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Salty Life No.197

ソルティライフは海を愛する方々の日常生活に、潮の香りを毎月お届けするメールマガジンです。

ソルティライフ

11月といえば「ボージョレ・ヌーボー」解禁の日がやってきます。
「ボージョレ・ヌーボー」は言わずと知れたフランス・ボージョレ地方でその年に収穫されたブドウを使って作られたばかりの新酒です。
解禁日となる今年の第三木曜日は21日。
立冬も過ぎ、このころには少し冷たい風と海から臨む冬枯れの景色に冬の訪れが感じられそうです。ボーティングを休んで、のんびりと海辺のレストランでワインを楽しむ日があってもいいかもしれません。
「Salty Life」No.197をお届けします。


Monthly Column海辺の音の記憶

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メキシコのカンクン。アカプルコにしてもロスカボスにしてもメキシコは音楽であふれているイメージがある

 先日、キアヌ・リーブスが主演する古いアメフト映画を観ていたら、グロリア・ゲイナーの「恋のサバイバル(I Will Survive)」が劇中歌として使われていて、鑑賞中にもかかわらずジャマイカのモンテゴベイの風景を思い出してしまった。
 ジャマイカを訪れたのはかれこれ15年ほど前になろうか。10日間ほどの滞在で、首都のキングストン、そして北部のモンテゴベイに移動して撮影をした。キングストン滞在中は撮影の合間にボブ・マーリーの博物館を見学できたし、帰国の途に着く日には現地のスタッフが彼の代表的なアルバム「Exodus」をプレゼントしてくれた。そんなこともあり、本来ならジャマイカといえばレゲエを思い出しても良さそうなものだが、私の場合は「恋のサバイバル」なのである。
 もちろんわけがある。モンテゴベイでは身の丈に合わない豪華なオールインクルーシブのリゾートに宿をとってもらったのだが、ある晩、ディナーの途中でバンドが「恋のサバイバル」を演奏したのだ。この曲が始まると、その場にいたアメリカ人ツーリストたちの「何か」を刺激したようで、ほぼ全員が次々と立ち上がり、ステージの前で踊り始めたのである。それも全員が列を作り、息の合ったように横移動しながら手拍子を打つなど同じ動きをする。インパクトがあった。件の映画でキアヌ・リーブスたちが踊るのとほぼ同じであったことを考えると、アメリカではダンスとセットで流行ったのかもしれない。日本でも流行ったこの曲のリリースは1978年。踊っていたのはもちろん中年の男女ばかりであった。そのシーンは決して不快なものではなく、モンテゴベイの美しい海の記憶とともに楽しい思い出として私の中に刻み込まれている。
 いきなり変化球のようなトピックを持ち出したが、海や旅の記憶は味覚、臭覚などの五感から蘇ることが多い。そして聴覚、なかでも音楽は重要な地位を占めている。
 メキシコの海には縁があって3回、5カ所ほどの海辺を訪れたが、やはり、それぞれに思い出の音楽がある。
 ある年、カンクンの海辺で敬愛していた方の訃報を受け取ることになった。その時、海を見ながら頭の中にリフレインしていたのが亡くなった方の好きだったビル・エバンスの「Seascape」だった。いつ来ても極上の色彩を放つこの海にまったくと言っていいほど似合わない曲なのかもしれないが、この時は「Seascape」によって美しいはずの海が違う色に見えた。
 いささかメロウな雰囲気のジャズとは対照的だが、カンクンではダウンタウンのレストランで聴いたマリアッチ(レストランなどで演奏するメキシコの楽団)の演奏も鮮やかな音として記憶に残っている。中でも「シエリト・リンド」(曲名は後になって知った)は、さびのコーラスに差し掛かると「イヤーイヤーイヤヤー、イヤーイヤーイヤヤヤー」(聴けば読者の皆さんもご存じのはず)と客たちの大合唱がはじまる。スペイン語の歌詞なんてわからないが、そこだけは私も参加できる。というか、メキシコ人でも正確な歌詞を知っている人は稀のようで、みんなこの部分しか歌わない。楽しかった。
 そんなわけで、トランペットとギター、バイオリンなどによるマリアッチが奏でる音を聴くと、飲み過ぎたテキーラの味とそれが抜けないまま船に乗り、カジキ釣りに出たけどカツオしか釣れなかったカリブ海の波のキツさなどを思い出す。
 マドレデウスの「美しきわが故郷」を聴けばリスボンのテージョ川の河口の風景や魚の炭火焼、ビーチボーイズの「Kokomo」ではフロリダキーズの島と海、そして大好きな八代亜紀の「おんな港町」を聴けば不知火海の二艘曳の勇壮な漁と大漁の真鯛を思い出したりする。音楽を聴くことで蘇る海の記憶は枚挙にいとまがない。
 他の人たちはどのような音からどのような海を思い出すのだろう。

