本文へ進みます

Salty Life No.187

ソルティライフは海を愛する方々の日常生活に、潮の香りを毎月お届けするメールマガジンです。

ソルティライフ

日本の新年では、さまざまな「初もの」を大切にする習慣があります。
初夢、初詣、初笑い、初湯などなど。
そして「初海」、なんて言葉はないかもしれませんが、新年5日目、すでに海に出られた方も多いのではないでしょうか。
あけましておめでとうございます。
2019年の初「Salty Life」No.187をお届けします。


Monthly Column世界遺産の海に生きる漁師のこと

イメージ
屋久島の一本釣り漁師・岡留さん。77歳になった今も一人で漁に出る

 岡留修巳さんは昭和16年生まれ。昨年、喜寿を迎えた。鹿児島県屋久島の北西岸に位置する栗生という名の集落に生まれ育った。といっても中学卒業後、家庭の都合で大阪に暮らしていたことがある。島に戻ったのは昭和48年。32歳になってからだ。
 「大阪から島に戻ろうってことになって、親父と船を造ったんですよ。2トンのヤマハのFRP船でした。それに乗って屋久島に帰ってきた。当時はFRPがまだ珍しくてね、島は大騒ぎになった」
 岡留さんの、屋久島での本格的な漁師としての生活が始まった。
 鹿児島県の最南端、佐田岬の南方60キロほどに浮かぶ屋久島は、自然の宝庫として知られている。その名を世界に知らしめたのは、1993年、ユネスコの世界遺産に登録されてからだ。島の周囲は130キロ、東京の23区を合わせた面積とそれほど変わらない。特異なのはその中心に標高1936メートル、九州最高峰の宮之浦岳がそびえ、さらに1000メートルを超える46もの山々が座する独特の地形だろう。一帯はかの縄文杉に代表される原始林に覆われ、そこには1500種を超える生き物が棲息しているといわれる。世界自然遺産の対象はその山々を中心とした森林だ。
 世界遺産に登録された後、屋久島にはそんな自然に触れようと多くの人々が訪れるようになった。人口約13,500人に対して、年間の観光客数はおよそ30万人にもおよぶ。
 宮之浦は鹿児島との航路を結ぶフェリーが発着する屋久島の玄関口だ。空港もそこから10キロほどの距離にある。周辺には土産物や登山用品のレンタル店などが点在し、飲食店もそれなりにある。宮之浦から近く、縄文杉へのアクセスに便利な白谷雲水峡に行ってみると海外からの観光客も多く、相当な賑わいを見せていた。
 こうした屋久島の賑わいを見ると、どうも海が置き去りにされているように感じてしまう。日本で7番目に大きな島で、大隅諸島を構成する屋久島は当たり前のことだが海に囲まれており、その海は豊穣だ。南西諸島のような派手な美しさはないが、海水浴場もあり、ウミガメの産卵地として有名な浜もある。それでも人々の興味は山や縄文杉に向かう。
 かつて屋久島は漁業が栄えていた。トビウオ漁や“首折れサバ”として有名なゴマサバ漁は、もちろん今も続くが、繁盛を誇った当時の面影はそれほどないのが実情だ。岡留さんが暮らす静かな栗生集落は、宮之浦とは山を隔てた反対側、島の北西岸に位置するが、かつてはカツオ漁が盛んで、良質の鰹節の産地として知られる屋久島の中心地だったと聞いた。岡留さんが大阪から帰ってきてからも魚はたくさん獲れた。
 「とにかく漁があった(大漁の意)ので、毎日のように人が家に来ては飲んだり食べたりして大騒ぎしていたのよ。あの頃はよかったわねえ」と、岡留さんの奥さんのミサさんは楽しそうに当時を振り返る。
 大阪から島に戻ってきてから岡留さんは最初の1年は父親とともに船に乗り込み、2年目には一回り大きな船を造って独立。魚という資源が今より豊富だったのかもしれないが、岡留さんは毎日のように海図とにらみ合いながら漁場を開拓し、島でもトップクラスの水揚げを誇ってきた。そして岡留さんの研究心が育んできた漁の技術、そして漁師としての優れた勘は、77歳になった今も衰えることはない。
 岡留さんの一本釣りは、タルメ(メダイ)、アカバラ(カンパチ)といった中型魚を狙う。狙う魚や漁場は、季節や日ごとの海や風のコンディションによって自在に変えていく。私が同乗したその日はタルメを狙って、日の昇らぬうちに漁場を目指して船を走らせた。
 巡航で1時間もせずに漁場に到着。魚探で海底の様子を確かめると、餌となる冷凍イカを針につけ、船を潮に流しながら仕掛けを落としていく。水深は140メートルから150メートル。その深さに仕掛けを落とすと、船を潮の流れに乗せ、ここぞ、というポイントで魚に餌を食わせる。そしていとも簡単に良型のタルメを釣り上げる。
 漁を始めてから1時間ほどで10匹のタルメを氷の入ったイケスにそろえると「今日はこんなもんでいいだろう。よく釣れた場所には魚を残しておくぐらいがちょうどいい」と岡留さんは漁具を片付け始める。ささやかな、ひとりだけの環境保護活動。
 屋久島の自然が注目され、観光客で賑わうようになるのに押されるようにして、島からは船を修理する工場や鉄工所、航海計器などを取り扱う店もなくなり、漁師にとってはいささか不便な島になってきた。それでも、古と変わらぬ豊穣の海は、今も屋久島を取り巻くようにしてそこに在る。そして岡留さんは、世界遺産“対象外”の屋久島の海を慈しんでいる。誇り高い、漁師としての生き方を貫いている。
 魚と対峙しながらも岡留さんの温厚な表情の中には、余裕のある、そして熟練した漁師の風格がある。ヘミングウェイが見たサンチャゴ(老人と海の主人公)も、きっとこんな顔をしていたのではないか。

