ピコさんも出る"ダカール"ってドコだ?ナンだ?
- 2016年12月28日
いよいよ今年も押し詰まり、世の中はこぞって年末年始の冬休みモード。気ぜわしく活気を見せているのは市場と神社ばかり......かというと、そうでもない。
日本の裏側、南米・パラグアイには、ギンギンに目をトンがらせたバイク乗り、クルマ野郎たちが大挙して集合。知る人ぞ知る年始めの世界的一大モータースポーツイベント「ダカールラリー」の開始を今や遅しと待っているのだ。
↑世界一過酷とも称されるレース「ダカールラリー」。象の沐浴ではない......
↑二輪に四輪、バギー、トラックが走る
二輪、四輪、バギー、トラックが入り乱れ、砂漠やガレ場、ダートが続く荒野を舞台に展開される、総距離約1万kmの壮大なバトルロイヤル。1979年に開催された第1回大会で総合優勝を飾ったのは、ヤマハ「XT500」に乗る青年、シリル・ヌブーだった。「ダカール」の名は、その当時ゴールとなった地名に由来している。
↑1979年の第1回大会から参加した名門ソノート・ヤマハチーム
おっと、さっそく地図を広げようとしているキミ、早まってはいけない。ダカールはアフリカ・セネガルの首都。南米でいくら探しても見つかりっこないからね。
かつてこの大会はフランスのパリをスタートし、アフリカ大陸を走破してダカールに至るルートで行われていたため、パリ・ダカールラリー、日本では「パリダカ」の愛称で親しまれていた。しかし、ルート設定は毎年異なり、スタート地点やゴール地点が変わることもあった。そして2009年以降、アフリカの政情不安などから南米に舞台が移されたというわけだ。
↑ソノート社を前身とするYMF(ヤマハモーターフランス)の社長J・C・オリビエ
ちなみにヤマハは、フランスの販売会社(YMF)を中心に第1回から20年間参戦を続け、アフリカ開催最多となる9回の優勝を果たしている。この頃の代表的なライダーが、YMF社長でもあったジャン・クロード・オリビエと6回優勝のステファン・ペテランセル。
↑ヤマハで6回の優勝を飾ったペテランセル(ガッツポーズの人)
↑ペテランセルは、ヤマハが撤退したあと四輪へ転向
また、オフロードモデル「XT」シリーズに付けられたペットネーム「Ténéré(テネレ)」はラリーの難所・テネレ砂漠に由来している、ということくらい覚えおけば、年明けの試験はばっちりだ?
↑Ténéréとは、アフリカ大陸の遊牧民が話すトゥアレグ語で「何もないところ」の意味だとか......
さて2017年、ダカールラリーは1月2日、パラグアイの首都アスンシオンからスタートしてボリビアを経由する12ステージ・約8,800kmのルートで行われ、1月14日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでゴールを迎える。
ヤマハからはヨーロッパのオフィシャルチーム4名のライダー、アレッサンドロ・ボッチューリ、エルダー・ロドリゲス、アドリアン・ファン・ビファーレン、ロドニー・ファゴッターが「WR450F Rally」で参戦。南米大会での初優勝に挑む。特に前回5位、6位を分け合ったロドリゲスとファン・ビファーレンに期待したい。
↑Yamalube Yamaha Official Teamの「WR450F Rally」は「WR450F」をベースに極限的な場面でも信頼できるマシンとして開発された
また、ヤマハプライベーターのなかにも、注目したい選手がいる。冒険家・風間深志さんの息子で俳優、モトクロスライダーの風間晋之介さん。そして1980年代のパリダカを知る人にとっては感涙すべきレジェンド、フランコ・ピコさんだ。かつて2度優勝目前まで迫り、2010年から2013年までWR450Fを駆った彼も、年が明ければ62歳。
果たして優勝......なんて望むのは無茶だろうが、老練・タフな勇姿を、ゴールまで楽しみに見守りたい。
↑風間深志さんは、ヤマハ車で北極点と南極点の踏破にも成功したアドベンチャーライダー(写真は2015年「バハ1000」に「WR450F」で晋之介さんと挑戦した時のもの)
↑今、世界的にもホットな(ハズの)ピコさん(!?)
↑1989年のダカールラリーでのピコさん。「オフィシャルがゴール地点を間違えなければ優勝していた」とか......
↑過酷な状況にあるエントラントのみなさんには申し訳ないが、J SPORTSで連日ハイライトが放送されるそうなので、パラグアイ・アルゼンチン・ボリビアの景色でものんびり楽しみながら観戦したい。ちなみにパラグアイとの時差は12時間(写真は2016年)
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・ オフロードマニア
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