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Salty Life No.196

ソルティライフは海を愛する方々の日常生活に、潮の香りを毎月お届けするメールマガジンです。

ソルティライフ

月を愛でる日本の風習は縄文の時代からあったと言われています。
お月見と言えば中秋の名月が有名ですが、
旧暦9月に迎える「十三夜」に月見をするのは日本独特のもの。
もともとは験担ぎが由来のようですが、それでも満月ではなく満月を前にした上弦の月に美しさを求めた日本人の感性は誇りに思えます。
美しい月や星が澄んだ夜空に現れる季節になりました。
「Salty Life」 No.196をお届けします。


Monthly Column独り沖に出で、海を慈しむ。

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相模湾で出会ったマッコウクジラ。何を思って泳いでいたのだろう。眺めているとポール・ウインターの「鯨の詩」の旋律が思い出されて涙がでてくる

 アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」は自然に対峙する人間の崇高な姿を描いた作品として知られている。この作品を愛し、作者のヘミングウェイに敬愛の念を抱く方は多いだろう。筆者もファンである。あいにく原作に共感できるほどの英語力を持ち合わせていないのだが、ヘミングウェイはもともと簡潔な文体が特徴で、淡々とした情景描写に憧れるところは大きい。そしてその魅力は、福田恆存をはじめ多くの翻訳家の労力により日本語でも十分に堪能することができる。
 言うまでもなく、「老人と海」はキューバの老漁師・サンチャゴと巨大なカジキとの駆け引き、死闘を軸に話が進む。ただこの物語の魅力は人間の強さだけでなく、サンチャゴの優しさ、自然や生命に対する慈愛に満ちた独白にこそ真骨頂があり、それこそがヘミングウェイの語りたかった「人間の尊厳」なのだと筆者は思っている。
 そんなことを感じられるサンチャゴの独白シーンは彼が舟をこぎ出してすぐにやってくる。
 「鳥ってやつはおれたちよりつらい生活を送っている。(略)けれど、なんだって海燕みたいなひよわで、きゃしゃな鳥を造ったんだろう、この残酷な海にさ? なるほど海はやさしくて、とてもきれいだ。だが、残酷にだってなれる、そうだ、急にそうなるんだ。それなのに悲しい小さな声をたてながら、水をかすめて餌をあさりまわるあの小鳥たちは、あんまりひよわに造られすぎているというもんだ」(新潮文庫・福田恆存訳)
 こうしたサンチャゴの慈しみは魚にも向けられる。小舟に乗り巨大なカジキと向き合いながら、サンチャゴは夫婦のマカジキの雌を釣り上げた時のことを思い出す。いつまでも舟の周りを泳ぎ続け、離れない雄の目の前で、針を外そうと暴れくるい必死に抵抗する雌を棍棒で何度も殴りつけた時の記憶を蘇らせる。みるみると変色し、鏡の裏のような色になった雌の変わり果てた体躯を思い出す。サンチャゴは「おれの出あった一番悲しい事件だ」と独白する。
 「老人と海」を繰り返し読んでいると海の上で得る「感動」とはいったいなんだろうと考えさせられる。
 家族と妻と、子どもと、ボートを楽しむ。美しい景色を海から眺める。次々と景色の変わりゆく峡水路のクルージング、途中で訪れるレストランの料理。うまい飲み物。仲間と楽しむ季節の釣り。様々なレジャーシーンに享楽があり、新たな発見がある。それも感動的だ。筆者も長年にわたってそれらを享受してきたが、感動とは決して歓声や笑顔とともに訪れるものだけではない、ということにも気づいている。
 広い海に独りで舟を走らせていると、仲間や家族と一緒に楽しんでいるときとはまったく違う景色が見えてくる。たとえば水平線以外に何も見えない大海原の真ん中で、たった一羽の海鳥に出会ったとき、その鳥は友になる。サンチャゴと同じように話しかけたくなる。遠く水平線に潮を吹き上げる鯨を見つけ、彼はどこからやってきて、どこに向かおうとしているのか、なぜこの場所を泳いでいるのかといったことを考える。鯨に人格を見いだし、気持ちを探ろうとすると切なくなる。港に戻るときになって時化られ、嫌気がさすような波に繰り返し叩かれながら見る灰色の海からは、逆に話しかけられているような気がする。荒れた海は恐怖をもたらすものだが、そのなかにも女性らしい優しさを湛えているように感じられるのも独りのときだ。風や雲も同じだ。その語りかけに思わず涙がでてくるときがある。賑やかに楽しんでいるときとは異質の感動だ。港に戻って一日を振り返ったとき、海と舟を通して得たものの大きさに気づく。独りで魚を獲っている漁師は、毎日、海とこんな付き合い方をしているのだろうか。
 もちろんヘミングウェイが命を吹き込んだサンチャゴの感性には遠く及ばない。それでも海で「孤独」の体験を重ねていくと「老人と海」の世界を少しだけ理解できたような気になるのである。

