55mph - SRと過ごす週末
アナログでシンプルなSRだからこそ走りに行きたくなる場所がある。大人の週末をほんの少しだけ豊かにしてくれるショートトリップへの誘い。
「春、目的地のいらない旅へ」
写真/井上六郎
夜、枕元で1冊の本を手にしていた。本棚を整理していたら偶然発見した古いオートバイ雑誌。中綴じで紙質も上等とは言えないが、美しいビジュアルが印象的な本だ。角の部分はまとめて外側に折れ曲がり、いくかのページはホッチキスの束縛を離れて行方不明になっている。昔、何度も繰り返し読んだ記憶もあるが、その内容についてはもうほとんど忘れていた。僕は新型車の中に“馬が何頭いるか”について熱心に書かれた記事を足早にめくると、コラムや読者投稿が割り当てられているであろうモノクロページへと読み急いだ。そっちの記事の方が就寝前に読むにはふさわしい。
新型車のインプレッションが終わると誌面はツーリング記事へと変わった。いまとなってはすっかり懐かしいバイクがワインディングで躍動している。どうやら日本の名所をピックアップして紹介していく企画のようだ。次はバイクが点のように小さく写った“引き”の写真。後半になるにしたがってキャッチコピーのボルテージが高まる。さらにページをめくると、僕は思わず「あっ」と声が出た。
新緑の中を走るバイク―――
ライダー目線で撮影されたその写真は大胆にも見開き一面に掲載されていた。
とろけるように鮮やかな緑色が左右だけではなく頭上近くにまで広がっている。スローシャッターで撮影された、いわゆる“流し撮り”だ。背景の流れ方からいってシャッタースピードは1/50秒以下だろう。ライトケースだけが合焦し、撮影者の力量を無言で伝えている。濃紺のマシンは緑のトンネルの先に伸びる緩やかなカーブへと向かって(恐らく)加速している。スロットルを捻るライダーの高揚は明らかだった。
ページをめくる手が止まったのは、この写真が自分の脳裏に潜在的に焼き付いていたからだ。僕にとってのツーリングとはまさにこれだった。エンジンの鼓動に空気のざわめき、ライダーの心理、木々や生命の息吹など、ツーリングにおけるエクスタシーがこの1枚に凝縮されている。バイクという機械は感受性を増幅させ、バイクの旅はその増幅した感性で世界を見る行為だ。写真の脇には「春の〇〇林道にて」とキャプションが付いていた。
翌朝、僕は久しぶりに郊外へとSRを走らせた。桜の花が散り、ジャケットの首元から吹き込む風がすっかり心地良い温度に変わっている。家から2時間、国道から道幅の狭い県道、さらに進んでセンターラインのない林道へ。コナラ、クヌギ、ケヤキなどの落葉樹は目の覚めるような若草色だ。林道の荒れた舗装を木々の隙間から差し込む陽光が斑模様に照らす。
コントラストの強い、まるでフェルメールの絵画のような風景を僕とSRは進んだ。道はつづら折りの急峻な登りへ。タイトなヘアピンコーナーの前でギアを落とす。僕は増幅したトルクを一気に発散させることなく、慎重にクラッチを繋ぎ、回転数を抑えて走る。クルマやバイクとは1台もすれ違わない。聞こえるのはシジュウカラのさえずりと空冷単気筒のハーモニー。コーナーをひとつクリアするたびに、胸の鼓動が高まる。自分の感覚が研ぎ澄まされているのがよく分かった。
コーナーをいくつ曲がっただろうか、いよいよ峠の頂上に差し掛かると勾配がぐんと緩くなりアクセル開度が同じでも自然とスピードがのってきた。あたりの風景が徐々に輪郭を失い、風が吹きつける。さまざまな生命の息吹、エネルギーを内包した風。春のライダーだけが感じることのできる緑色の風だ。
春の旅路に目的地はいらない、世界を感じる「瞬間」を見つければそれがツーリングだと思う。