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Salty Life No.209

ソルティライフは海を愛する方々の日常生活に、潮の香りを毎月お届けするメールマガジンです。

ソルティライフ

北米の代表的な祝日「感謝祭」は開拓時代、
ある一族の最初の収穫を感謝して行われたものが始まりだと伝わっています。
日本の勤労感謝の日も同様で、
起源は飛鳥時代に始まった「新嘗祭」だといわれています。
いずれも目に見えぬ自然に対して感謝をする日
という意味では共通しているのですね。
その精神性は海と向き合う上でも、とても大切なことのように感じられます。
「Salty Life」No.209をお届けします。


Monthly Columnはしからはしまではしのはなし

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日本橋川に架かる日本橋。江戸時代からいくつもの別れや出会いを演出してきたであろう橋

 人類が発明した乗り物の中で最も古いのは「船」であるに違いないと、さしたる根拠はないが確信している。「もしかしたら4本脚の動物にまたがった方が先かな」と脳裏をよぎらないではないが、おそらく人類は動物相手にそんなことができるように飼い慣らす前に食ってしまっていたのではないかと、そう思う。
 船を得た人間の行動範囲は劇的に広がったことだろう。船の発展とともに人も物資も文化も地球の隅から隅へと拡散した。そして船を利用したこうした営みは今も続いている。
 船と同じく海や川を渡る道具(?)に「橋」がある。これは水の上を渡るために限らず、深い谷底をまたいで陸と陸をつなげることもある。Wikipediaで橋の起源ついてちょっと調べてみたら「偶然に谷間部分を跨いだ倒木や石だったと推測されている」とあった。
 こちらも船と同じく有史以前から存在しており、人の移動を飛躍的に便利にした。船にしろ、橋にしろ、いずれも人が偶然に出会った木や石の存在からひらめいた乗り物であり、建築物である。それを見つけた有史以前のヒトが、興奮気味に「うほうほ」と言葉にならない声を発しながら向こう岸に渡り、さらに仲間を呼んできて、喜び勇み、行ったり来たりする姿を漫画チックに想像するは楽しい。
 さて、東京では河川や運河を船で行き来する遊びがあいかわらず人気である。その中心がかつて江戸と川越と結ぶ舟運で賑わった隅田川と、その支流となる小河川や運河である。隅田川には高速道路など自動車専用の橋も含めて30以上もの橋が架かっていて、その下を船で通ることができる。それら隅田川橋梁群のうち、人が歩いて渡ることのできる橋となると26に減る。
 同じくクルージングコースとして人気の日本橋川から神田川にかけての航路には、地図で数えてみたところ35の橋が架かっている。それらの橋のひとつひとつに由来があり、歴史があり、完成以来、多くの人が渡ってきた。高速道路の下に架かる日本橋は西へと向かう東海道の出発地だ。この橋を数え切れないほどの歓び、悲しみ、希望や失望が通り過ぎてきた。ロマンだ。
 そんな想像をするしないにかかわらず、橋をくぐるときというのはなかなか興奮する。いわゆる「テンションが上がる」というやつだ。
 船の航行を助けるため動く橋がある。これは楽しい。隅田川に架かる勝鬨(かちどき)橋は跳開橋として有名だが、今は動くことはない。日本三景のひとつ、京都の天橋立には「天橋立廻旋橋」がある。これは橋が90度回転することで、橋より高さのある船の航行を助ける仕組みで、今も稼働している。観光船で航行するのが普通だが、これをシースタイルのレンタルボートで通ったことがある。小さな橋だが、船で通るのはやはり楽しい。
 長年ボートに乗ってきたから、世界のあちこちの橋をくぐり抜けてきた。考えてみれば、海外では橋を渡るより、くぐる回数のほうが多いような気がする。
 ロシアのサンクトペテルブルグは水都として名を馳せる。10年以上前になるが、プレジャーボートでそこをクルージングした。多くの観光船が行き来している運河を一日中、あちこち走り回ってからそろそろ帰ろうとなったとき、運河の水かさが増していることに気づいた。今でも忘れない、以前は警察官だったという、サルゲイという名前のキャプテンは「ここは風向きによって水かさが増す。橋をくぐれないので帰ることができない」と、日本からやってきた我々に「お前たちのせいだ」といわんばかりのしかめ面で説明した。複雑に入り組んだ運河を行ったり来たりしながら、やっとのことでボートがくぐれそうな橋を見つけてオール・ハンズ・オンデッキ、全員で橋の裏側を手で押さえるようにしながらゆっくりと通り抜けたが、マスト灯を壊したうえ、ハードトップの天井を少し傷つけた。橋をくぐり抜けた後、みんな少し黙りこくってしまったけれど、10分後には笑い話になっていた。
 印象に残る橋は数多いが、中国の朱家角という古都の水路に架かっていた橋も夢に出てくるぐらい印象に残っている。ここにプレジャーボートをゆっくりと走らせ、写真を撮った。少しばかりエキセントリックというか、日本語で言うところのけったいな、少しばかりよく言えば酔狂な試みであったと思う。ところが、水路に架かる太鼓橋の上から写真を撮ろうと、橋を渡りかけたところ、欄干が無いと言って良いほど低いことに気づいた。かなり心細く、足がすくんだ。それほど高さのある橋ではないので落ちても怪我はしないと思われたが、機材の水没を恐れた。なんといっても落ちたら日本人として面目ない。しかもこのときは中国の端午の節句に当たる時期ということもあり、目眩がするほどの賑わいで、橋も人で埋め尽くされていた。急いで写真を撮ってそそくさと橋から離れ、その後しばらく誰か落ちやしないかと少し意地悪い期待の入り交じった思いを抱きつつ橋の上の人の流れを眺めていたが、みんな無事に歩いていた。すくなくとも私が見ていた数分の間は。
 そんな「危険な橋」の思い出とともに、つくづくと思うのである。ボーターにとって「橋は渡るためでなく、くぐるために存在するのだ」と。

