55mph - Vol.1 スペシャルインタビュー 花井眞一(市販車レストア担当)
知られざる歴史車両のレストア。その実態について聞いてみた。
花井 眞一(はない しんいち) 1975年にヤマハ発動機に入社。市販車の販促活動やレースのマネージメントなどの業務に30年間にわたって従事したのち、現在の所属であるコーポレートコミュニケーション部へ。主に市販車のレストアを担当しており、これまでにYA-1(1955年)やYM1(1965年)、DX250(1970年)などを手掛けた。プライベートでの愛車はRZV500RやTX500など多数。
静岡県磐田市の某所に設けられたレストア室はガレージというより、どちらかといえば病院に近い整然とした空間である。すみずみまできっちりと清掃された床には工具ひとつ、ビスひとつ無造作に置かれていることはない。フロアには棚によって仕切られた3つのブースがあり、花井眞一さんはその真ん中のブースで“デスロク”ことDS6の作業を行っていた。すでにレストアを完了している車両だが、動態保存するためにはこのような定期的なメンテナンスが欠かせないのだという。
「ここではレストア作業と同時に完成した車両のメンテナンスも並行して行っているんです。メンテナンスとは具体的に言えばガソリンとオイルを入れれば走ることのできる状態にすることですね。したがって私がひとりがレストアを完成させられるのは年に1台から2台に過ぎません」
コミュニケーションプラザに展示されている車両のほかにも、同じ建物内の倉庫にはさらに数百台の車両が保管され、花井さんの作業を待っている。じつに気の遠くなるような業務である。
ここでのレストアはいわゆる旧車販売店などにおけるレストアとはその内実が大きく異なる。売り物ではなく、あくまで「文化遺産」として当時の姿を復元しようとしているからだ。
「現代のモデルのようにピカピカに仕上げるのか、あくまで当時の状態を忠実に再現するのか。そういったことはレストアを担当する人間のさじ加減で変わることもありますが、我々が目指しているのはあくまで後者。つまり当時の工場出荷状態です。」
市販車の生産は効率やコストと切り離せない関係にある。わずかな工程を増やしただけでも、数千、数万台と生産すればとてつもない労力、コストとなって跳ね返ってくるからだ。したがって世のすべての市販車というのは大なり小なりコストを鑑みた最適化が行われ、製造される。当時の工場出荷状態というのはつまりその最適化された部分も含めて忠実に復元するということである。
「当時の市販車というのはクランクケースのバフ掛けひとつとってもコストとの兼ね合いでそこまで念入りにはやっていないわけです。バフ目を残した状態でクリアが吹いてあったりする。しかし、いま同じ作業を業者に発注するとバフ目が見えなくなるぐらいピカピカに磨かれてしまうんです。商品として販売するならこれでも良いのですが、当時の再現という意味ではやはりちょっと違う。目一杯に美しく仕上げるよりも当時の微妙なニュアンスを再現する方がむしろ難しいですね」
当時と比べ、現在の加工技術や素材は各段に進化している。普通に作業を進めればたちまちオーバークオリティになってしまうと花井さんは語る。
「とくに塗装ではそれが顕著ですね。昔の焼付塗装といまのウレタン塗装では質感が異なりますから。ウレタン塗料はマニュキュアのようにぬらりとした艶になりますが、当時の焼付塗装はもっと薄くあっさりした感じなんです。クリアなどは吹いてあるか分からないぐらい薄い。図面を見ればもちろん色の指定はありますが、さすがにこういった細かな質感までは書き込まれてはいませんからね。そこはあくまで自分の記憶を頼りに仕上げていくしかない」
文化遺産としてのオートバイのレストア作業は絵画の修復作業に近い。担当者は高度な技術はもちろんのこと、レストア対象への深い知識や時代考証、状況判断、そして数値化することのできない「雰囲気」をまとめ上げる美的センスなども求められる。
「コミュニケーションプラザに訪れたお客さまにRZ250のフロントアクスルシャフトの向きが違うとご指摘をいただいたことがあります。左右どちら向きでも機能的には同じなので気にしていなかったのですが、当時は右側に頭があったと。こういう情報はオーナーならではのこだわりでありがたいことです」
当然のことながら、販売が終了して久しいモデルになると補修パーツ、いや車両自体も手に入れるのが難しくなる。その苦労を花井さんは苦笑交じりに語ってくれた。
「YM1のときは大変でしたね。ベース車両が見つからず、結局知り合いが所有していたものを譲ってもらったのですが、これがほとんど土に還る寸前の状態で。共通部分の多いYDS3も含めた3台のマシンから使えそうなパーツを組み合わせて何とか完成したんです。エンジンなんて3基も分解しました(笑)」
コミュニケーションプラザに展示されている車両の1台1台はレストア担当者のいわば「作品」である。それぞれの記憶のなかで疾走するあのマシン、あの名車がほとんど執念のような努力によって実体化されているのだ。
- Vol.3 大隅哲雄(コミュニケーションプラザ 館長)
- Vol.2 北川成人(レースマシンレストア担当)
- コミュニケーションプラザ 歴史車両走行テスト
- Vol.8 レストア室の設備について
- Vol.7 バックミラーについて
- Vol.6 タイヤについて
- Vol.5 バフ研磨の再現について
- Vol.4 動態保存が記憶の扉を開く
- Vol.3 外装部品のペイントについて
- Vol.2 エンブレムの再現について
- Vol.1 コーションラベルの再現について
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.6 「火入れ」
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.5 「部品の検品、組付け」
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.4 「外観およびステッカーの復元」
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.3 「車両の分解」
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.2 「車両の確認」
- バイクが文化遺産に変わるまで Vol.1 「車両の選定・調達」