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マリン事業の歩み 『ボート』

キャット、ハイフレックス、ストライプ、そしてイグザルト。ヤマハボートの歴史を紹介します。

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海のロマンを手に入れるために

海と戦えるボート「CAT-21」の開発から、トップブランドEXULTシリーズ誕生まで。建造技術は常に挑戦からスタートした。

アーチェリーの開発から生まれたFRP製ボート

 ボート開発の発端となったのが、川上源一社長の洋弓(アーチェリー)への情熱だった。長く洋弓に親しみ、弓の精度を高めるために腐心していた川上社長は、アメリカへのレースと市場視察の折にFRP製の洋弓を入手し、その精度の高さに驚くと共に同じ材質であるFRPを用いたボートが普及している姿を見て、その将来性に着目した。
 帰国後、川上社長はすぐにFRP研究の開発を指示し、翌年には日本初のFRP製アーチェリーが誕生したが、ボートの試作艇である「ランナバウト」の12と14フィートの両モデルは、艇体のFRPが厚く重量超過となってしまい、計画していた10馬力の船外機を搭載しても滑走状態には入れなかったと言う。そして1959年9月にヤマハ技術研究所が発足するとFRP研究とモーターボートの開発が社内プロジェクトになり、一気に躍進。1960年には最初の市販FRPモーターボートとして「RUN-13」と「CAT-21」を発売。「RUN-13」はV字型の船型、「CAT-21」はカタマラン(双胴)船型という特徴を持っていた。
 「CAT-21」は1961年に行われた「東京―大阪太平洋1000kmモーターボートマラソン」に参戦。14艇が参加したこの大会では、荒天というコンディションが続き、完走はわずかに5隻という非常に厳しい状況にも関わらず、3日間一度もトップの座を譲ることなく完全優勝を果たした。チームはこのレースによって日本の海の厳しさとその中での航海術などを学び、技術陣には「海と戦えるボートづくり」というコンセプトを定着させ、以後のボートレースではヤマハボートが常にトップシーンを演出した。

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「1,000kmマラソン」で、そのポテンシャルの高さを発揮したCAT-21

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1970年の主力商品としてラインナップされていたSTR-16。ディープV船型とスプレーストリップによりスピード性能と快適さを両立した

乗る楽しさを求めた「ハイフレックス船型」と
スピードと乗り心地を両立したと「ストライプ船型」

 「1000kmマラソン」の優勝によって、日本の海の厳しいコンディションを目の当たりにしたスタッフは、その後、ハイフレックス船型とストライプ船型など「ヤマハボート」の方向性を決める船型生み出した。いずれのボートにも、安全に、そしてスピーディに走れるパフォーマンスが条件となっていた。
 ハイフレックス船型の出発点は、「乗って楽しいフィーリング」であった。海でボートに乗る楽しさを引き出すために、FRPシェル構造のメリットを十分に活かし、船底の断面形状を滑らかで美しい曲面とした。また全幅を1.5mに抑えてトレーラー対応としながらも、走行性能は群を抜いて高く、そのシャープな動きを目にした川上社長がハイフレキシビリティの意味を込め「ハイフレックス」と命名。全長が14フィートであったことから「HIFLEX14」として製品化され、その構造や船型は「H-11」、和船「W-19」、「パスポート14」などに引き継がれていった。
 他方、ストライプ船型はレースでの外洋経験を元に開発された。当時アメリカの外洋レースで活躍していた「バートラム31」は、多くのボートデザイナーが抱いていた「スピードと乗り心地は相反するもの」という固定概念を打ち破るボートであった。それまでのボート造りでは、船底勾配が平らに近いほど、抵抗が少なく加速も良くなると考えられてきたが、「バートラム」に採用されていたディープV船型は、船底の後半部分に25度の勾配をつけ、穏やかなシアーライン(舷端前後での反り上がり)とチャインと呼ばれる、船底末端の張り出しや船底に数本のスプレーストップ(波返し)を入れることでスピードと乗り心地を両立させていた。
 ヤマハの技術陣は、このディープV船型をベースに独自のボートを試作してモーターボートマラソンに出場。レースではオリジナルのディープV船型のボートと競わせて航行性能を確認し、スピードと乗り心地の完成度を高めて商品化に結びつけた。白い船底に8本のスプレーストリップを持つ姿は異彩を放ち、こちらは「ストライプ18」と命名され、その後に続く「STR-25FB」などの外洋クルーザーの礎となった。

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丸みを帯びた船底にチャインを備えたハイフレックス船型は「乗って楽しいフィーリング」がキャッチコピーとなった。写真はHIFLEX14(1963年)

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STR-25FBは外洋における航行性能を高めたマルチパーパスクルーザーで、現在でも多くのファンを持つ。1972年にデビューしたこのモデルは、以降マイナーチェンジを繰り返し、1982年に発売されたSTR-25FBⅡまで継続販売された。