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天橋立の回旋橋。船が通るときに橋が廻り、船の通り道を作る
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ロシアのサンクトペテルブルグ。水かさが突如として増すことがあり、注意が必要
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中国・上海の郊外にある朱家角鎮の橋。昼近くになって人がさらに増え、落ちるかと思った
(Photo by Toru Hasegawa)
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。1963年東京生まれ。

キャビンの棚障子あけて置く「海も暮れきる」

 「咳をしても一人」などの自由律俳句で知られる大正の俳人・尾崎放哉(ほうさい)。帝大卒のエリートとして一流企業に勤めていたが、酒に溺れて結核も発病し、家族や職を捨て各地を放浪した。その後に小豆島の寺にある小さな庵で静かに病死した。孤独や貧困だけでなく、病の境遇にあった複雑な人生と向き合い、人生の辛さや喜びを詠んだ句は今も多くの人を惹きつける。
 知る人ぞ知る高名な俳人だが、その人間性を疑わざるを得ない奇行は数知れない。家族や仲間だけでなく、読者や門下生にまで手当たり次第に金を無心し、酒を飲み、争いを起こすのは日常茶飯事だ。助けてくれた人々へ感謝は一旦するが、やがて嫉妬や逆恨みに変わってしまう。不安定な自身を省み孤独を求めて手に入れた庵でも、寂しさから人を呼んではまた問題を起こすのである。精神や肉体は傷つき、瞬く間に病は全身に広がっていく。
 「こんなよい月を一人で見て寝る」「入れものがない両手で受ける」といった名句は、そんな頃に詠んだものだ。病が進行して孤立が深まるほどに句が冴えわたるのである。そんな彼も孤立を極めて海に入って死のうと覚悟を決めるのだが、その頃にはもう歩くこともままならないのであった。
 そんな俳人の晩年8ヶ月を描いたのが本作である。著者は、周到な資料集めと裏付け取材で「調べる作家」と呼ばれる吉村昭。菊池寛賞、吉川英治文学賞など多数の賞に輝く記録文学の第一人者だ。また吉村自身も学生時代に結核を発症して死を覚悟した経験をふまえ、その孤独な病床を詳細に描写している。
 「障子あけて置く海もくれきる」ータイトルの由来となった小豆島で詠んだ句である。美しい瀬戸内の海を臨む庵で迎えた俳人の最期には一体何があるのだろうか。

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「海も暮れきる」
著者:吉村 昭
発行:講談社
参考価格:¥1,300(税込み)

船厨釧路で覚えた寿司の味「サンマの棒寿司」

 筆者が初めてサンマの棒寿司に出会ったのは、かつて晩秋の北海道を旅したときであった。釧路の漁港のそばにある食堂だ。観光シーズンのピークは過ぎており、漁港はひと気もまばらで、食堂は空いていた。その食堂のカウンターに座って棒寿司を頼んだ。焼いたサンマが酢飯の上に乗っていた。その後で訪れた知床半島の自然の素晴らしさと並んで、質素な食堂で食したサンマの棒寿司の美味さはその旅のいちばんの思い出になっている。いまでこそサバの棒寿司をはじめ、焼き魚をのせた寿司はポピュラーな存在といえるかもしれないが、20年ほど前はそれほどでもなかったように記憶する。こんがりと焼いたサンマがのった棒寿司は見た目にもそそるものがあった。
 棒寿司は押し寿司の一種だと思われるが、サンマを使った寿司としては、むしろ西日本のもの、特に熊野灘に面した和歌山・新宮の郷土料理としてのほうが有名かもしれない。こちらは10日以上酢に漬けたサンマを使用するらしい。釧路のそれとはまったく異なる風味だと思うが、きっとこれも美味いに違いない。
 このところ秋になるとサンマの値段が話題になる。8月の終わりになって近所のスーパーにサンマを買い求めたときは、どうやら不漁らしく、一本380円であったが、10月に入ると水揚げも回復し、買いやすい値段になっている。それでも一本100円ほどだった時代を思い出すとまだ高い。だが待てよと、とも思う。こんな美味い魚が100円でいいのか。庶民に親しみのある素晴らしい魚だが、もっと高くても、秋の味覚を代表する魚として人気は続くのではないか。