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美しいジャマイカのモンテゴベイ。筆者にとってはレゲエよりもグロリア・ゲイナーの海なのである
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リスボン出身のマドレデウスは自国の言語を「世界一美しい」と誇る。焼き魚とパンと白ワインの食事に彼女らの曲を加えればポルトガルがよみがえる
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界45カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。1963年東京生まれ。

キャビンの棚日本発のワールドミュージックの出発点「トロピカルダンディ」

 まだロックのなかった戦後の日本では、洋楽といえばジャズや映画のサントラと、ラテンやハワイアン、カントリーなどのワールドミュージックだった。大衆向けの昭和歌謡ではそんな洋楽のエッセンスを色々取り入れたものが特に親しまれたらしい。それから少し時が経った1975年に、戦後生まれの細野晴臣が、「トロピカル3部作」の第1弾「トロピカルダンディ」を発表した。
 細野晴臣といえば、大瀧詠一とのフォークバンド「はっぴいえんど」でロックを、坂本龍一らとのグループ「YMO」ではエレクトロニックミュージックを日本から世界へ発信してきた。デビュー50周年を迎えた現在も、人気マルチタレントの星野源や話題の映画「万引き家族」に楽曲を提供している。また、ローリングストーンズのビル・ワイマンなど世界的なミュージシャンにも細野ファンが多い。
 細野は1972年の「はっぴいえんど」の解散後、埼玉県狭山市へ移り住んだ。当時の狭山は旧米軍の集落がある国際色豊かな街で、自由な空気のある土壌があり若くて新しいミュージシャンが集結していたという。そこで松任谷正隆らと意気投合し、ブレイク前の荒井由実や大貫妙子に楽曲を提供した。その傍らに制作したアルバムが「トロピカルダンディ」である。吉田美奈子や大貫妙子、南こうせつをコーラスに、松任谷正隆や佐藤博、鈴木茂などをバンドメンバーとして迎えて、アメリカの真似事ではない日本発の音楽を目指した。 
 このアルバムのイメージは、カリブの海、島々、そして風。そのイメージを腕利きのメンバー達で表現した名演はゆったりとした秋の夜長をエキゾチックで刺激的なものに一瞬で変える強い力をもつ。ちなみにアルバムのジャケットにある船はタイタニック号で、細野の祖父が同号から生還した唯一の日本人であることにちなむ。さまざまな逸話や作品をもつ細野のひとつの出発点である「トロピカルダンディ」は、50周年を迎えた彼の音楽を探求するのに相応しい起点となるはず。

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「トロピカルダンディ」(紙ジャケット仕様)
細野晴臣
レーベル:日本クラウン
参考価格:¥1,855(税別)

船厨とりあえずチャレンジしてみた「にぎり寿司」

 寿司には大きく分けて2種類ある。ひとつは魚介などを米と一緒につけ込んで発酵させてつくった「馴れ寿司」。もう一つは米を酢で味付けし魚介などを乗せるなどして食する「早寿司」だ。にぎり寿司は早寿司のひとつで、これは文政年間に江戸・両国の華屋与兵衛が創案したとされている。もともとは屋台でつままれていた庶民の食べ物という説がまかり通っているが、実際には贅沢な材料を使った高価な寿司も江戸時代から存在していたようだ。最近では回転寿司がすっかり当たり前の存在になってしまって見ることも減ったが、たまに贅沢をして入ってみた寿司屋で、器用に素早く、ものの見事に寿司を握っていく職人の熟練の手業を見るのは気持ちのいいものである。
 さて、思いがけずたくさん釣れたカンパチの若魚を目の前にして、ふと思いついたのが「江戸っ子が好んだ秋のショッコの握りをつくってみよう」であった。ショッコは脂ののった大きなカンパチよりもさっぱりしていて、いかにも江戸っ子が好みそうである。
 「飯炊き3年握り8年」という言葉がある。美味い寿司を握るためには知識だけでなく相当の経験と技術が求められることは想像に難くない。それでもプロの職人が登場している動画などを見ながら、手前の手先の不器用さを呪いつつ、何とか形にしてみたのが写真の握りである。ひとつひとつ苦労してつくったにぎり寿司なのに、なくなるのはあっという間だ。どんぶりに酢飯をよそってバラチラシにでもしたほうが良かったのではないか、なんて考えがよぎったけれども、それでも不格好なにぎり寿司を次から次へと美味そうに食べてくれる家族を見るのはなかなか幸せなことである。もちろん自分でも口にしてみた。プロの職人さんに叱られそうだけれど、モタついてつくった割には、けっこう美味かった。
 とりあえず、能書きはおいておこう。握って食べてもらう。楽しいひとときになることは確かだ。