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カモメもどちらかというと「泥棒鳥」の部類か。それでも一人でいるときに出会うカモメには感情移入してしまう
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相模湾で出会ったサメ。おそらく「ヨゴレ」という獰猛なサメだと思われる。それでも沖に舟を浮かべていたら、ずっとまとわりついていた。可愛いらしい
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界45カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。1963年東京生まれ。

キャビンの棚パパの名文で勉強しませんか?「ヘミングウェイで学ぶ英文法」

 ヘミングウェイは高校時代、校内新聞の記者だった。卒業後、地元の新聞社で働きながら、のちに確立するハードボイルドの土台となる簡潔な文章を身につけていった。「私の本は高校を卒業すれば、誰でも読める書き方をしている」という言葉が出版社に宛てた手紙にある。
 「ヘミングウェイで学ぶ英文法」は、その簡潔な文章を活かした英語学習書だ。平易な語彙とシンプルな構造の文章は、ひさびさに英語に触れるひとたちでも割ととっつきやすいはず。演習では、まず和訳を読んで内容を把握してから原文へのチャレンジを実践する。言語学や文体論、英文学など多方面のヘミングウェイ専門家たちによる解説も用意している。
 多くの人がヘミングウェイの原書を読んでみたいと一度は思ったことがあるだろう。この本でそれが実現する。初心者にとってハードルの高そうな長編ではなく、各章ごとに専門家おすすめの短編を丸ごと収録している。一冊やり遂げて、「短編小説の名手」としても名高いヘミングウェイの6作を読破できるのだ。
 簡潔な文章で、人々や情景を豊かに描写するヘミングウェイは、表現技法にかなりの工夫がある。「それを支えているものが文法」と同書。文法を学ぶことが彼の描写をよりしっかりととらえて作品を読み込むことに繋がる。毎年約800万の社会人が英語を勉強する日本で、80%の学習者が1年で挫折するらしい。そんな英語業界で話題の同書は、好評につき第二弾の発売が決まるなど、今年のベストセラーとなっている。英語を興味深く、楽しく勉強するこの学習書は、偉大なるパパことヘミングウェイをもっともっと分かった気にさせてくれる素敵な一冊でもあるのだ。

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「ヘミングウェイで学ぶ英文法」
著者:倉林秀夫 河田英介
発行:アスク出版
参考価格:¥1,900(税別)

船厨組み合わせの由来が気になる「マグロの山かけ丼」

 料理を前にして、先人たちの偉大さに思いをはせることは誰にもあろう。よくある話だ。いったい誰が最初に棘だらけのウニを旨いと発見したのか。タコやナマコにも同じことがいえる。フグに至っては食える場所を確定させる過程で何人もの人が命を落としてきたに違いない。逆にあれだけうじゃうじゃと港で動き回っているフナムシを人は食べない。だれかが勇気を振り絞って口にして食用には向かないと判断したのだろう。まったく畏れ入る。
 マグロに山芋をかけた「山かけ」を前にして同じようなことを考えてみる。たいていの居酒屋のメニューにあって、当たり前のように出てくる「山かけ」だが、よくよく考えてみるとこの組み合わせの意味がいまひとつわからない。だれが考えたのだろうか。今どきネットで調べれば答えが見つかりそうなものだが、こんなことに疑問を抱くのはソルティライフぐらいのものなのか、答えらしい答えは見つからない。
 マグロを美味しく食べるために山芋をかけてみたのか、山芋を美味しく食べるためにマグロを乗っけてみたのか。
 そんなことを考えているうちに、以前「とろろご飯」の専門店の暖簾をくぐったことを思いだした。「とろろご飯」にチーズやら肉やら魚やら、様々なトッピングが楽しめる店だった。店のこだわりはあくまで「とろろ」である。なるほど。これは「山芋料理」であり、マグロは山芋を美味しく食べるための添え物であるという結論を出したところで、ちょうどこの秋の味覚を食べ終わった。

