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中島漱也とBLU CRUが歩んだ成長の軌跡---- 夢の舞台MXoNへの道

2025年12月10日

みなさんこんにちは、ヤマハ発動機販売の関本です。

ジュニア時代からヤマハのBLU CRU(ブルークルー)プログラムとともにステップアップを続け、ついには年に一度開催されるモトクロスの国別対抗戦、モトクロス・オブ・ネイションズ(MXoN)の舞台に立った中島漱也選手は、日本の次世代を牽引する存在として注目を集めています。着実に成長を続けてきた中島選手はどんな経緯で今に至るのか。本Blogではその成長の軌跡を辿ります。

「小学校6年生の時、ヤマハに乗り換えたタイミングでBLU CRU(ブルークルー)の活動が始まって、僕も参加させてもらうことになりました。BLU CRUの中で初期メンバーに入ると思います。あの時から今まで、BLU CRUと共に成長してきたという感覚があります」

モトクロス人生のターニングポイントを振り返るのは

モトクロス人生のターニングポイントを振り返るのは、YAMAHA BLU CRU RACING TEAM TAKAから全日本モトクロス選手権IA2クラスに参戦し、2024年・2025年と2年連続でチャンピオンに輝いた中島漱也選手。ヤマハにスイッチしたのは、偶然か必然か「BLU CRUプログラム」が始まったタイミングだった。BLU CRUとは、ヤマハ YZシリーズのアマチュアオーナーを対象としたレースサポートプログラムのこと。先述の通り、このプログラムに中島選手は初期メンバーとして参加した。

「ただ、乗り換えた当時はレースで全く活躍できていなかったですし、予選落ちもありました。ベストリザルトは関東選手権で一度6位に入賞した時で、本当にそれぐらいしか結果を残せなかったです」

BLU CRUに参加し始めた頃、中島選手は関東モトクロス選手権や全日本モトクロス選手権のジュニアクロスに出場し始めたばかりで結果を残せず、苦戦していたという。そんな彼にとって、BLU CRUプログラムは多くの学びを得る場になった。当時は国内外の講師を招いた合宿が開催され、特に、コースを貸し切って講義やライディング指導を行う2日間の合宿は、中島選手に走りの基礎と考える力を与える機会となった。

「BLU CRUプログラムの一環として、年に何回か講習があって、そこに参加していました
 
「BLU CRUプログラムの一環として、年に何回か講習があって、そこに参加していました。座学と実践形式の内容で、講師として元IAライダーの方が来て、ライディング姿勢やライン取りなど様々なことを教えてもらいましたね。夏にはスポーツランドSUGOで合宿もあって、キャンプ場でみんなでバーベキューしたりとすごく印象に残っています。

それまで僕は父親とチーム監督の髙木さんに教わりながら練習を重ねてきましたが、練習方法や乗り方は自分なりに工夫することが多かったです。BLU CRUの合宿では、これまでの経験をさらに深めるために、ライディングの基礎を体系的に学ぶことができました。

また、メンタルコントロールについても講義があり、考え方や心の整え方もレースをする上で大事なんだと気づいて、ここで学んだことが今の自分に生きていると思います」

初めて知った世界のレベル、夢が明確になった瞬間

初めは苦戦していたものの、着実に実力を伸ばし、中島選手は結果を残し始める。そして、中学2年生の時に初めてFIMワールドジュニアモトクロスチャンピオンシップに挑戦。その経験は、彼の価値観を大きく揺さぶるものになった。

「当時は世界の大会に出ることのすごさや重要さを、正直あまり認識していなかったかもしれません。でも、世界のライダーが集まる大会に行って、走ってすぐに分かりました、"レベルが全然違う"と。そこで初めて世界のモトクロスのレベルの高さを知りました」
 
ジュニアクロスからNAクラスに昇格すると、中島選手はヤマハ YZ125に乗り換える。周りが250cc以上の4ストロークフルサイズマシンに乗る中、125ccを選んだ理由は、FIMワールドジュニアモトクロスチャンピオンシップを目標に据えているからだった。

「FIMワールドジュニアモトクロスチャンピオンシップには125ccクラスもあるので、それに出場したくてYZ125を選びました。日本では関東選手権をメインに出場して、それと並行して世界選手権に向けても準備を重ねました。日本国内ではもちろんですが、世界へ挑戦をする時、BLU CRUのサポートはかなり手厚くて、世界選手権の際も協力いただきました。現地のファクトリーチームのトラックに自分のバイクを入れさせてもらったこともあり、10代半ばであんな贅沢な環境でレースするという経験は、なかなかできるものではないと思います。当時ファクトリーのような環境を経験できたことで、今のチーム環境になってもプレッシャーを感じたり物怖じせずに過ごせています」