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「にぎり寿司の作り方」
■材料(米2合分)
米2合、米酢40ml、砂糖(大さじ2)、塩(小さじ2)、寿司ネタ
■作り方
1)炊き上がった米を寿司桶に移し、材料を混ぜてつくった寿司酢を少しずつかけ回し、うちわで扇ぎながら米が潰れないように杓文字で切るようにして混ぜていく。人肌ぐらいになるまで冷ます。
2)魚の切り身等を適度な大きさに切り分けネタを用意する。
3)酢と水を1:1の割合でつくった酢水を手のひらにつけ、片手に一口分の酢飯(シャリ)を乗せ軽く握る。
4)もう片方の手のひらにネタを乗せ、わさび等を塗り、その上に、3のシャリを乗せ軽く握りながら形を整える。

海の博物誌海の幸、藻類を次世代エネルギーに活かす

 ワカメや昆布などの藻類が地球を酸素の豊かな惑星にした。藻類は30億年の歴史をもつ、地球上で最古の生物のひとつである。その種は推定1000万以上に及ぶ。そんな藻類を飛鳥時代から食べていた日本人は、最近の研究で欧米人に比べて藻類を適切に消化する酵素を先天的に持つ、なんてことも明らかになっている。そして現代の日本人は藻類を美味しく頂くだけでは飽き足らずに、環境に優しいバイオマスエネルギーとして活用する動きも広げている。
 藻類は発酵することで発電に活用できるメタンガスを生む性質をもつ。近年では微小な藻類から搾りとった油を加工しガソリンの代用とする技術が急速に進歩している。藻類はとうもろこしや大豆から作られる他のバイオマスに比べ生産能力が格段に高い。光合成により水中で増殖するので、他の食物資源に影響を与えずに日本の豊かな海洋を活用してエネルギーを得られるのだ。すでにガソリンのかわりに藻類からのエネルギーで走行する乗用車の実証実験も数多く行われている。
 ワカメや昆布などの藻類を食べると髪の毛が太くなる。この俗説は残念ながら科学的な根拠は全くないらしい。しかし、太古の昔に地球環境を変化させた藻類を、今度は次世代のエネルギーとして活用する科学的な根拠は揃いつつあるのだ。

Salty Log〜今月の海通い内房の海に浮かび豊穣を味わう

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午後になって少し風が強まってきたが、館山湾の釣り場は港からも近く気軽に楽しめる

 先月は木更津の海で遊んだ。そして今月はもう一歩南に脚を伸ばし、内房の館山までやってきた。台風被害の傷跡はまだ癒えておらず、館山道の富浦インターを下りるとすぐ右手に見える土産物屋やレストランが建っていた「南房総道楽園」はほとんどが修理中でクローズ状態。目的地である船形漁港へいく途中にも窓ガラスが割れたままのお店や屋根をブルーシートで覆った家屋が目に入ってくる。それでも人々は日常の生活を取り戻しつつあるし、遊び場としての内房の海は健在だ。そして、その海は変わらずに豊穣だった。

日がなショッコと戯れる

 「おはようございまーす」
 館山・船形漁港のシースタイルのホームマリーナ、高尾商会の店舗に入ると、いつも通り元気な高尾さんの姿があった。
 「実家は屋根が飛ばされたりして大変でしたけど、僕の家もボートも大丈夫。ただ台風直後は港の中にまで壊れた建物の残骸などが浮いていて、レンタルは少しの間、休んでいました」
 港に移動して荷物の積み込みなどしているときにようやく気づいたのだが、高尾さんの歩き方が少し不自然だった。聞くと、台風がやってくる以前に、作業中に足首を骨折して一ヶ月ほど入院していたとのこと。高尾さんにとっては台風よりそちらの方が災難だったかも知れない。それでもタックルなど荷物の積み込みを手伝ってくれ、岸壁で舫いを解いてくた。安心して沖を目指すことができた。
 この日の目的はいつも通り釣りである。タイラバでマダイが釣れればいいな、というのと、まあ、ルアーを落として引いていれば何か釣れるだろうと、気軽にやってきた。
 高尾さんが勧めてくれたいくつかの根を回り、魚探で海底の様子をイメージしながら釣りをはじめた。この日はカンパチの若魚がよく釣れた。カンパチはブリと同じく出世魚のひとつ。体長が1.8mにもなるアジ科の中でも最大の魚だが、この日に釣り上がるのは40cmほどの若魚ばかりで関東地方ではショッコと呼ばれるサイズである。タイラバ以外にも60gほどのタングステン製のジグをキャストしてもよく釣れた。タイラバ以上にショッコの反応が良く、なかなか楽しい釣りができた。そういえば前回、館山湾に遊びに来たときはかなり大きなサイズのトラフグが釣れて我々を驚かせた。本命が釣れなくても、楽しめる。それが内房の海にボートを浮かべるたびに抱く印象だ。