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「サンマの棒鮨」
■材料(2本分)
サンマ2尾(大きめの物)、塩少々、酒小さじ1、米2合、すし酢大さじ4、生姜甘酢漬け薄切り20g、大葉3枚、かぼす適宜
■作り方
1)米を寿司飯の水加減で炊き、炊き上がったらすし酢をまぶして混ぜ、冷ましておく
2)サンマは腑を取り、開いて骨を取り除く
3)2のサンマに塩を振って10分ほどおき、キッチンペーパーで水気を取り、酒を振りかけ皮を上にしてグリルで焼く
4)甘酢生姜は粗みじん切り、大葉は千切りにする
5)まきすにラップを広げ、サンマを皮を下にしておき、酢飯の1/4量を乗せ、甘酢生姜と大葉を散らし、その上にさらに酢飯の1/4量を乗せラップで包み、丸めて棒状になるように巻きすでしっかりと押さえる
6)10〜15分ほど置いてから切り分け、くし切りにしたかぼすを添える

海の博物誌世界7不思議「アレクサンドリアの大灯台」

 古代の世界7不思議といえば、古代ギリシアの歴史家が一見の価値のある建造物をまとめたものだ。現存するエジプト・ギザのピラミッドを除けば、同じくエジプトの港湾都市アレクサンドリアのファロス島の大灯台が、7不思議の建造物で最も長く実在したものである。
 アレクサンダー大王がエジプト征服後、地中海やインド、アラビアへの起点としてアレクサンドリア港の整備を進めた。大灯台は、志半ばで逝去した大王に捧げるため、後継者のプトレマイオス1世とその息子により紀元前3世紀に建造された灯台である。
 灯台は100メートルを優に超える高さをほこった。また頂上の大鏡はおよそ50キロメートル離れた場所からも目視可能だったことが言い伝えられている。
 完成後は1000年以上にわたり重要な航海標識として、アフリカの経済や文化の中心地で「地中海の真珠」と呼ばれる都市の発展に大きく貢献した。不運にも14世紀頃の複数の地震によって倒壊したが、その瓦礫から生まれた要塞カーイト・ベイは、今も港のシンボルとして市民と観光客の人気スポットだ。また周辺での深海調査で灯台の残骸も近年多数発見されており、古代の不思議はさらに解明されるだろう。
 ちなみにこの大灯台がファロ島にあったことが、ラテン語圏の灯台を意味するファレ(仏)やファロ(伊)といった言葉の語源である。

海の道具「ウインドラス」は優雅か?

 ウインドラス(windlass)とは、船舶用語で揚錨機を指す言葉である、と一般的には説明されている。揚錨機とはまた、古風なイメージの機械名だが、なんとなく重々しくて、大航海時代を想像してしまう。
 つまりはアンカーウインチなのだけれど、ウインドラスとアンカーウインチは、筆者の中では厳然とした線引きがある。根拠薄弱な線引きであるが、ロープを巻き上げるのがウインチで、チェーンを巻き上げるのがウインドラス、と解釈している。
 ウインチというと、ワイヤーロープを使った太鼓型の巻き上げ機でワイルドな4輪駆動車のバンパーなどに取り付けられていて、倒木などにロープを巻き付けてそれらを取り除き、走破してゆく場面を思い浮かべてしまう。栄養ドリンクのCMなんかにありそうだ。
 一方ウインドラスはクルーザーのバウデッキに埋め込まれていて、きれいな砂浜の沖に停泊しているボートがスマートにステンレス製のアンカーチェーンを巻き上げている風景が目に浮かぶ。こちらは同じ飲み物でも、カクテルなんかの広告が似合いそうだ。
 ウィンドラスは優雅なイメージでウインチが力強いといったところなのだが、実情はそうでもない。数十mのチェーンを巻き上げるウインドラスのモーター出力の多くは500W以上で、レジャーボート用でも1500Wのハイパワーなものもある。一方ウインチはせいぜい200Wくらいだろうか。
 ここで質問がある。ウインドラスやウインチを使う上で、注意が必要なのは巻き上げる時か、降ろすときか。
 答えは降ろすとき。
 なぜなら、降ろすときのほうが、手が巻き込まれるリスクが高いからだ。引き上げる時にロープやチェーンを持つ時があってもたいてい機械から手前側に引くので手が巻き込まれることはない。一方、降ろす時には手で持った方向が機械に近づいていくからだ。覚えておいて損のない情報だと思う。

その他

編集航記

犬ころが我が家にやってきて1ヶ月が経ちました。その間、4回ほど車に乗る機会があったのですが、犬ころはもれなく乗り物酔いに見舞われています。さらに行き先がたいてい病院なもので、すっかり乗り物嫌いになっています。我慢してもいいことがないのですから当然です。こんなんでクルー犬としてしっかり育ってくれるでしょうか。船酔いを克服できるでしょうか。いささか不安になってきました。


(編集部・ま)

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