イメージ
底物一匹釣るのに四苦八苦する筆者からは神業としか思えない。それでも魚を獲りすぎない
イメージ
豊かな自然に恵まれた屋久島。宮之浦岳を中心に1000メートル級の山が連なる
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界45カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。1963年東京生まれ。

キャビンの棚ボサノヴァの父を知る「ジョアン・ジルベルトの伝説」

 ボサノヴァは海の響きにルーツをもつ、港町リオデジャネイロで生まれたブラジル音楽だ。美しいメロディとゆったりとしたリズムにより生まれる、思わず肩を揺らせて聞きたくなる心地よいハーモニー、そして「ダバダバ」や「ドゥビドゥビ」といったボサノヴァに多用される歌唱法のスキャットによる意味のないフレーズと、サウダージという感傷的な歌詞が混ざり合ってつくられる独特な空気感もまた魅力である。
 本作は歌手であり、ギター奏者であり、何より「ボサノヴァの父」であるジョアン・ジルベルトの名演をセレクトしたものでボサノヴァ第1号のレコード「想いあふれて」を収録している。
 1958年のリオで、当時は全くの無名だったジョアン・ジルベルトがブラジルの国民的作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、南米で著名な詩人であり外交官のヴィニシウス・ヂ・モライスに出会い、3人は独自の個性を発揮しボサノヴァ「想いあふれて」を生み出した。
 ボサノヴァはブラジルの伝統な音楽であるサンバをモダン化したものと言われるが、その世界で既に著名な2人が、当時、名声のなかった20代半ばのジョアン・ジルベルトを必要とした理由は何だったのか。その答えのひとつは、ジョアン・ジルベルトがサンバの魅力である激しいリズムや複雑なリズム進行を司るシンコペーションをギターのプレイの中に潜ませていたことにある。2人はそこに斬新な歌詞と現代的なハーモニーを加えた。
 アントニオ・カルロス・ジョビンは当時を振り返り、「ボサノヴァはサンバから生まれた。サンバは海の響きそのもの」と語る。波が岸辺に打ちよせる時の音の重なりを、サンバの中ではリズムの激しさや複雑にシンコペーションを重ねたリズム進行で表現している。これこそ、まさにジョアン・ジルベルトがボサノヴァにこめたサンバの魅力であり、彼がいなければ海の響きを感じられるボサノヴァというスタイルは確立されなかったといえる。
 ボサノヴァ誕生から60年の月日が経った今も活動を続けるジョアン・ジルベルト。このアルバムは、彼が歩んだ道を辿り、ボサノヴァの歴史をも知ることのできる1枚だ。

イメージ
「ジョアン・ジルベルトの伝説」
ジョアン・ジルベルト
レーベル: 東芝EMI
参考価格:¥2,300(税込)

船厨厳寒の海でのご褒美「魴鮄の煮付け」

 釣りにおいて、狙った本命以外の魚を「外道」という。「外道」ではあるが、それが食べて旨い魚であることは、なかなか好ましい。
 前号の「Salty Log」でも登場したが、東京の湾奥でシーバスを狙っていて、沖に鳥山を見つけて釣り上げるサワラは嬉しい外道の一つ。そして同じようにイナダもついつい期待したくなる外道である。そのほかにも、タチウオ、アイナメといった魚が東京のシーバスの外道として釣れることがあって、食卓を楽しませくれる。
 この船厨では、以前、マダイ釣りの外道としてホウボウ(魴鮄)を取り上げ、アクアパッツァにしてみた。そして今回は、カワハギ釣りのおまけに釣り上がったホウボウである。
 煮付けにして熱燗をつけて楽しんだ。とても寒い海の上で頑張ったことに対するご褒美のような外道である。釣りの顛末は「Salty Log」でどうぞ。