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「マグロの山かけ丼」
■材料(2〜3人分)
ご飯茶碗3杯、マグロの刺身2柵(300gほど)、山芋250g、卵黄1個、だし汁 大さじ1、小ねぎ少々、醤油・わさび適宜
■作り方
1)マグロは1cmくらいの角切りにする
2)山芋をすりおろし、だし汁を加えてまぜる
3)器にごはんを盛りマグロを乗せる
4)真ん中に山芋をかけ、卵黄をのせ小口切りにした小ねぎをふりかける
5)わさび醤油をかけ回し、よく混ぜていただきます

海の博物誌不滅の水上速度記録

 ボートの水上速度の最高記録は平均時速511.11キロとされている。オーストラリア人のケン・ウォービーが69ドルの軍用ターボエンジンを取り付けた自作の木製ボートで爆走して達成した。当時彼はシドニーの日系電動工具機メーカーに勤める一営業マンだった。40年以上に渡り記録が更新されないのは、そのスピードに挑戦することが命を危険にさらす行為だからであろう。
 ボートの時速が200キロを過ぎたあたりから、船体に面する水は、慣性力や粘性力により、硬く変化する。木製ボートの操縦者は「大砲の玉をレンガの壁に放つような衝撃」をうけるのだ。当時を知る人によると、挑戦者の多くは水面からの衝撃と強烈なGで気絶してしまうらしい。そして近年の記録への挑戦者たちの生還率は15%足らずだ。
 ケン・ウォービーは危険を顧みずに30年間挑戦し続けた。2009年に一旦引退したが、昨年息子とともにカムバック。ウォービーファミリーとして新チームを結成した。最速を求めるオトコたちの勇敢さには心から敬意を表したいが「くれぐれも気をつけてほしい」と願わずにはいられない。

Salty Log〜今月の海通いだいじょうぶ、海は元気だ。

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餌をとっていなくても海鳥の集まるところに魚がいる(ことがある)。向こうにうっすらと見えるのは東京湾アクアライン

 千葉県の木更津からボートで海に遊んだ。テレビドラマや映画で名前は全国に知られていると思うが、実際の木更津がどんな町かというと、ドラマで描かれているような雰囲気そのままである。これは部外者の印象だけではなく、生まれも育ちも木更津という人間から常々聞かされていること。台風の傷跡はまだ残ってはいた。それでも、マリーナも海も周りのお店もみんな元気だった。

静かで賑やかな木更津の海

 木更津港内の航路をゆっくりと走った。いつもと変わらぬ風景があった。航路標識に導かれるようにして外海に出た。外海というと語弊がある。ようするに東京湾の海だ。対岸には神奈川と東京の景色が見える。その途中にアクアラインとそのパーキングエリアとなっている人口島「海ほたる」、さらに海底トンネルの通気孔「風の塔」がある。
 よく晴れ、風も波もほとんどなく、快適な海が待ち受けてくれた。
 アクアラインの橋脚の根元にバイブレーションプラグをキャストすると小さなシーバスがじゃれついてきた。しばらくシーバスと戯れたあと、少し離れたところで魚探に大きな反応が見て取れた。鰯の群れだろうか。今度はタックルを変え、タングステンのメタルジグを遠目に放り込みリールを巻いた。シーバスとは異なるアタリがあって、あわせを入れる。少々長めのやりとりの末、ネットに収めた魚はイナダだ。サイズは物足りないが、よく走り、楽しませてくれた。
 さらにたくさんの海鳥が羽を休めている浅めのエリアに移動してミノープラグを投げた。ここでもシーバスが掛かってくれた。先ほどのシーバスよりも少し大きい。マリーナを出てから2時間ほど。静かな海のなかは、その表情とは裏腹にとても賑やかであるように思えた。活性の高い魚たちと遊びながら、そう思った。

