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あまり意味はなく、でも少し意味がある小説仕立てのバイク読み物 Vol.3~腕組みをしながらバイクについて語る女、その迫力に圧倒される男~長く乗らずにいたバイクについての彼女の見解

2017年12月11日
「ずいぶん久しぶりだね」。夕陽を背にして彼女は言った。「僕もそう思います」。滑らかに微笑んだつもりだったが、うまくいかなかった。理由は自分でも分かっている。彼女の言ったこと、つまりこうしてバイクに乗って彼女の前に現れるのは、実際に「ずいぶん久しぶり」だったからだ。  僕とバイクの両方に目をやりながら、「ホコリ、すごかったろう?」と彼女は言った。「ええ。ホコリの量といったら、人生の厄介ごとがすべて降り注いだようでした」「ははは、面白いことを言うじゃないか。厄介ごとね。それは面白いよ」。モモイロペリカンと呼ばれている彼女の本当の名前は、誰も知らない。だが、堂々たる体格や大きな口は確かにモモイロペリカンと呼ぶにふさわしかった。 僕とバイクの両方に目をやりながら、「ホコリ、すごかったろう?」と彼女は言った。「ええ。ホコリの量といったら、人生の厄介ごとがすべて降り注いだようでした」「ははは、面白いことを言うじゃないか。厄介ごとね。それは面白いよ」。モモイロペリカンと呼ばれている彼女の本当の名前は、誰も知らない。だが、堂々たる体格や大きな口は確かにモモイロペリカンと呼ぶにふさわしかった。 「で、どうしたんだい?」。モモイロペリカンは丸太のような腕を組んだ。盛り上がった筋肉にオレンジ色の陽光が当たり、メリハリのある陰が浮かんでいる。「どうした......?」「そうさ。ホコリがすごかったのは分かった。大事なのは、それからどうしたか、だ」。モモイロペリカンの迫力ある声に押し込まれるようにして、僕は懸命に脳内から今朝の出来事を絞り出した。  バイクに乗るのは実に久しぶりだった。最後はいつだったか思い出せない。人生には波があり、時にいろいろな用事が凝縮され、時にいろいろな用事が分散する。その凝縮期にあたり、僕はしばらくバイクから離れていた。バイク置き場を通り過ぎるたびに胸が傷んだ。  多くの人が知っていることだが、置き去りのバイクほど哀れな存在はない。光が届かない冷蔵庫の奥でただ賞味期限が過ぎていく忘れ去られた食材のように、置き去りのバイクはひたすら待っているのだ。カバーが外され、光が差し込む瞬間を。カバーの下でバイクがうずうずしているのが分かる。でも、僕はそれを横目に通り過ぎるだけだ。「生きることとは、つらい選択の繰り返しである」と言ったのは誰でもない僕だが、実際、これほどつらい選択もない。 多くの人が知っていることだが、置き去りのバイクほど哀れな存在はない。光が届かない冷蔵庫の奥でただ賞味期限が過ぎていく忘れ去られた食材のように、置き去りのバイクはひたすら待っているのだ。カバーが外され、光が差し込む瞬間を。カバーの下でバイクがうずうずしているのが分かる。でも、僕はそれを横目に通り過ぎるだけだ。「生きることとは、つらい選択の繰り返しである」と言ったのは誰でもない僕だが、実際、これほどつらい選択もない。  そして多忙の波が去った今朝、僕は伸びやかな気持ちでバイクカバーを取り払った。そこでは明るい表情のバイクが待っているはずだったが、事実はそうではなかった。すっかりくすみ、ホコリをかぶったバイクがうろんとした目でこちらを眺めていた。少なくともそのように僕には見えた。待ちくたびれたのだ。待ちすぎて、バイクは疲れ切っていた。 そして多忙の波が去った今朝、僕は伸びやかな気持ちでバイクカバーを取り払った。そこでは明るい表情のバイクが待っているはずだったが、事実はそうではなかった。すっかりくすみ、ホコリをかぶったバイクがうろんとした目でこちらを眺めていた。少なくともそのように僕には見えた。待ちくたびれたのだ。待ちすぎて、バイクは疲れ切っていた。 「それで?」。めんどくさそうに頭を掻きながらモモイロペリカンは言った。「そのくたびれたバイクを見て、あんたはどうしたんだい?」「すぐ走り出しましたけど......」その瞬間、モモイロペリカンは頭を掻いていた右手の人差し指を僕の眉間に突きつけた。安手のカンフー映画みたいな「ビシッ!」という効果音が頭の中で響いた。