イメージ
「魴鮄の煮付け」
■材料(2人分)
ホウボウ(中)1尾、酒50cc、みりん50cc、醤油50cc、砂糖大さじ2、生姜1かけ
■作り方
1)ホウボウはぬめりを包丁の背でこそげ落として水で流す
2)ホウボウをさばく。腹を裂き腑を取り出し水で洗う。卵があればそっと取り出す。胸ヒレの下から包丁を入れ、頭を落とし、腹の中をきれいに洗い、背ビレの脇に身を剥がすように包丁を入れ2枚におろす。
3)鍋に50℃ぐらいの湯を沸かしホウボウと卵をサッと潜らせ、水に取ってぬめりを洗、ホウボウの皮に切れ目を入れる
4)鍋にホウボウがヒタヒタにかぶるくらいの水を入れ、生姜の薄切りを入れ火にかける
5)4に砂糖、酒、みりん、醤油を加えて沸騰させ、ホウボウと卵を入れ中火で煮る
6)鍋の蓋はせずに、煮汁をホウボウにかけながら火を通す
(調味料の量はホウボウの大きさにより変わるので調整)

海の博物誌富士山と海

 元旦に富士山を眺めることを「初富士」という。日本人は古くから富士山を聖なる山として信仰してきた。たしかに駿河湾、遠州灘、相模湾、東京湾からも見ることができる美しいその山容は信仰の対象にふさわしい気にさせる。それぞれの海から見る富士山はそれぞれに異なり、独自の美しさを放っていることだろう。
 海を仕事場とする漁師にとっても富士山は大切な山の一つだった。漁師は漁場を探さなくては仕事にならないものだが、GPSどころか海図も持たない古の漁師たちは、山を使って漁場を探していた。山を見れば海底の地形までもイメージできる漁師もいたという。また、山と山の交差する場所から自船位置を把握し、漁場に当たりをつけていた。いまでもそうした山による自船位置の確認方法は「ヤマダテ」「ヤマアテ」と呼ばれ、用いられる。
 富士山はこうした「ヤマダテ」にも用いられる大切な山だった。前述した富士山の見える海には富士の名がつく漁場がいくつもあるのだという。
 もちろん「山」を頼りにするのは東海の漁師だけではない。どこの海にも「富士山」に値する、「海の男」にとって大切な山が存在していることは想像に難くない。

Salty Log〜今月の海通い寒い、寒いけれど楽しい。でも寒い。

イメージ
「きょうはシラス船が多いから航行には注意」といわれていたけど、シラス船の多さよりも寒さが問題であった

 早朝、マリーナに出かけようと車に乗り込み、ダッシュボードのメーターを見たら気温がマイナス2度になっていた。寒い日だったが、海に行くときの期待感というのはいつでもあって、それは多少の寒さでは揺らぐことがない。目指したのは相模湾。葉山のマリーナだ。

カワハギ釣りに挑む

 これまで「Salty Life」では長らく「冬の海」をおすすめしてきた。風が強い日は、海に出ることさえままならないことはあるが、それでもよく晴れた、風のない、鏡のような海面に恵まれる日は意外と多く、そんな暖かな海の魅力は冬にこそ感じられるものだ。そこには少しばかりのやせ我慢も必要であったりするが、多くのベテランシーマンは、そんなストイックなところを、口にはしないが「美学」だと感じているフシもあって、それは好ましいこととして認識されている。
 さて、この日の遊びのメニューは「カワハギ釣り」であった。苦手な「餌釣り」ではあったが、肝でパンパンにふくらんだカワハギを釣り上げて、肝和え醤油で刺身が食べてみたいと思った。もっと釣れれば、鍋にしよう、煮付けにしようなどと、大いに期待して海に出たのである。
 海底に仕掛けを落としてシンカーで海面をたたく要領でカワハギに誘いをかける。あたりがあればあわせて釣るだけ。そういう釣りのはずだった。とはいえ、カワハギは難しい、奥が深いといわれるし、実はカワハギはそれまで他人任せで、ポイントに着いてから仕掛けを落とし、たまたま釣れたという経験しかない。ポイントのこと、魚探の反応などそれなりに頭には入ってはいたのだけど、なにぶん経験に乏しい。そして実際に、苦労することとなった。
 イメージ通りに釣りをしてみたけれど、上がってくるのはフグ、メバル、トラギスなど、カワハギ以外の魚ばかりである。ほんとのところ、ほとんどやったことのない釣りに単独で挑戦するときは「こんなもの」であって、しかも「それなりに楽しい」というのも嘘ではない。
 けれども、この日はそんなことも言っていられなくなった。万全の防寒対策をしていたにもかかわらず、風が冷たく、寒かったのである。音を上げるほど。

