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55mph - SRと過ごす週末

アナログでシンプルなSRだからこそ走りに行きたくなる場所がある。大人の週末をほんの少しだけ豊かにしてくれるショートトリップへの誘い。

 バイク乗りの海、湘南へ。
文/佐藤旅宇 写真/井上六郎

思いきって脚に力を込めたものの、SRのキックペダルは途中で引っかかり踏み抜くことはできなかった。シートに座ったまま、意地悪な沈黙を決め込んだ空冷単気筒をいぶかしげに覗き込む。僕の始動のさせ方がヘタクソだからに他ならないのだが、周囲の目が気になってついそんな行動をとってしまった。だってしょうがないだろ、バイク歴20年のメンツってものがあるんだから……。

自宅から江の島へと至る国道467号線。うっかりエンストさせた同い年生まれのマシンと苦闘する男の背を梅雨の晴れ間の陽射しが炙る。暑い。ジャケットの下に着た7オンスのTシャツが早くも疎ましい。
少々混乱気味になっているアタマを整理し、プロセスをなぞる。ピストンの圧縮上死点を探り当て、デコンプレバーを引いたままキックペダルをわずかに踏み込む。僕は誰からも悟られないよう横目でキックインジケーターが白になったことを確認した。

「いまさらどう取り繕ってもカッコつかないわな」

今度はあっさりエンジンがかかったが、ぎこちない一連の所作に苦笑せざる負えない。
SRというバイクはロマンチストの乗り物だ。

週末の江の島周辺の道路は想像以上に混雑していた。
国道134号線はクルマで埋まり、ドライバーたちはハンドルを胸に抱え絶望の表情を浮かべている。
僕は2台のミニバンの間にSRを滑り込ませると海岸沿いの道をゆっくり進んだ。シングルエンジンの鼓動がライトケースに映り込む風景を壊れたテレビのように乱す。
気分は、ぜんぜん悪くない。
苦行でしかない現実を感情のフィルターで楽しみに転化することはバイク乗りの十八番だ。僕は高校時代に初めて手に入れたバイクでここを走ったときのことを思い出していた。

真っ赤なビキニカウルのついた50㏄のロードスポーツ。未知の場所を走る高揚感とエンストへの不安が入り混じった往復100㎞のツーリングだった。道中、やたらに喉が渇いたことと、買ったばかりの白いスニーカーがエキパイから飛び散ったオイルで汚れてしまったことを覚えている。コーラを1本飲んだ以外はひたすら走っていただけのツーリングだったが、いまだ人生の10指に入る鮮烈な体験だ。

渋滞をやり過ごし、僕は国道沿いにある踏切を渡った。そこから鎌倉山方面へと延びるまっすぐな坂道を登りきったところでSRを停め、後ろを振り返る。大勢の観光客でにぎわう麓の喧騒とは打って変わり、ここには誰もいない。湿度のせいでいまひとつ青くなりきれていない海にはウインドサーフィンのセイルがまばらに浮かんでいるのが見えた。まだわずかに涼しさを含んだ風が吹くと、脳裏に10代の頃から変わらない、バイクツーリングの漠然としたイメージがよぎる。

青空、入道雲、夏の日差し、海岸、白いTシャツ……

ここを訪れると、そんな年を重ねるとともに心の奥底へ追いやられてしまったバイク乗りの空想を恥ずかしげもなく肯定したくなる。

サンドビーチにサーフショップ、ピックアップトラック、ヤシの木、大勢の観光客。自分の知る日常にはないスタイリッシュなカルチャーが息づき、開放的で明るく、前向きなその風景は、未来に対してとことん楽観的になれるバイクの“気分”を代弁してくれているようだ。

湘南はバイク乗りの海である。

ライディングギア協力

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