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55mph - 「鈴鹿8耐」という風景

オートバイに乗ることのロマンを掻き立てる稀有なロードレース。40回目を迎えた2017年の鈴鹿8耐でもその本質は変わっていなかった。

「鈴鹿8時間耐久ロードレース」 略して鈴鹿8耐は1978年に初めて開催された。世界選手権日本グランプリが長い中断期にあった時代のことである。久しぶりに日本で開催される国際格式の二輪レースとあって、大きな注目を集めることになった。80年代に入り若者たちを中心に熱狂的ともいえるオートバイブームが到来すると、鈴鹿8耐はさらに盛り上がりを見せるようになる。国内メーカー同士の販売競争が過熱するとともに、鈴鹿8耐を含むロードレースは製品の優秀性をアピールする格好の舞台ともなったからだ。

初期の頃は草レース的な雰囲気の色濃かった鈴鹿8耐だったが、1980年の第3回大会からは「世界耐久選手権シリーズ」に組み込まれ、各メーカーが直接運営するファクトリーチームやグランプリライダーをはじめとする世界のトップライダー達も参戦するようになった。ヤマハ発動機がファクトリーチームとしてこの8耐に初めて参戦したのは85年のことだが、すでに観客動員数は決勝日だけでも15万人を超えるというとてつもない人数にまで膨らんでいた。ここまで来場者が多くなると観戦はおろか、鈴鹿サーキットに至るまでの道程がひとつの耐久レースのような有り様だ。それでもコアなモータースポーツファンのみならず、若者を中心とする多くの一般ライダーたちが自らのオートバイで鈴鹿8耐を目指し、華やかな舞台と、そこで繰り広げられる一流ライダーたちのバトルに酔いしれた。真夏の暑さなどオートバイ乗りの“祭り”を盛り上げるためのエッセンスでしかなかった。当時、過酷な鈴鹿8耐へ向かい、それをエンジョイすることはオートバイ乗りのアイデンティティーの発露でもあった。

だが90年代の半ばを過ぎると、景気の低迷やオートバイユーザーの減少などによってその人気に陰りが見え始める。2000年代に入ってもその流れは止まらず、決勝日の観客動員数が6万人を大きく割り込む年もあった。

そして2017年。ここにきて鈴鹿8耐は少しずつ活気を取り戻しつつある。主催者の発表によると記念すべき40回目の開催となった今年の観客動員数は決勝日で7万4000人だったという。80年代の数字には遠く及ばないが、7万人を超えるのは2008年以来と、ここ数年ではもっとも多い。かつての隆盛を知らぬ若者や、かつて鈴鹿8耐に熱狂した若者が親となり、家族と共に再び来場する―――会場ではそんな光景も多く見られた。

鈴鹿8耐の魅力というのはオートバイの根源的な魅力と深いところでつながっている。時代の変化による栄枯盛衰はあったとしてもその魅力が完全に理解されなくなることは決してないだろう。鈴鹿8耐は、走る者にとっては緻密かつクールに勝利を目指すレースなのかもしれないが、見る者にとっては極めてエモーショナルなレースだ。明るい時間にスタートし、マシントラブルや転倒、手ごわいライバル、夏の暑さといったさまざまな困難を超え、太陽が沈んだ夜にゴールする。ここではオートバイで走ることの快感や面白さ、カッコ良さ、そして苦しさが8時間に凝縮され、走馬灯のように流れる。それはオートバイ乗りの誰もが共有している普遍的な「物語」と言ってもいい。レースの結果で一喜一憂することより、その物語を少しでも近い場所で共有するために、今も昔もオートバイ乗りたちは過酷な夏の鈴鹿にやってくるのではないだろうか。

今年は決勝日の前日に行われた前夜祭で、ケニー・ロバーツがFZR750(OW74)を駆るというデモランが行われた。85年の第8回大会でトップを走りながら、残り32分のところでマシントラブルによってリタイアした悲運のマシンである。輝かしい記録を残したライダーやマシンはもちろん、鮮烈な「記憶」を刻んだマシンに対しても惜しみない喝采が送られる。ここには鈴鹿8耐というレースの本質がよく表れている。

鈴鹿8耐の会場はどこか旅で出会う風景に似たところがある。ここに来るとささやかな疲労感とともにオートバイに乗っていることの幸福をしみじみと噛みしめることができるのだ。39年間に渡って開催される伝統のレースは、目だけで見るものではない。今年の決勝日は曇り空で思いのほか涼しく過ごしやすかったが、来場者の胸の内には灼熱の陽射しと青い空、入道雲……いつか見た、あの日の8耐(はちたい)が去来していたことだろう。

2017鈴鹿8時間耐久ロードレース

記念すべき40回目の開催となった2017鈴鹿8時間耐久ロードレース。中須賀克行選手、アレックス・ローズ選手、マイケル・ファン・デル・マーク選手のゼッケンNO.21 YAMAHA FACTORY RACING TEAMは予選から力を見せつけ、3年連続のポールポジションを獲得。続く決勝はときおり雨が降る不安定なコンディションとなったが、レース中盤からハイペースでトップを独走。そのまま首位を明け渡すことなくチェッカーフラッグを受けた。2015年、2016年に続き、ヤマハ初となる鈴鹿8耐3連覇。通算で7回目の優勝を達成した。

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