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レジェンド誕生。「ナカスガサーン」がV3ライダーへ!

2014年11月6日

こんにちは。ヤマハ発動機販売の山崎です。ナカスガサーンが、ついにやってくれました!

中須賀克行選手が、全日本ロードレース選手権最終戦のMFJGPでチャンピオンを獲得し
↑国内最高峰のロードレース選手権、JSB1000クラスに出場するYAMAHA YSP Racing Teamの中須賀克行選手が、全日本ロードレース選手権最終戦のMFJGPでチャンピオンを獲得し、平忠彦さん、藤原儀彦さんに続き史上3人目となる3連覇を達成しました!

V3が達成された最後のシーズンが1989年なので、24シーズンぶりの大記録。
↑V3が達成された最後のシーズンが1989年なので、24シーズンぶりの大記録。この長い年月を知るだけで、どれだけ難しいことなのか、どれだけすごいことなのかを身にしみて感じますね。チャンピオンを決定した第2レース、中須賀選手はYZF-R1から下りた瞬間、家族、チームの目の前で両手の拳を握り締めて大きく「やったぞー!」と叫びました。皆が歓喜し、涙し、喜びと苦労が一つになって、抱き合う姿がとても心に響きました。

今回の中須賀選手のチャンピオン獲得は、国内最高峰クラスで5回目となります。
↑そして、記録はこれだけではありません。今回の中須賀選手のチャンピオン獲得は、国内最高峰クラスで5回目となります。この「5」という数字は、国内ロードレースの最高峰では史上最多となり、レジェンドと呼ぶに相応しい大記録を打ち立てたのです。
会見では、「心臓が口から出そうなくらい緊張した」「決勝前日は眠れなかった」という苦悩をいくつも口にしていましたが、中須賀選手がこのレースで背負っていたプレッシャーは、私たちの想像を遥かに超えるものだったのだと思います。

日本のロードレース、いや市場そのものは、かつて平さん、藤原さんが3連覇した頃の状況とは大きく異なります。
↑日本のロードレース、いや市場そのものは、かつて平さん、藤原さんが3連覇した頃の状況とは大きく異なります。当時は、レースには多くのファンが詰めかけ、レーサーレプリカが溢れていた時代です。
しかし中須賀選手が現在のチームに加入した2006年はすでに様子が異なり、レースファンは減少傾向に、レーサーレプリカという言葉も聞かれなくなりました。こうした中、中須賀選手の活躍は、ロードレースを、スーパースポーツを支える力になっていたと思います。

YZF-R25を先日発表しました。
↑そして、スポーツをより身近にし、多くの方にスポーツの魅力を感じていただくためのモデル、YZF-R25を先日発表しました。80年代、90年代をもう一度作ることは大変だと思いますが、ヤマハとしても中須賀選手の力を借りながら、スポーツシーンを盛上げ、新しい時代を作っていきたいと考えています。

今週末には2014シーズンを締めくくるMotoGP最終戦のバレンシアGPが行われます。
↑最後に、今週末には2014シーズンを締めくくるMotoGP最終戦のバレンシアGPが行われます。ヤマハは「YZR-M1」で参戦しているわけですが、この開発ライダーを務めているのが中須賀選手であり、シーズン後半、V・ロッシ選手、J・ロレンソ選手の躍進を支えているわけです。そういった意味で、中須賀選手が開発に携わった「YZR-M1」が、世界最高峰の舞台でどのように戦うのかを見どころにしても面白のではないでしょうか。

中須賀選手の今シーズンの戦いは、一旦ここで終了しました。多くの皆さまからの応援は、大きな力になったことと思います。本当にありがとうございました。
しかし、戦いはこれで終わったわけではありません。2人のレジェンド、平さん、藤原さんは口を揃えて話していました。「4連覇、5連覇を狙えるライダーだ」と。中須賀選手のチャレンジはまだ続きます。その挑戦はきっと、世界のレースシンーンを、スポーツバイクシーンを、いっそう輝くものにしてくれることでしょう。

関連リンク
ヤマハレース情報
MFJGPスペシャルサイト

2014年11月6日

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