アサリを針につけるのは“ムリゲー”です

 こんなこと、ここに書いていいのかどうかわからぬが、いや、きっとまずいのだが、「暖かな家のなかで本でも読んでいれば良かった」と海の上で口にはしなかったものの、そう思ってしまった。それはともに乗船していた相方も同じで、そいつはげらげら笑いながらではあったけど、遠慮なく「寒い、寒い。もう帰ろうぜ」と口に出していた。
 冷凍のアサリの餌は、海水で洗ってから使う。そのアサリを濡らしたタオルの上に使いやすいようにばらして並べておくが、アサリ自体が冷え切っている上に、かじかんだ手で触るのも嫌になってしまう。しまいには、ジャンケンで負けた方が勝った方の針にアサリをつけてあげるという、釣り人としての矜持もへったくれもない遊びをしながら寒さをしのいだ。
 あとになってこうしたときの「防寒対策」について検討するためネットで調べていたら、ケロシンを使用して発熱させる、某オイルライターブランドのハンドウォーマー(カイロ)を紹介している釣り関連のサイトを見つけた。なかなかかっこいい。そして、そこに「真冬のカワハギ釣りなんて、アサリを針につけるのはムリゲーですからね」と商品の必要性を説く一文があった。“ムリゲー”などという言葉を普通の大人は使わない。だが、そのときの状況を妙に言い表していて、思わず共感を持って笑ってしまった。
 雑魚が連れるたびに、それらを針から外して、バケツにくんだ海水で手を洗う。実はその海水(海水温は19度ほどあった)がとても温かく感じて、いつまでもその中に手を浸していたくなる。
 それほど寒かった。風が冷たかった。でも、こうしてその日、海にいたときのことを振り返っていくと、やはり楽しくなる。
 カワハギは釣れなかった。かわりに、相方の仕掛けにナイスサイズのホウボウがかかった。本命ではないけれど、これだけ寒いのに笑いを絶やさなかったことに対する、釣りの神様からの褒美だ。

イメージ
いちばん釣れたのはフグ。そのほかトラギスやメバルなど。本命でなくても釣れないよりはいい
イメージ
「ご褒美」のホウボウ。その日中に「船厨」のコーナーで紹介した煮付けになりました
イメージ
カワハギ釣りに使ったシンカー。集魚板を使うケースもあるが、このシンカーでも十分にカワハギに餌の存在をアピールできそう

海の道具趣のある船具「クリート」

 ボート、ことにヨットには数多くのクリートがついている。どんなボートにも少なくともバウとスターンの左右2個ずつは付いているんじゃないだろうか。ボート本体ばかりではなく、マリーナのデッキや岸壁にもたくさん見受けられる。
 陸上では滑り止めといった意味で使われることが多いようだが、ボートの世界においては主たる役割が係船に関わるあれこれに絶大なる力を発揮してくれる。
 代表的なものとしては鳥居を平べったくした形状で、ロープをたすきがけのようにして留めるものがある。素材はナイロンなどプラスチック系から金属、石材、木材と多様だ。
 また、進化系としてはバネの作用とギザギザの歯を組み合わせて、ロープを挟み込むように一方向にのみ固定するカムクリートといったようなものなどもある。
 どれも機構が単純なのに、舫い易く、解け難くする工夫が施されている。揺れる船上で使うのだから、もたもたしてはいられないし、安全を確保するためにも一刻も早く船を固定したい。その一方で、万が一にも外れることはご法度だ。にもかかわらず、外し易さも求められるのだから厄介だ。
 先人の知恵によって磨き上げられ、普遍化されたデザインのものもあれば、最新の技術を駆使してより進化を遂げたものなどもあって、一つ一つを丹念に見ていくと、人間が道具を進化させる過程や、作り手の思い入れなどが垣間見ることができて飽きることがない。
 当たり前のことだが、クリートのあるところにロープありで、クリートはロープを巻きつけるためだけにあると言い切っても過言ではない。ロープという変幻自在な相方があってこそ、クリートもまた、様々な変化を遂げてきたのだろう。
 航海中の暇つぶしに、じっくりクリートとロープワークに取り組んでみるのも一興だ。船酔いしない程度にではあるが。

その他

編集航記

マリンレジャー関連の記者などが集まる「マリンジャーナリスト会議」が毎年発表している「マリン10大ニュース」。2018年の1位は中国地方の洪水で120人もの人々を救助し、避難させた水上オートバイに関わるニュースでした。毎年話題となる2018年を表す漢字は「災」でした。ネガティヴな一字ではありますが、災害の多かった年の中でも、人の強さや勇気、優しさといった、多くの「情」を垣間見ることのできる年でもあったように思います。新しい年を迎えました。この年もまた、自然に、人に、海に出てゆく者として思いやりのある者でありたいと願っています。

(編集部・ま)

ページ
先頭へ