貝類
日本全国津々浦々で行われている沿岸漁業を漁法別にご紹介します。
牡蛎養殖
岩手県大船渡市
東善彦さんと奥様の博子さん。待ちに待った牡蠣の出荷が始まった
岩手県の大船渡湾は全国的に知られた牡蠣の養殖地です。特に大船渡市漁協の赤崎支所から出荷される牡蠣は高級品として築地市場でも人気の商品でした。震災から2年半後、赤崎では2013年の秋から震災後初となる牡蠣の出荷が始まりました。
「震災のあとは本当に落ち込みました。高さ10メートルもある津波が港と町を飲み込み、湾内の牡蠣養殖は壊滅しました。海の所々に、筏の瓦礫が固まるようにしてぽつりぽつりと浮かんでいる景色を見ると余計に辛くなりましたね。それでも船だけは停めていた場所に残っていたんです」
東善彦さんの第八大善丸(DX-37C-0A)は、転覆こそしていましたが、舫ロープは切れることなく、しっかりと船を捕まえていました。東さんは大災害という暗闇の中に一筋の光明を見たはずです。大善丸はエンジンや電気系統、クレーンなどの装備はすべて換装が必要でしたが、船体はマストも含めて無事でした。
取材に伺った日、湾内に浮かぶ珊瑚島のすぐそばにある筏から牡蠣を引き上げてきた東さんは、さっそく牡蠣の殻の掃除と選別作業を奥様の博子さんと二人でこなしていきます。
「被災した直後、石巻に運良く残った牡蠣種をすぐに分けてもらうことができました」
手間をかけることを惜しまず丹精込めて育ててきた3年貝です。籠に入ったたくさんの牡蠣から3つを手に取り、東さんは語ります。
「今これだけの牡蠣があるけど、中身の大きさや味はどれも変わらないんですよ。うちは殻付きで出荷するものがほとんどで、商品価値は殻の見た目、つまりサイズと形で決まります。種からある程度生長したときにひとかたまりになった牡蠣の数をある程度調整します。そのひと手間が殻の出来を左右します」
リアス式海岸の奥まった地形になる大船渡湾はほとんど波風の影響を受けません。養殖期間中も牡蠣の脱落がほとんどなく、安心して3年ものの大きな牡蠣を育てることができるのだそうです。
「震災の後、牡蠣の養殖業者は半数に減りました。わたしたちの仕事は朝も早く、きつい。いわゆる3Kかもしれませんが、残った者はこれから頑張って震災前より生産量を増やすこともできます。うちの息子もいまは他の仕事に就いていますが、若い者にとってはチャンスです」
未曾有の震災を経験した大船渡の漁業は単なる水揚げの回復だけでなく、大きな転換期を迎えているのかもしれません。
珊瑚島近くの牡蠣筏から水揚げ作業を行った
大きな牡蠣は3年かけて育てる。波風のない大船渡湾は脱落も少なく良い牡蠣が育つ
牡蠣を引き上げるとすぐさま掃除と仕分けといった出荷の準備を行う
ひと手間かけることで形のいい牡蠣が形成される。赤崎の牡蠣は生食はもちろん焼いても美味
半数近くの漁師が辞めてしまったが、これをチャンスに変えたいと意気込む
東さんの愛艇、第八大善丸(DX-37C-0A)。津波の被害から生き残った奇跡の船