吹かれた海から上がり温泉で和む

 午後になると、思っていた以上に風が強まり、ボートを走らせると風上からスプレーを浴びるようになってきた。そんなこともあって、早めに上がって、館山の市内に向けて車を走らせた。
 閉店を余儀なくされている店もあるが、開いているお店もたくさんある。閉店直前に駆け込んだ食堂でオーダーしたのは「金目鯛のなめろう丼」。初めて食したが、これがめっぽう美味い。内房ならではの名物料理に舌鼓を打ったあとは館山の海辺のホテルで温泉につかった。実はここも台風の被害を受けて宿泊施設はクローズ中だったが、温泉だけはちょうどこの日から営業を開始したのだという。
 平日の夕方ということもあって客は他にいない。少し冷えた身体を湯船に沈めると身体と一緒に心までもが温まる。なんと心地の良いお湯なんだろう。海はいうまでもなく、食も、お湯も、極楽を感じさせてくれる、そんな南房総なのであった。ああ、帰りたくない!

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この日よく釣れたカンパチの若魚。キープしてにぎり寿司をつくった。結果は「船厨」の記事の通り
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金目鯛のなめろう丼。とろけるような口あたり。絶品であった。房総の新名物「かじめ」の味噌汁付き(漁師料理たてやま)
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釣行を終えての温泉は格別。館山には温泉のみの利用ができるホテルや旅館がいくつかある。お気に入りを探すのも楽しい

海の道具バッテリーの食堂「バッテリーチャージャー」

 世の中の一般家庭におけるバッテリーチャージャーの所有率は、いかほどのものだろうか。それほど高くないとふんでいるのだがいかがだろう? ここでいうバッテリーとは携帯電話のバッテリーや乾電池などではなく、車などで使用する箱型の大型バッテリーのことだ。
 車でもボートでもバッテリーの一番の仕事はエンジンを始動させる事だが、最近のボートは電子機器が多数搭載されることが多くなり、その分バッテリーの消耗も激しくなってきた。航行中はエンジンなどについているオルタネーターという機械で充電を行っているのだけれど、エンジンを止めた状態では電力が減る一方となってしまう。
 そこでエンジン始動用とは別に、アクセサリー専用でもう一つバッテリーを搭載するボートオーナーが増えてる。
 たとえば、バスフィッシングをボートで楽しむ人たちは、かなりの確率でマイバッテリーチャージャーを所有している。なぜなら、エンジンを切り、さらに電動モーターを回してバスを追い求めるのが常だからだ。モーターはバッテリーを消費させる機械の筆頭で、長持ちすると言われるディープサイクルバッテリーでも一日で空っぽになる。そうなると少しばかりエンジンでオルタネーターを動かしても間に合わない。そこで家庭にバッテリーを持ち帰って充電したり、マリーナの陸電を使って充電しなければならなくなり、バッテリーチャージャーが必要となるわけだ。
 最近のバッテリーチャージャーは優秀で、電流や電圧をフルオートで制御するばかりか、傷んだバッテリーを一旦きれいにしてから充電したり、減ってしまった容量を回復してくれたりと、至れり尽くせりの機能がついていたりする。とはいえ、バッテリー自体のダメージが大きければ、やっぱり元には戻りにくい。ダイエッターとは違い、バッテリーは常にお腹一杯の状態がよろしいようで、ちょっと羨ましい。

その他

編集航記

ヤマハ発動機で長くボートのデザインを手がけていた故・堀内浩太郎さんが80年代に設計したユニークな二人乗りの水中翼船の試作艇がこのほどレストアされ、その試走シーンに立ち会う機会を得ました。乗りこなすのがかなり難しいようでしたが、そこが面白いのだとレストアに関わった方は胸を張ります。ヨットもウインドサーフィンもいまや当たり前のようにフォイリングする時代ですが、その30年以上も前に、発売には至らなかったもののエンジン付きのボートでフォイリングさせることを試みた「モノづくり」の思想は間違いなく何物にも代えがたい資産であり、いまも引き継がれるヤマハの魅力であると実感した次第。80年代のボートショーで一度だけ展示されたこの水中翼船のコードネームは「OU32」。折を見て、ソルティライフでもいずれご紹介したいと思います。


(編集部・ま)

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