それほどの勢いで迫ってきた彼女の人差し指には、僕を謝らせるに十分な勢いがあった。 「す、すみません」「謝るんじゃあないよ」。指を引っ込めながら、いくぶん柔らかい調子でモモイロペリカンは言った。「謝るなら、そうだね、そのバイクに謝るといい」。そしてモモイロペリカンは、その大きな口から言葉を溢れさせた。 「あんたがどれぐらいバイクを放置していたかは知らない。知りたくもないね。もし知ったら、この人差し指であんたにデコピンを食らわせたくなるだろうから。ただ、それがそこそこ長い期間だったことは分かる。そんなバイクでいきなり走り出すヤツがいるかい? いいや、いないね。バイク乗りってのは自分のバイクをそんな風に扱わないものだ」  ぐうの音も出ない、とはこのことだった。僕は黙ってモモイロペリカンの足もとに視線を落とすしかなかった。唐突にモモイロペリカンは言った。「あんた、イイ体してるけど、何か運動をしてるのかい?」「ええ、学生時代にサッカーを少々」「サッカーの試合前、何をする?」「それはもう、入念にアップします。......アッ」「そういうことさ」モモイロペリカンは表情を和らげながら、話を続けた。 「まずは隅々までホコリを払ってやってほしいもんだね。時間があれば洗車してもいいだろう。目的はバイクをキレイにすることだけじゃない。バイクの状態を確認するんだ。油脂類がにじんでいないか。バッテリーの充電は十分か。各部の作動に妙な引っかかりやきしみ音はないか。緩んでいたり割れていたり外れているような部品はないか。灯火類はちゃんと点くか......。手強そうな問題があれば、無理せずショップに相談する。問題がなさそうなら、エンジンをかける。ちゃんとエンジンがかかって、アイドリングも安定していて、吹け上がりもいいようなら、走ってもいいという合図だ。でも、まだだ。まだ走り出しちゃいけない。タイヤの空気圧をチェックして、チェーンオイルも吹いてほしいね。あまり長いこと放っておいたなら、オイルも換えたいところだ」「大変......ですね」「大変かい? 私はそうは思わない。バイクの場合は、ちょっとした問題が大きな出来事に進展しかねないからね。バイクを大事にすることは、自分を大事にするってことだ。自分を大事にするってことは、まわりの誰もを大事にするってことでもある」  夕陽はだいぶ傾いて、彼女の影が長く伸びていた。その影がゆらりと動くと、彼女はつぶやいた。「ネンオシャチエブクトウバシメ、ネンオシャチエブクトウバシメ、ネンオシャチエブクトウバシメ」。何かの呪文のようだった。3度同じ言葉をつぶやくと、彼女は「よし」と微笑み、僕の両肩をバンバンと叩いた。「これであんたも大丈夫だ」「あの、何が大丈夫なのか......。今の呪文は?」 「やっぱり知らなかったんだね。ネン・オ・シャ・チエ・ブ・ク・トウ・バ・シメ。燃料、オイル、タイヤ(車輪)、チェーン、ブレーキ、クラッチ、灯火類、バッテリー、締め付けのことさ。いわゆる運行前点検ってヤツだ。覚えておきな」「は、はい......。ネンブツシャチシメサバ、でしたよね?」「全然違うな。じゃあ、せめて短いのは覚えときな。ブタと燃料」「ブレーキ、タイヤ、灯火類、そして燃料ですね」「飲み込みが早いじゃないか。ま、あんたみたいに保管が長期にわたった時は、ネンオシャチエブクトウバシメ、だけどね」「ネンブツシャチシメサバ、ですね?」「全然違う」 「やっぱり知らなかったんだね。ネン・オ・シャ・チエ・ブ・ク・トウ・バ・シメ。燃料、オイル、タイヤ(車輪)、チェーン、ブレーキ、クラッチ、灯火類、バッテリー、締め付けのことさ。いわゆる運行前点検ってヤツだ。覚えておきな」「は、はい......。ネンブツシャチシメサバ、でしたよね?」「全然違うな。じゃあ、せめて短いのは覚えときな。ブタと燃料」「ブレーキ、タイヤ、灯火類、そして燃料ですね」「飲み込みが早いじゃないか。ま、あんたみたいに保管が長期にわたった時は、ネンオシャチエブクトウバシメ、だけどね」「ネンブツシャチシメサバ、ですね?」「全然違う」 関連記事 Vol.1 燃費について語る時、僕が語りまくること。 Vol.2 体感温度を巡り僕たちが語り合ったこと。
2017年12月11日

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