55mph - 彼女と8月27日のオートバイ
人生の大きな転機を迎えるため彼女はオートバイを手に入れ、そして走った。夏の終わりと秋の始まり、過去と現在が交錯したある日のストーリー。
彼女は海岸沿いに伸びる道をオートバイで走っていた。片側二車線の広い国道だ。まだ夜が明けてから1時間と少し。車はほとんどいない。陽射しが強く気温も高いが、空の色は秋めいた深いブルーに彩られている。
早朝の鋭い斜光がアスファルトに大きな影を映した。彼女の長い手足と真新しいオートバイは思わずため息が出るほど見事な調和を誇っている。しっかりと顎を引き、上体を程よくリラックスさせていることがシルエットからでも分かった。ヘルメットからのぞく後ろ髪がスロットルを開けるたびに揺らめく。それはまるで神様がゼロから作りだしたように完成された光景だった。
「どこまでも行ける、か……」
誰にともなく呟いたその声は強いオフショアの風にさらわれ波へ消えた―――
モデル/落合恭子 写真/高柳健
私は出版社で女性向けファッション雑誌の編集者をしている。この時世にあって業績は決して芳しくないが、毎日の仕事はとても充実していた。いまはデスクとして他の編集者たちをまとめる立場だ。地元の大学を卒業し、東京の出版社で働くようになって約6年半の月日が流れていた。
その日は特集ページの撮影で1日中スタジオにこもっていた。
私はスタジオでの撮影が好きだった。モデル、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、そして編集者……天候やロケーションといった不確定な要素がない分、それぞれの力量がはっきり表れると思っているからだ。キャリアを重ね、自身もプロのひとりとして現場に携わっているという自覚が芽生えると、その思いはますます強くなった。
「オートバイに乗ってみたら? きっと似合うと思う」
撮影後、機材の片づけをしていたカメラマンが私に言った。彼は1300㏄のオートバイに乗るライダーだった。
「オートバイって人間を超えた能力をもつ機械でしょ。しっかり操るにはあなたのように自己が確立してないとね」
その言葉は私の背中を大きく押した。
私はこれまでの人生で一度だけオートバイに乗ったことがあった。小学4年生の夏休み、父の後ろに乗って海まで行ったのだ。とても疲れたけれど、意のままに動き回ることのできるオートバイに大人の自由を感じた。旅の途中、父は「オートバイならどこへだって行ける」と言った。オートバイは父であり、一人前であることの象徴だった。
私はすぐに教習所に通った。雑誌編集の仕事をしながら教習所に通うのは思った以上に大変なことだったが、オートバイを操る楽しさの方がそれに勝っていた。夏の間に大型自動二輪免許を取得し、すぐにヤマハの900㏄を買った。
「おっ、オートバイでここまで来たのか」
背後から、どこか飄々とした響きがこもった声が聞こえた。
「上京してからもうずいぶん経ったからね、そろそろ私が乗ってもいい頃かと思って」
クセがついてしまった髪を直しながら私は振り返った。
「こいつがあればもうどこへだって自分で行けるさ」
自分のオートバイのタンデムシートに手を着くと、父は低い声でそう言った。
「そのオートバイにも乗っていい?」
「もちろん」
父から受け取ったキーをシリンダーに差して回すと赤と緑のメーターインジゲーターが頼りなく点灯した。ガソリンコックをオンにし、チョークを引いて軽いキックを踏む。3回目のキックでエンジンはあっさりと目を覚ました。
特徴的な形状のマフラーから吐き出される2ストロークの煙に私は白昼夢を見た。
それぞれのオートバイで走るあの頃の父と現在の私―――
わたしはRZ250によって大人を意識し、このXSR900で大人になった。 18年の時を隔てた、同じ8月27日のことだった。
RZ250(4L3)
リッター当たり140馬力を誇る水冷2ストローク並列2気筒エンジンやダブルクレードルフレーム、モノクロスサスペンション、軽量キャストホイールなど、当時の最新技術を数多く採用し、ロードレーサーTZ250を思わせる精悍なスタイリングと相まって大人気となったモデル。 RZの登場により、排ガス規制によって4ストロークへの移行しつつあった市場のトレンドは一変、後の「レーサーレプリカ」ブームの先駆けとなった。1980年登場。
XSR900 Authentic
水冷3気筒エンジンを搭載するスタンダードモデル、MT-09をベースに「ネオ・レトロ」をテーマにしたスタイルを採用。トラクション・コントロール・システムやアシスト&スリッパークラッチといった技術も新たに追加され、過去と未来が融合する新しい価値観をもった一台として人気を博している。写真は往年の名車「RZ250」をモチーフにしたワイズギアの外装キット「オーセンティック・シリーズ」を装着したもの。