帰り際にカキ小屋でくつろぐ

 台風15号は9月9日に千葉県に上陸し、一晩ですさまじい被害をもたらした。過去最大規模の台風だったと報じられた。家々に傷を残し、古い家屋は倒壊もした。その資材が風で空を舞い、さらに他の家屋に傷を残した。大規模な停電、それに伴う断水、燃料不足。想定していた以上の被害で、停電の復旧に時間が掛かったことで水道の復旧も遅れた。
 そんな被害の様子をニュースで見聞きしながら一日も早い復旧を祈っていたときに、フィッシング・ジャーナリストを生業としている知人が「千葉に釣りに行こうぜ」とネットで呼びかけていた。その呼びかけに「不謹慎だ」との声も一部から上がったらしいが、実際に内房のシースタイルのホームマリーナは営業を続けていたし、レンタルボートも受け付けている。それで気持ちも軽くなりレンタルボートの予約を入れたのだった。
 木更津のセントラルさんは社屋もマリーナも大きな被害はなかったというが、実際は、ここで働く人たちの生活は大きな苦労を強いられていた。あるスタッフは「やっと風呂に入ることができたときは、本当に風呂のありがたさを実感した」と笑いながら、それでもしみじみと、本当にありがたそうに語っていた。休日は家の片づけに忙しい、という。
 この日は早めに上がって、レンタルボートが係留されている港のそばにある魚屋さんに行ってみた。もともと木更津は「漁業の町」ではない。それでもここには食堂や魚屋で買った魚介を焼いて食べることのできる施設があって、木更津に来たときの楽しみのひとつになっている。 厚岸産の牡蠣と養殖の車海老を店で買い、網でじっくりと焼き、熱々のそれらを頬張った。爽快なボーティングと釣りはもちろん楽しかったが、この日、もっとも至福を感じた瞬間だった。

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セントラルの目の前のポンツーン。シースタイルはここから出港
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シーバスに混ざってイナダが釣れた。小型だけどよく走るから楽しい
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セントラル近くにある厚生水産は千葉県内に展開する魚屋さん。カキ小屋が楽しい

海の道具一生に何度出番があるのか?「ビリークラブ」

 トローリングボートに乗り込むと片隅に少年野球用のバットが。なぜ?とよく見れば、ちょっと様子が違う。形状は確かにバットだが、やけに短い。そしてグリップエンドに少し長めの紐のループが取り付けられている。
 実はこれ、カジキの頭を叩く専用の棍棒なのだ。通称はバットというが、ビリークラブというのが正式名称らしい。
 針にかけたカジキを長時間のファイトの末、ようやく船べりまで引き寄せる。ギャフを打ち、逃げられないようにしたところで、バットで脳天を殴打し、とどめを刺す。そうして静かになったところで、ようやく角をつかみ、デッキに引き揚げる、というのがカジキを取り込むときの流れだ。
 いくらファイトで疲れ果てたカジキとはいえ、最後の力を振り絞って暴れだしたら、とてもじゃないが触れることはできない。カジキの角は非常に硬く鋭く尖っており、簡単に人間のお腹も引き裂くほど。危険なのだ。安全に取り込むには、命を絶つしか方法がない。
 ビリークラブには握りの部分に滑り止めのグリップテープが巻かれており、振り回したときに手から離れても飛んでいってしまわぬように手首に巻く紐もついている。長さも重さも成人男子が片手で扱うのにちょうどいい仕様となっている。使用用途は一点だけだが、そのための装備は十分行き届いてしつらえられている。
 でも、と思う。
 このビリークラブが本当に役に立つときがあるのだろうか。カジキのヒットさえ経験のない者にとって、宝の持ち腐れを危惧して止まない。

その他

編集航記

ラグビーのワールドカップが日本で開催されていますが日本のホスピタリティ「おもてなし」が海外のチームから高く評価されているようです。先日はニュージーランド代表のキャンプ地の小学生たちがマオリ民族に伝わる舞踏「ハカ」を披露してチームを歓迎したことが話題になっていました。ラグビーの試合前に行われるこの舞踏は「ウォークライ」と呼ばれ、ニュージーランドの「ハカ」のほか、トンガの「シピタウ」、フィジーの「シビ」、サモアの「シヴァタウ」が有名ですね。いずれもかつてはカヌーで太平洋の島々の間を航海していた海洋民族に伝わる伝統舞踏です。海とラグビーを結びつけるのはいささか強引のような気もしますが、こうしたアイランダーたちのチームを応援したくなるが海に関わる我々の人情ってものです。


(編集部・ま)

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