか、魚の反応の方もさっぱりであった。鳥山も見つけることができなかった。
 それでも、真夏の海はやはり楽しい。どんなに暑くても、ちょっと走ればクーラーの涼風を浴びるがごとく自然の風で体を冷やせるし、クーラーボックスからよく冷えた飲み物を取り出すときの感じも好きだ。汗だくになってかき氷などを作ってやって、あまりの冷たさに「頭が痛てえ!」などといって顔をしかめる仲間の姿を見るのも楽しい。実際にそんなことを、二回の釣行の中で楽しんだ。
 魚の代わりに様々なたくさんの海の生き物たちにも出会った。クジラやイルカの群れを眺めたり、海の上に浮かび上がってくる亀に驚かされたり、いつもより大きなシュモクザメの姿を見つけて「誰か泳げ!」とはしゃいだり。他愛のないことかもしれないが、なぜか海で生き物に出会うとテンションがあがる。これも読者の多くの皆さんにとって「あるある」なのではないか。海の生き物そのものが、非日常の存在なのである。そしてフネがなければ彼らの自然の姿を見ることはほとんど不可能なのであって、そのことにフネという乗り物の偉大さをつくづくと感じられるのである。
 気になることもある。クジラやイルカに遭遇する確率が、数年前に比べると格段に高まっているような気がしてならない。イワシの群れになかなか出会えないのもそのせいなのかしら。環境変化などということについて、あまり深くは考えたくないのが本音だけど、それでもクジラやイルカ、さらにサメや海鳥、そして釣りをする人間にとっても、豊かな海がいつまでもありますようにと願う。
 さて、9月はどんな海が私たちを待ち受けているのだろう。

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懸命に鳥山を探していると遠くの海面のちょっとした変化に気づくことができる。クジラやイルカに出会うとテンションが上がる
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何本もヘビータックルを積み込んだけれど不発。邪魔なだけ(笑)
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このところの夏の定番のかき氷。実のところ、暑すぎて作るのが面倒になる

海の道具直流交流「インバーター」

 インバーター? エアコンの話か? と思われるやもしれないが、電気の変換器の話である。車もそうだが、ボートも同じく電源はバッテリーを通して供給される。ということは、つまり直流12ボルトとか24ボルトといった電力が供給されるわけだ。
 マリンの専用電気機器であればそれをそのまま使えるが、家庭用の電化製品を使うとなると、これを交流100ボルトに変換しないとならない。そこで登場するのがコンバーターという変換機だ。
 コンバーターは交流を直流に変換する回路のことで、インバーターは直流を交流に変える回路なので、コンバーターはちょうどインバーターの逆の働きをする。だからマリンの場合、主に使われるのは、インバーターということになる。
 それならば、この文の最初に出たエアコンは家電なのに、インバーターが必要なのか、ということをほんの触りだけ説明すると、エアコンはモーターを駆動させて仕事をさせる機械で、モーターは基本的に直流で動かす(プラモデルで使ったモーターを思い出してください)。けれどその制御が複雑なので、エアコンの機械内部にインバーターを装備して自在に電圧や周波数変化させている(らしい)。
 ボートで電気給湯器や電子レンジなどを使えたら、けっこう便利だと思うでしょう。
 インバーター自体は、電子制御盤の隅に設置して、コンセントを外出ししていたり、インダッシュでコンセント部分だけ表に出ていたりするので、あまり本体部分を目にする機会はないかもしれない。
 お乗りになったボートに電気湯沸かし器があって、お湯を沸かして温かいカップ麺をこしらえている3分間に、ボートの暗いところで一生懸命働いているインバーターに思いをはせてあげると、ほんの少しカップ麺も美味しくなるかもしれない。

その他

編集航記

ボートに対する趣向が、ここ最近、変わってきていることに気づきました。以前は高馬力の船外機を搭載したセンターコンソーラーが圧倒的に好きでしたが、このところティラーハンドル仕様の船外機を取り付けた小さな和船や25フィートぐらいの古びたシャフト船が欲しくなってきました、麦藁帽子が似合うフネ。サンチャゴのようにひとりで海に出て、海や鳥や魚に語りかけたいな、などと。夢想するだけでも楽しいものです。


(編集部・ま)

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