ただ、レースでは結果を残せず帰国。日本では関東モトクロス選手権で優勝を重ねていただけに、世界の壁の高さを実感したという。

ただ、レースでは結果を残せず帰国

「日本だと勝てていたのに、世界選手権では全然通用しませんでした。多分あの時が一番世界とのレベルの差を感じたタイミングだったと思います。そこで『このままじゃダメだ』と思ったのがきっかけで、海外を目指そうと思いました」

世界のレベルを知り、勝てない悔しさを実感したこの経験が"海外で通用するライダーになる"という新たな目標につながった。そして、中島選手が夢の舞台として掲げたのが、モトクロスの国別対抗戦「モトクロス・オブ・ネイションズ(MXoN)」だ。

「MXoNには各国の代表に選ばれたライダーが集まります。世界で活躍する選手になりたいという夢を持ってから、世界に通用することを証明できる場としてMXoNを見てきました。国を代表して世界に挑めるということ自体すごく光栄なことですし、そこで結果を残すことが、自分の目標にリンクしていると考えています」

2025年、MXoNの出場を叶える

ジュニア、NA、IB OPEN、IA2クラスと着実に成長し続け、2024年に初めてIA2チャンピオンを獲得

ジュニア、NA、IB OPEN、IA2クラスと着実に成長し続け、2024年に初めてIA2チャンピオンを獲得。さらにディフェンディングチャンピオンとして挑んだ今年(2025年)もポイントリーダーとして勝利を重ねた中島選手は、ついに、夢の舞台である「モトクロス・オブ・ネイションズ(MXoN)」の日本代表に選出された。

「MXoNへの出場が決まって、嬉しかったです。大会までにやれることは全てやろうと思い、夏のインターバル期間はアメリカでトレーニングを積みました。また、大会直前も、1週間ほど前から現地入りをして、アメリカのレーシングチームであるヤマハ スターレーシングに用意してもらったマシンのセッティングや調整を行いました。これもBLU CRUの協力のおかげで、現地チームでのサポート環境が整っていたから自分はレースに集中することができました。もし自分でマシンなど全てのものを用意するとなったら、学びを得る余裕はなかったと思います」

もし自分でマシンなど全てのものを用意するとなったら、学びを得る余裕はなかったと思います

こうして万全の状態で挑んだ初めてのMXoN

こうして万全の状態で挑んだ初めてのMXoN。中島選手は予選14位と好成績を残し、日本代表チームは総合10位、9年ぶりの予選通過を果たした。さらに、全3回行われる決勝レースでは1組目と2組目に出場。450ccとの混走のなか、40台中36位と31位でゴール。日本代表は総合11位でレースを終えた。

初めて夢の舞台に立った中島選手は、レースを振り返りこう語る。

「自分が世界と戦ってどの順位までいけるのか、"チャレンジしに行く"という気持ちで挑みました。事前に準備をしていたおかげで、雰囲気に呑まれることはありませんでしたし、自分のやれることは全て出し切った結果です。自分の今の実力をはっきりと痛感しましたし、海外で通用するライダーになるには、まだまだ経験値の差が大きいと、今回のMXoNで確信しました。環境が整った状態、ある意味言い訳のできない状況でバイクに乗せてもらえたことで、多くのことを学ぶことができましたし、自分の成長につなげることができたと思っています」

2年連続チャンピオン獲得、MXoN初出場。その先に見据えるのは

ルーキーのときからBLU CRUのサポートを通して様々な経験ができたからこそ

「ルーキーのときからBLU CRUのサポートを通して様々な経験ができたからこそ、チャンピオンやMXoNといった夢を叶えることができたと思います。勝つためにチーム全員が動いてくれる環境なので、今まで残してきた結果は決して自分だけの力ではなくて、周りのサポートのおかげです」

そんな恵まれた環境に感謝しながらも、視線の先にあるのはやはり海外だ。

「まずは海外を拠点にレースがしたい、というのが今の目標です。2026年シーズンについてはまだ決まっていませんが、一歩一歩、そこに近づけるようにできることをやっていくだけです」

次世代へのメッセージ----「世界をもっと身近な目標に」

最後に、これから全日本や海外を目指すキッズライダーへメッセージをもらった。

最後に、これから全日本や海外を目指すキッズライダーへメッセージをもらった。

「現状日本と海外のレベル差は大きいですが、そこで諦めるのではなく、目標を海外に置いてくれたらいいなと思います。そのためにも、自分が海外のレースで結果を残すことで、世界で活躍するということがもっと身近なものになって、『自分もいけるんじゃないか』と思ってもらえる、そんなキッズライダーたちの希望になれたらと思っています」

BLU CRUとともに歩んできたこれまでの道のりは、まだまだ夢への途中経過にすぎない。中島選手がどこまで駆け上がっていくのか、今後も目が離せない。

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BLU CRU
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2025年12月10日
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