篭壺漁
日本全国津々浦々で行われている沿岸漁業を漁法別にご紹介します。
タコ壺漁
大分県国東市
1日に700個から800個のタコ壺をさばく
本州と四国の間、瀬戸内海に向けて九州から突き出た国東半島。江本英輝さんは、盆踊りで知られる姫島を望む、この半島の北部、国見町で生まれ育ちました。水産高校卒業後に、実家の漁業を継ぎ、現在は父親の正直さん、母親の志津子さんの3人で海に出る日々を過ごしています。
国東半島の竹田津港に船を置く江本英輝さんは、タコ壺漁を基軸に、ヒジキ、ワタリガニ、潜水によるナマコの漁を時期によって営んでいます。取材に訪れたこの日の漁は、タコ壺漁です。平成元年に進水し、英輝さんの漁師生活とともに歩んできた竜英丸(DY-47D-0A)を駆り、タコ壺を仕掛けた海域へと船を走らせていきます。
仕掛けたタコ壺は数カ所に分散していますが、1日に700個から800個のタコ壺を「ぐぐり」、また餌を仕掛けて海に戻していきます。この日もタコの水揚げはまずまずで、引き上げた壺の中には型のいいマダコが高い確率で入っていました。
「タコ壺漁は割と重労働なので3人で海に出ていますが、時間はそうはかからず朝のうちに漁は終わります。網漁と違って港に戻ってから漁具を修繕することもほとんどないので、時間には恵まれているんですよ」(英輝さん)
その時間を英輝さんは漁業活性化、地域活性化のための活動に充てているのです。
組合の青年部の会長、国見地区藻場保全活動組織の代表を務め、ヒジキや貝類の漁場醸成のため、海底清掃やムラサキウニの駆除など、さらに街道沿いに漁師による直売施設「大吉市場」の開設を目指し、忙しい日々を過ごします。英輝さんが、こうした活動に取り組むのは、魅力ある漁業を次世代の後継者へ繋いでいくために他なりません。
「漁業に魅力を感じたからこそ後を継いだ」という英輝さんの眼差しは、今年の春に高校に入学した息子さんに向けられています。
「これまでそんなことは言わなかったんだけど、高校生になってから“漁業をやりたい”と言い出した。自分がやってきた仕事をやりたいといってくれるのは嬉しいものだね。それに漁に加わってくれれば仕事もラクになるし」
喜んでいるのは英輝さんだけでなく、正直さん、志津子さんも同じことです。
代々受け継がれてきた漁師という仕事が、多くの若者から「魅力がある」と言われるためには何が必要なのか。その答えを見いだし、整えていくことは、すべての沿岸漁業従事者の使命といえそうです。
引き上げたタコ壺からタコを捕りだし、次の投入のために餌を仕掛けていく
大分県漁協国見支部では青年部の会長も務める江本英輝さん(写真右)。両親とともに海に出る
英輝さんの父親・正直さん。3人の兄弟で定置網、サワラ流し網漁を行い、40歳のときに兄弟船から独立してタコ壺漁をはじめる。英輝さんには漁業の厳しさと魅力を伝えてきた
サイズのそろったマダコは網に入れ海中に吊し、まとめて出荷
正直さんのお名前で加工品も直売。天日干しで作られた干しタコは国東半島でも人気の土産品
竜英丸DY-47D-0A。船齢は25年になるが、まだまだ現役で快走し作業を支える堅牢な漁船