日本のマリンシーンをリードするヤマハボート

 1960年後半から70年代前半にかけてはストライプ、トリマラン、フィッシュ、ハイフレックス、カタマラン、ROWなどがラインナップの中心となっていた。当時のモーターボートの楽しみ方と言えば、目的地へのクルージングよりも純粋にボートを走らせることの方が多いことから、ヤマハでは水上スキー教室やクルージングイベント、オフショアでのフィッシングなど、さまざまなボーティングスタイルやボートライフの楽しみを提案していた。またマリンレジャーのすそ野を広げるために、新たな需要を創造する新しい発想のボート開発も進められ、その第1号艇として「パスポート14」が1974年に発売された。ハイフレックス船型を継承する「パスポート14」の特徴は、FRPの板厚を極力薄くして軽量化を行い、低馬力エンジンでも十分にボーティングが楽しめるポテンシャルを有していることだった。また70年代後半には、ボートフィッシングの気運が高まり、それまでの和船ベースを一新し、プレジャーボートの機動性や居住性を併せ持つフィッシングボート「FISH22」を発売。そのコンセプトは87年にデビューした「Tackle-23」や「YF-23」(2002年)に受け継がれている。
 また、ボートビルダーとしての建造技術の粋を集めて開発された大型艇は、常にその時代を代表するボートとして認知されてきた。ヤマハは「CAT-21」以来、外洋における航行性能の高さや居住空間の快適さを追求しながらも、目的に合わせたボートを開発。1970年にはフィッシングユーザーを対象にしたFCシリーズやサロンクルーザーのSCシリーズ、また80年代に入るとクルージングモデルとして大好評を博したPCシリーズやオフショアフィッシングモデルとして開発されたSFシリーズなど、他の追随を許さない数多くのビッグボートを開発、販売し、その系譜は、すべてにおいて最上級を目指し開発されたEXULTシリーズに受け継がれている。
 国内でトップビルダーとしての地位を築く一方で、ヤマハは水上オートバイ「マリンジェット」用エンジンとジェットポンプを搭載したボートを1996年に初めて北米市場に投入した(国内では1998年に発売)。以降、マリンジェットの運動性能を引き継いだ魅力的な走行フィーリング、ランナバウトタイプのパワーボート特有の居住性と爽快感を併せ持つ新カテゴリーを“スポーツボート”として位置づけ、北米をはじめ多くの国々で受け入れられていった。
 このようにヤマハは常にベストなボートを生み出すべく、ボートビルダーとしての挑戦を続け、「CAT-21」から「EXULT」に至るまで、その時代の最先端の技術を用いて、厳しい海に勝つことができること、そしてオーナーにはロマンを感じさせるボートであることを、ひとつひとつのモデルに織り込んできた。その思いは60年を経た今でも変わることなく続いている。

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ストライプ等のボートが大型化していく中で、マリンレジャーのすそ野を広げる為に開発されたパスポート14(1974年)

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マニアな遊びとして見られていた、ボートフィッシングをひとつのマリンプレイとして定着させたのがFISHシリーズだ。写真はシリーズの中でも好評を博したFISH-24(1981年)

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スポーツフィッシャーマンとしての機能性を持ちながらも、フィッシングには特化せずにマルチパーパスモデルとして利便性の高さを追求した。ちなみにPCはPACIFIC CRUISERの頭文字を取ったもの。写真はPC-26(1983年)

1987 Tackle-23
ボートでの釣りの機能性を重視して開発されたタックルシリーズ。優れた走行性と静止安定性に加えて、釣り具を収納するスペースやイケスなどを機能的に配置。「腕よりフネだ」をキャッチフレーズに、発売開始以来1000隻以上を販売した
1987 YAMAHA 38 MARINE-SF <SF-38>
ビッグフィッシングの機能性とクルーザーとしての快適性などスポーツフィッシャーマンに求められる要素をひとつひとつ取り入れてハイレベルなトータルパフォーマンスを実現。カジキ釣りファンを虜にしたベストセラーモデル
1990 FR-26
オールラウンドなフィッシング性能と快適な居住性の両立をコンセプトとするFRシリーズ。17フィートから46フィートまでがラインナップされ、そのデザイン性にも注目が集まった。写真はグッドデザイン選定商品となったFR-26
1991 SC-60
1990年には当時のカスタムボートとして最大サイズとなるSC-60を発売。サロンクルーザーへのヤマハの思いを具現化したモデル。「マリン・アーバンリゾート」をコンセプトとし、マキシクルーザーに求められる洗練された居住性と高い航行性能を実現した
1995 SRV20
150万円というマイカー並みの価格とセンターウォークスルーのデッキレイアウトが受け入れられ、ボートの大衆化に拍車をかけた。SRVシリーズはこのSRV20の他、ハードトップタイプのSRV23やウェイクボールを装備したSRV20WBなどが販売された
2009 EXULT 36 Sport Saloon
すべてにおいて最高を追求したEXULTシリーズ。EXULT36は居住性、デザイン性はもとより航行性能もトップクラスのパフォーマンスを持つスポーツサロンクルーザー。2010年ボートオブザイヤーを獲得した
2011 SR-X
全長6.25mというコンパクトな船体に安定性や走行性能という基本性能を高め、フィッシングやデイクルージングを楽しむための機能を充実させた。スクエアバウ、ハル側面への立体的なストラクチャーラインの採用など、斬新なデザインも注目された
2018 EXULT 43
洗練されたエクステリアとインテリア、最高レベルの走行性能を兼ね備えたEXULTシリーズ。「EXULT 43」はシリーズのフラッグシップとして開発したサロンクルーザーだ。ガンネルのない「インテグレーテッドハル」をさらに熟成させ、美しい曲面を強調した、存在感のある流麗なエクステリアデザインを採用した
2018 SR330
「グラマラス(魅力的でワクワクさせる)・ボーティング」をコンセプトに開発したスポーツクルーザー。定員15名がデッキ上に集うことのできる広いスペースが特徴となっている。定点保持機能を持つ「ヘルムマスター」や様々な電子機器の情報を集約して表示できるタッチスクリーンカラーディスプレイ「CL7」を装備した
『マリン事業60周年史』〈1960-2020〉

ボート、ヨット、船外機、マリンジェット、そして舶用などのマリンプロダクツを60年の歩みと共にご紹介します。

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